上弦の弍・童磨は「悪い鬼」なのか

鬼滅の刃において、最強の悪役とされる無惨に次いで激しく罵倒され、蔑まれている鬼がいる。胡蝶カナエ、しのぶを殺した、上弦の弍の童磨である。

鬼滅における鬼は例外なく昔は人間であった。「鬼は悲しい生き物だ」と炭治郎が鬼に優しい言葉をかけるシーンが何度もある。猗窩座や累、上弦の陸の兄妹のように、悲しい過去が明かされる鬼もいる。

童磨も幼少期からの過去編が明かされ、普通なら同情を誘ってもいいところだが、なんと過去回想が出てきた後も、カナヲに人格否定され、罵倒されている。

「童磨とかいう1ミリの同情の余地もないクズ」「ガチのサイコパス」など、ネット上でも彼を貶す意見が多く、童磨の過去は同情を誘うようなものではないというのが大体の読者の見解のようだ。

しかし、本当にそうだろうか?

童磨は人間として生まれた時から髪や瞳の色が特殊で、そのせいで両親に「神の子だ」と崇められ、宗教をつくられて奉られた。年端もいかない少年だった童磨に、多くの人が救いを求めて縋り、助言を乞うた。泣きながら頭を下げてくる信者に、同情したフリで泣いてあげながら童磨は思う。

可哀想に、極楽なんて存在しないんだよ 人間が妄想して創作した御伽話なんだよ
神も仏も存在しない、そんな簡単なことがこの人たちは何十年も生きていて分からないのだ
(鬼滅の刃 17巻より引用)

この「神や仏がいるかいないか」という論題は、鬼滅の刃という作品において何度か話題に上がっているところである。
無惨は「何百何千という人間を殺しても私は許されている この千年神も仏も見たことがない」と言い、反対に黒死牟は「縁壱は神々の寵愛を一身に受けた人間だ」と言う。
大切な人たち全てを奪われた不死川実弥は、弟の死の間際「神様どうか弟を連れて行かないでくれ」と泣き叫ぶ。どんなに縋ったところで、神なんか絶対に助けてくれない人生を送ってきたのに。


神仏論争(?)に類似する概念に「天国と地獄」があるが、これについても童磨がアンサーを出している。

しのぶを殺した後、童磨は伊之助とカナヲに笑顔で語る。

この世界には天国と地獄も存在しない どうしてか分かる? 現実では真っ当に生きている人間でも理不尽な目に合うし 悪人がのさばって 面白おかしく生きていって甘い汁を啜っているからだよ 天罰は下らない だからせめて 悪人は死後地獄に行くって そうでも思わなきゃ 精神の弱い人たちはやってられないでしょ?
(鬼滅の刃 19巻より引用)

なかなか唸る回答である。これに対して仲間を殺されたばかりの伊之助はドギレしているが、話している内容だけを見ればド正論だ。
現に鬼滅の刃の中でも、貧しいながらも思いやり合って必死に生きた竈門兄妹、上弦の陸の兄妹などが踏みつけに遭い、無惨は元気に1000年生き延びた。
(無惨が「完全な悪人」であるかどうかについても私は疑問を持っているが、それはまたいつか書きたい。)


さて、このように「神も仏もいない、地獄も天国も極楽もない」と心の底から確信しているにも関わらず、子どもの頃から童磨は「神の子」として期待に応え続けてきた。親と話を合わせてあげるために神の声が聞こえるフリをし、迫真の演技で泣いたり笑ったりする。心の底では親のことも信者のことも馬鹿にしているのに、「可哀想だから」と心を配ったフリをしてあげる。それは彼の処世術だろうが、優しさでもあったのではないか。

童磨は他人の感情が理解できない。人がなぜ怒り悲しむのか、喜ぶのか分からない。彼の異常性は生まれつきか、小さな頃から正しい愛情を与えられなかったせいかは不明だが、どちらにしろ哀しいことだ。
だが、伊之助の母・琴葉を「心の綺麗な人」を評しているし、「寿命が尽きるまで手元に置いといて食べないつもりだった」と語っている。本当に根っからの感情が欠如した異常者であれば、そんな思いやりは出てこないだろう。

だが、そんな童磨をカナヲは強い言葉で罵倒する。

自分の心に感覚がないってばれないよう楽しいふり悲しいふり 貴方には嬉しいことも楽しいことも辛いことも苦しいことも 本当は空っぽで何もないのに 滑稽だね馬鹿みたい 貴方 なんのために生まれてきたの?
みっともないからさっさと死んだほうがいいよ 貴方が生きてることには何の意味もないから
(鬼滅の刃 18巻より)

そこまで言う〜〜?と読んでいるこっちがビックリしてしまうほどの流暢なdisりっぷりだ。もしカナヲのこの言葉にも童磨がヘラヘラしていたら、「童磨は根っからの悪役だった」と言ってもいいかも知れないが、なんと彼はこれに対し明らかに怒っている。

君みたいな意地の悪い子初めてだよ なんでそんな酷いこと言うのかな?

「地獄に落ちろ」とまで言われても、ヘラヘラしていた童磨が、初めて真顔になっているのには驚いた。
そう、「感情がないこと」それ自体が、彼のコンプレックスだったのだ。

本当は普通の人と同じように喜びや悲しみを感じて、楽しいことを共有したかったのだ。そうでなければここで怒ったりしないし、苦しむ信者たちを形だけでも救ってやろうとしたり、琴葉を保護したりしないだろう。

やはり童磨が感情を失ったのは、異常な両親に育てられて、「崇拝」という形でしか愛情を与えられなかったからだと私は思うのだ。


感情がなくても他人のそれを理解しようとして、少なくとも「可哀想だから」と同情をむけて、助言を与え、保護しようとした。
鬼になってからは信者を喰って「救済」としたようだが、少なくとも人として生きた20年間は、慈善事業としての教祖業務に従事していたようだ。
「可哀想な人たちをいつだって助けてあげたし幸せにしてあげた、それが俺の使命だから」と童磨は語っているが、それはあながち彼の妄言というわけでもないと考えられる。

ただし、実の妹のように大切に育ててくれた胡蝶姉妹を奪われ、暴言をぶつけたくなってしまうカナヲの気持ちも分からないわけではない。

カナヲは童磨とは対照的に、幼少期に虐待に遭ったことで、感情を表に出せなくなってしまったキャラクターだ。カナエが死んだ時に墓の前で泣けなかったことを、未だに気に病んでいる。
だからこそ、感情がないくせに平然と嘘泣きをする童磨を見て、余計に憎たらしく感じたのかもしれない。

悲しいのに泣けなかったカナヲと、悲しくなくても泣ける童磨。
この対比は、酷く切ないものに思える。


「童磨は同情の余地もないクズ」「血も涙もないサイコパス」と鬼滅を読んでいて感じた人は、ぜひもう一度読み返して、彼の両親の異常性、幼少期のある意味での哀しさを読み解いてみてほしい。

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