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旭天山という力士を覚えてますか?

 旭天山という力士をを覚えているだろうか?
 かなりの相撲好きでないと知らない名前だろうが、かつて「朝青龍八百長疑惑事件」で一部のマスコミに「取り次ぎ役」と名指されたモンゴル人力士として記憶している方があるかもしれない。
 以下に記すのはそんな下劣な話ではない。

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 旭天山は、1992年に最初のモンゴル出身力士として6名で来日し、3名が早々に挫折、残った3名の中で唯一 "出世できなかった" 力士である。他の2人は、モンゴル相撲仕込みの多彩な技と驚異的な粘りで特異な人気者となった旭鷲山と、恵まれた体格と優れた自己管理で40歳まで幕内上位で活躍し、幕内優勝を含む様々な最年長記録を塗り替えた旭天鵬(現友綱親方)である。
 一方旭天山は、太れない体質で体重は結局100キロ程度で終始し、瞬発力や突き押しの力も不足していて185cmの長身を活かすこともできなかった。優しくおとなしい性格で、突っ張りや張り手などの取り口もなく、柔軟性と器用さに頼った小兵力士のような取り口で、16年間の力士生活の大半を幕下と三段目で過ごした地味な力士だったのである。

 ただ、初土俵以来一度も休場せず16年間連続出場を続けたことは特筆すべきことではないだろうか。
 例えば、18歳のあなたが仲間2人と遠い外国に行って、同じ仕事に挑戦したとしよう。
 他の2人は3・4年の間に一人前のプロとなり、一人は特異な能力を発揮して個性的な人気者となり、もう一人は優れた素質を評価されて "大器" と期待され、母国と比べれば驚くほどの高給を得て自宅も構える。その中で、あなただけはいつまでたっても大部屋に住み込みの "半人前" のまま、10年以上にわたって成功した二人の "付き人" ばかりさせられたらどうだろうか。幕下以下の力士は、通常の意味でのプロとしての待遇ではなく研修生のような扱いであり、わずかな手当ては貰えても給与は無く、羽織袴も足袋の着用も許されないのである。
 そんな状況で、あきらめて国に帰ることもせず、16年間一度も休まずに誠実に働き続けることができるだろうか。

 私が最初に旭天山を見たのは、未だ日本に来て間も無い頃だったと思うが、池袋のホテルのカフェであった。その後も、仕事の関係で毎週利用する新幹線で何度か見かけた。付き人を勤めていた旭天鵬と一緒のことが多かったように思う。
 いつも印象に残ったのは、細身の長身からにじみ出る優しさと清潔感であって、強い力士がもつ独特の迫力・存在感(一種の怖さと言っても良い)のようなものを全く感じさせない人だ、ということであった。 "相撲は喧嘩だ!" とか "相手を潰す!" といった朝青龍に代表されるような、ある種殺伐とした格闘家の空気とはおよそ無縁だったと思う。

 だから "幕下止まり" だったのだ、と言うのは容易い。しかし2007年11月、最後の取り組みを終えて引退の花道を戻る彼を出口で待ち受けた驚くほど多くのモンゴル人力士の人垣と、渡された巨大な花束とが、彼の16年間の力士生活が、出世とは別の価値あるものであったことを物語っていた。
 スポーツ紙のニュースでも、本人の談話として「最初はすべてが大変だったけど、今は相撲に感謝している。2人が横綱になるなど、モンゴルの後輩たちが強くなって、とてもうれしい」と涙を流した、と報じている。彼は、自分を追い越して行く多くのモンゴル人力士に対して、親身になって相談に乗り、世話をしていたのである。

 日本国籍を取得しているが、引退後はドイツ国籍をもつモンゴル人の妻とドイツに渡り、会社経営とのことであった。その後のドイツでの仕事や生活がどうであったのかは分からないが、旭天鵬が引退した2016年には彼は単身日本に戻って働いていたようである。
 その頃の(元)旭天山<現役時代に日本国籍を取得、日本名は佐野武氏>を取材したテレビ・ドキュメンタリーがあった。名古屋の中京テレビが2016年に放送した「夢と土俵と草原と〜モンゴル人力士の光と影〜」である。モンゴル人ディレクターのオユウンチメグ氏が自身でモンゴル人力士や家族・関係者にインタビューする形で制作された番組で、(元)旭天山・佐野氏は横綱白鵬と並んで詳しくとり上げられていた。こう書くと、ああ白鵬が光で旭天山が影だったのかと即断されそうだが、そんな表層的な取材ではなく、どちらの心にも内在する光の部分と影の部分を見事に捉えた優れた番組であった。
 この番組の中で、佐野氏は日本国内で新たな職に就くとともに、モンゴルの両親を訪ねる様子が紹介されていた。現役時代と同様に誠実で穏やかであり、いろいろ苦労を重ねて来たようではあるが、彼の未来が明るいものであることを祈りたい。

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