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小堀遠州「転合庵」

東京最終日、午前中は加盟店会議に参加、いくつかの重要施策の発表もありました。後半のパネルディスカッションでは皆様の熱い想いを聞いて私も原点に帰りもっと一生懸命しないといけないといい刺激を頂きました。

午後も省庁レク(国交省などの各省庁の担当者の方が来てくれて新しい法律や施策などの説明をしてくれる)も聞きたかったのですが、折角東京に来たからと、17世紀前半に京都伏見の六地蔵に建てた数奇屋の一部を大原寂光院に移築され、昭和38年(1963)に上野の東京国立博物館の庭園に移築された小堀遠州の転合庵(台目向切2帖)など5つの茶室を見学してきました。

いちばん見たかったのは転合庵でしたが、それ以外にも河村瑞賢が17世紀後半淀川改修工事の際に休息所として建てた春草廬(5帖、3帖)

金森宗和によって慶安年間(1648~52)奈良の慈眼院に建てられ、明治10年(1877)に移築された六窓庵(台目出炉三畳)

東京赤坂の九条公爵邸から昭和9年に移築された九条道秀の九条館(10帖二間)

名古屋市郊外の明眼院の書院として寛保2年(1742)に建てられ、後に東京品川の益田孝氏(鈍翁)邸内に移築された円山応挙の墨画の残る応挙館(18帖が二間)などを見学しました。いずれそれぞれの茶室はご紹介していきます。

小堀遠州に興味を持ったのは、この前お茶会に伺ったから…きれいさびの茶の湯で、畳の歩き方、帛紗などが私の習っている表千家とは違い、千利休の流れの三千家、表千家、裏千家、武者小路千家以外のことも知りたいと思ったのです。

小堀 遠州(こぼり えんしゅう)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名であり、建築家、作庭家、書家などの多方面の才能を見せた茶人。「遠州」は武家官位の受領名の遠江守に由来する通称で後年名乗った。道号に大有宗甫、庵号に孤篷庵がある。二代備中国代官で備中松山城主、のちに近江国小室藩初代藩主となった。茶の湯は「きれいさび」と称され、遠州流として現在まで続いている。生涯で約400回茶会を開き、招いた客は延べ2,000人に及ぶと言われる。彼の著名な門下としては松花堂昭乗、沢庵宗彭、武士には松平正信、加賀爪直澄、前田光高、神尾元勝などがいる。

小堀 遠州は和歌や藤原定家の書を学び、王朝文化の美意識を茶の湯に取り入れた。秀吉の時代以前に名物とされた茶道具の多くが秘蔵の品として入手困難となっていたため、新たに茶道具に銘をつけて宣伝し、名物として認知される、茶道具のデザインを系統立てて把握できるような仕組みを作り上げた。

遠州が有名にした茶道具群は、中興名物と呼ばれ、所持した道具目録は遠州蔵帳といわれている。

建築家としても有名な小堀遠州の作った茶室の特徴としては、前田利常に依頼されて設計した織部より窓を増やして明るく13の窓を持つ茶室「擁翠亭」などがあります。

茶室、興味を持ってみると面白い世界ですね。

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