虚像で戦うということ。

信念 -Another Majority- 展示を終えて

2018年10月12日〜13日、3日間の展示をおこなった。
写真展ではなく、古物の展示、空間ごとの演出ということで、「特別展」とした。
写真は小宮、古物は菅澤明男氏、空間装飾としてデザイナーの三宅隆弥氏を招き、空間の香りや併設するコーヒースタンドでのオリジナルドリンク提供にモデルの滝澤咲子氏が関わった。

コンセプトはといえば、「古き良きものを愛でる生き方の提案」。そして来場者が「好きを通すこと」「自分にとって好きということは」などについて考えるキッカケにもなればと思い、本展示を開催した。
元はと言えば、私が去年撮影した写真作品を展示したい、というところからであったが、メッセージをより深く伝えたく、今回のような形になったのである。

結果…200人あまりの人々がこの展示に足を運んでくださった。素晴らしいことだ。アンケートを見ても、皆古着や古物に対する価値観に触れた感動や、古物愛好家の菅澤氏の熱量に感化されているのがうかがえる。人が与える影響は、凄いものだと思った。

さて、そこで自分は写真展示を果たしてどうかと言えば…残念ながら、自身の目指していたところには到底至らなかった。
なぜなら単純、人々は、写真よりも目の前の実体=古物に興味が湧くからだ。実際に展示を開催してから、しまった、と痛感した。

それは悪いことではない、むしろ結果いい方向にいったことも事実である。

写真の見せ方とは、実に難しい。今回はどれだけ豪勢に展示したとしても、そこにある古物「本物」には敵わないことは確かだった。
前日から初日にかけて、情けないことに自分は心中号泣した状態だった気がする。自分が数ヶ月努力してきた成果だというのに、バカバカしくて惨めで堪らなかった。
だれだ、こんな展示考えた奴は!と自分を責めるほかなかった。メッセージはよりわかりやすく伝わったであろう、しかし、写真には物凄く失礼なことをしてしまった。


嫉妬なのか?とも少し思う。
仮に自分が影響力の大きい人間であれば、こんなところで苦悩しないだろう。言い方は悪いが、勝手にファンがいて、勝手に見てくれるかもしれない。自分が無名だから、うまくいかないのかと、これまた情けなく思うのだった。


《うまい努力ができていない》

自分にとって「努力」というのは、どうも身を削ることに直結しているらしい。無茶をすること、犠牲をつくること、身体に逆らうこと…そんな考え方をしているせいで、本当に効率のよいこなしかたを身に付けずに生きてきてしまった。
これに関してはリハビリ中。時間がかかる。
にしても、嫉妬する暇があるのなら動け、という話だ。今回の展示に関しては割と身軽に動けた気がするが、まだまだだ。これからだ。



《自分にとって、この展示は》

表面的には、今回は成功だった。大きなトラブルもなく、多くの人に来場していただき、たった3日間で濃密な交流ができたような気がする。メンバー3人でやったからこその、ステキな展示だった。
そして個人的には…写真と向き合いきれなかった展示、失敗の展示だった。前向きに捉えて、これからの判断材料として大事にしたいと思う。人の協力の大切さ、企画をすることに必要な体力・精神力、時間…いい練習、いい経験だ。とてつもなく感謝はしている。
変なたとえかも知れないが、凄く質のいい負け試合みいな。

そう、良い負け試合だ。

そんなこんなで、私のスタートは、負け試合から始まった。これからが巻き返しだ。次こそは、写真たちを喜ばせてやる。


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