社員のご遺族の葬儀に参列して――かなしみはみんな話してはならない
2008年に、月刊『致知』が創刊30周年を迎えた時、自社から配信しているメルマガの企画として、それぞれの心に残った言葉を社員一人ひとりが綴っていくこととなった。
新人から役員まで、紹介される言葉や、まつわるエピソードは多岐にわたったが、自分の心に最も強く残ったのは、後藤直さん(当時60歳)という社員の文章だった。
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致知出版社社員が選んだ『致知』の名言
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かなしみは
みんな書いてはならない
かなしみは
みんな話してはならない
かなしみは
わたしたちを強くする根
かなしみは
わたしたちを支えている幹
かなしみは
わたしたちを美しくする花
かなしみは
いつも枯らしてはならない
かなしみは
いつも湛えていなくてはならない
かなしみは
いつも噛みしめていなくてはならない
坂村真民(仏教詩人)
『致知』2006年8月号
~特集「悲しみの底に光るもの」より~
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私自身にとって、おそらく一生忘れることのできない月刊誌『致知』は、2006年の8月号であろう。その特集タイトルは「悲しみの底に光るもの」であった。そのタイトルを目にした時、衝撃が走った。
実は、その月の20日に私は、息子を事故で失ったのだ。社会人となって2年目、寄宿先での事故だった。
脳死状態ではあったが、テニス好きのスポーツマンだったため、10日ほど持ちこたえていたものの、20日の夜半に事切れた。享年25と3ケ月であった。
大病を患った家族の多い中で、唯一死とは一番縁遠いと思われていた息子の突然の死。
こんなことがあるものか……と、瞬間、驚きと悲しみを通り越して呆気にとられたと言ったほうが当たっていた。
我が家の訃報を耳にして、それを息子のものと結びつけた者は、親戚、知人で誰一人としていなかった。
そんな私自身を救ってくれたのが、特集総リードに紹介されている坂村真民先生のこの詩であった。
かなしみは
みんな書いてはならない
かなしみは
みんな話してはならない
かなしみは
わたしたちを強くする根
かなしみは
わたしたちを支えている幹
かなしみは
わたしたちを美しくする花
かなしみは
いつも枯らしてはならない
かなしみは
いつも湛えていなくてはならない
かなしみは
いつも噛みしめていなくてはならない
坂村先生のこの詩により、悲しみを愚痴にしたり、憎しみに変えることなく、大事にしていくということを教えていただきました。
現在も、藤尾社長の許、多くの職場の仲間たちと一緒に仕事に励んでいられることに心より感謝しております。
ありがとうございます。
後藤直
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あの日の葬儀のことはいまでもハッキリ覚えている。真夏の太陽が照りつける、炎天下の日だった。
参列した社員はそれぞれハンカチで目元を抑えていたが、喪主の後藤さんと奥様だけは、温和な表情をされていた。いや、驚いたことに後藤さんは、いつものように、口元に笑みさえ浮かべておられることもあり、集まった一人ひとりに丁寧に頭を下げておられた。
そして翌日。後藤さんはいつもとまるで変わらない姿で出社してきた。穏やかな物腰も、温和な笑みも、すべてが普段のままだった。
かなしみは
みんな書いてはならない
かなしみは
みんな話してはならない
かなしみは
わたしたちを強くする根
かなしみは
わたしたちを支えている幹
かなしみは
わたしたちを美しくする花
かなしみは
いつも枯らしてはならない
かなしみは
いつも湛えていなくてはならない
かなしみは
いつも噛みしめていなくてはならない
坂村真民さんは、悲しみはみんな書いてはならない、みんな話してはならないと言われる。そして、悲しみこそが、私たちを強くする根だと言われる。
サン=テグジュペリは「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだ」と言った。後藤さんの笑顔が、いつもあんなに温かいのは、たくさんの悲しみを胸に湛えているからなのもしれない。あんなふうに笑える人に、自分もいつかなりたい。