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Fight!闘う私の歌

 最近、中島みゆきが作詞作曲して1983年に発表した、「ファイト!」にはまっている。中島みゆきは好きなミュージシャンのひとりで、スマホの中にもアルバム2つ分の歌が入っている。しかし恥ずかしながら最近までこの曲を知らなかった。
 2020年夏、コロナ禍まっただ中で放送されたNHKのドラマ「不要不急の銀河」を偶然見て、自粛中のスナックのママが「ファイト!」を歌っているのを聴いて、心に突き刺さった。誰の曲かわからないまま月日が過ぎて行っても、ずっと心の中に残っていた。最近になってやっとネットで検索し、三年越しに作詞作曲は中島みゆきであることがわかり、中島みゆき本人の歌はもちろん、福山雅治、吉田拓郎、竹原ピストル、満島ひかり、うぴ子、ハラミちゃん(ピアノだけだけど)など、いろいろな人のカバーバージョンをyoutubeで毎日のように聞きまくっている。いろいろ批評する人はあるけれど、それぞれの思いが伝わってきてすべてが味わい深いと思う。私自身も歌詞をじっくりと味わい考えてみた。するといろいろな「Fight(闘い)」が思い浮かんできた。

 2020年からの3年間、世界中の人々は新型コロナウイルスという共通の敵と闘っていた。これがドラマ「不要不急の銀河」のテーマ「スナックの数はコンビニより多い。コンビニのない町にもスナックはある。スナックは不要不急のものなのか?」という問いかけにマッチしたのだと思う。
 得体のしれないウイルス。志村けん、岡江久美子といった芸能人が命を奪われ、人々の中に恐怖を植え付けた。世の中が自粛ムードに包まれ、学校も新学期が始まった直後から2か月もの臨時休校に追い込まれた。医療の最前線で奮闘する人たちの姿はよく報道されていたが、すべての人が、それぞれの立場でこのウイルスと闘ってきた。2020年、コロナ禍のまっただ中で上京し、音楽活動を始めたシンガーソングライターのうぴ子がyoutubeでブレイクしたのは、「ファイト!」を歌った路上ライブの映像からだったと聞いている。みんなが闘っている時代に、「うぴ子」の力強い歌声が多くの人の共感を集めたのだろう。うぴ子自身も「いろいろなことがあったけどこの曲に励まされてきた。」と語っている。
 
 19世紀末から20世紀の前半は、日本の「戦争の時代」である。日本人は自国の権益を守るために戦っていた。いや戦わされていたというのが正しいかもしれない。「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ」すなわち、「国家のために命を捧げて戦え」という教育がされ、多くの若者たちが戦場に送られ、命を落とした。「ファイト!」の中盤の歌詞、「闘いの出場通知を抱きしめて、あいつは海になりました。」の「出場通知」は「召集令状」、そして「海」は戦場、「海になった」とは戦死したということではないかと思えてくるのだ。

 1945年8月に終戦を迎えた。戦争のさなかか直後に生まれた若者たちは、闘い始めた。自分たちの意思で。自分たちの生きる日本を戦争という「海」から守る思いだったのだろう。「60年安保」そして「70年安保」である。アメリカとの「安全保障条約」の改定に反対して、学生たちが立ち上がった。「ファイト!」の歌詞の中にある「暗い水の流れに打たれながら魚たち上っていく」の魚と彼らが重なって見えてくる。傷つき痩せこけても、世界の流れに抗い平和への道を上っていったのだ。しかしいつか運動は先鋭化し、内ゲバ事件が起こり、支援してくれていた大人たちが離れて行くような事態となって運動が終焉したのは残念でならない。自分の考えを表明し行動する権利は誰もが持っている。しかしそれがほかの人の権利(最も大切な生存権)を奪うことにつながるのなら、それは許される行為とはいえない。

 そして今、日本は「戦争のできる国」になってしまった。戦後ずっと憲法違反とされてきた、「集団的自衛権」も容認されるようになった。防衛費も年々増額されている。背景には、北朝鮮のミサイル実験、中国の海洋進出、そしてロシアのウクライナ侵攻など、日本の安全に対して脅威となる様々な事件が起こっている。日本も防衛力を強化して脅威に対抗しなければならないという世論が大勢を占めている。しかし戦後78年、日本が戦争に巻き込まれずに済んだ最大の理由は「平和憲法」の存在であることを忘れてはいけないと思う。
 日本の最大の「同盟国」アメリカは、第二次世界大戦後も戦争を続けてきた。朝鮮戦争から始まる冷戦下の戦争があり、冷戦終結後は「テロとの闘い」と称して、中東各国に軍事侵攻を続けてきた。しかし、日本の自衛隊は、一度も戦争に加わったことはない。それは日本国憲法が「武力の行使」を禁じているからである。その憲法を変えようとする動きが年々進んでいるように思う。
 今私は、日本政府の防衛費増額に反対する立場の人々が主催する集会によく顔を出す。自分では戦争反対を掲げて闘っているつもりでいる。集会の講演で、「なんといっても私たちは少数派なんです」と語った人がいた(誰だったか失念してしまったが)。少数派でもいい。流れに逆らって登っていく魚が私の周りにたくさんいるのだ。私も一緒に上っていきたい。上るのをあきらめ、流れに身を任せて流れ落ちたその先には戦争という「海」が待っているのだ。

 「ファイト!」は世の中の理不尽さ、差別、暴力などと闘う人への応援歌だと言われる。今日も「ファイト!」を聞き、口ずさみながら、明日の闘いに向かっていきたい。私の子どもたちや教え子たちが戦場で命を落とすことのないように。
 
 
 
 
 
 

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