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<小森瀬尾ラジオ第1回>       ラジオはじめてみました📻


音声はこちら👇
https://twitcasting.tv/c:komoriseo/movie/603816292

書き起こしレポートはこちら👇

こんばんは、小森はるかです。
こんばんは、瀬尾夏美です。
本日は、2020年4月4日、土曜日。いま22時です。

・このラジオは、「みんなお家にいましょう」の世の中、これは非常事態な訳ですが、日々めまぐるしく状況が変わるなかで、ちょっとゆっくりできる場をつくりたいなという気持ちで、たんたんと、ゆるーく放送ができたらと思っています。

・もともとはね、3月14日に陸前高田で自主企画していた上映会が、新型コロナウイルスの感染拡大防止ということで、できなくなってしまって。それで何かできないかなと思って、3月14日の夜にやってみたんですけど、これがちょっと楽しかったので続けてみようと思い立ち、毎週水曜日と土曜日の夜22時からレギュラー放送しようと思ったのです。

・当時、といっても20日前ですか、そのころの感じだと、「やっぱりやれたんじゃないかとか」と思ったりしていましたし、中止を決定した2月の末なんかは、「中止するなんて過剰じゃないか?」とも思っていました。
でも、ウイルスはだいたい二週間ほどの潜伏期間を経て発症するものらしいと思うと、いま感染者がこんなに増えていて、当時やれなくてよかったんだと心底思いますね。高田の人たちから早めに「やめたほうがいい」と言ってもらって、それで本当によかったなと思います。

・で、日々状況も変わりますし、それにともなって自分たちの考えること、感覚、感情も変わっていくのを感じていますので、聴いてくださる方たちの声やことばもシェアしつつ、ともかく刻々と変わっていく状況を定着して記録するみたいなイメージで、ゆるくやっていけたらなあと思います。

・正直、わたしたちは展覧会や上映会、それに対話の場づくりみたいな感じで、もしくは向き合って会話するということを軸に制作をしてきていて、基本的に身体と身体で対面して話し合う、じっくり時間を過ごすっていうことに賭けてたんだなと、人が集えない世の中になって気づくわけですが。
今年度参加する予定だった展覧会がいったいどうなるかはまだわからないですけど、やれたとしても、鑑賞する人たちが「集う」ということに対してどういう気持ちなのか、恐怖心がトラウマのように残ってしまっていないか、もしくは過剰に求め過ぎるようになっているのか、とか。社会がどの程度復帰しているのか、または社会の仕組み自体が大きな変化をしているのか等、なにもかもわからない。
現代アートの展覧会って、同時代的なトピックを扱い、同時代の人が鑑賞するわけですから、発表する場の状況をよく踏まえて、もしくは予測して、展示作品をつくっていきたいとわたしたちなんかは思うんですね。でも、それは到底無理な状況になってしまいました。
そもそも、人と会って話すこと、旅することをベースとしてきたので、どちらも禁止に近い状況のいま、どう制作したらいいのだろうと悩んでしまうわけです。人と会うとか話すということを、オンラインのコミュニケーションに移行すれば解決するのかと言われると、多分違うと思っているからこそ、こういうつくり方をしてきたんだよなというところもあって。
まあ、そんなことを考えつつも、端的に、短期的な未来、これを想像するのが一番難しいですよね。数ヶ月後とか半年後とかに向けて準備することにリアリティを感じられない。甘えているかもしれないし、わがままかもしれないけど、状況や自分たち自身に対して素直であることが私たちの制作の基礎にあると思うので、いまこの状況に対しても同じでいようと。無理に何かをつくるよりは、まず記録から。話してみること、聞いてみること、それを定着させることからはじめたいと思います。

・いまはとにかく出来事の渦中なので、私たちもですが、みなさん、自分の身体を、身近な人の身体を守る期間だと思います。全員それに尽きます。それが、まだ出会ったことのない人の命を救うことにもなります。いま第一線で働いてくださっている医療従事者、研究者、福祉施設のスタッフ、スーパーやコンビニの店員さん、流通や公共交通に関わる人たち、などなど、きっともっといろんな人がいると思うのですが、そういった人たちの仕事を助けます。
少し先の未来のことを考えるのさえちょっと大変な期間で、それはとてもしんどいことですけれども、いまは、身体同士は接近できません。ウイルスを広げないためにはそれしか方法がないんですね。私たちの体自体が、つまり生きている限り媒介になってしまうわけですから。

・でも、人間は集うことを簡単に諦めてしまうことはできない。孤独であること、さみしいということは、とてもしんどいことです。東日本大震災の時に、災害ユートピアという言葉が流行りましたが、それが起こるには、日常にあった境界線が壊れて、だからこそ出会いがあって、助け合いが生まれて、という流れが必要だったと思うんですね。「集うこと」が基盤にあったんです。
しかし、いまは身体同士が切り離されて、バラされていく方向です。この状況を放っておいたら、ユートピアなんてできないんです。むしろ分断に慣れてしまうことの怖さがある。だから、それでもいま集うとしたらどんな形があり得るかということを、みなさんと考えていきたいんですね。

・ソーシャル・ディスタンシングという言葉があって、日本語では「社会的距離」と訳したりするみたいですが、「人と人の距離をとることで感染拡大を防ぐ」取り組みです。アメリカでは2メートル以上離すことが求められていて、それはパンダ一匹分とかゴールデンレトリバーの鼻からしっぽまでとか例えられるそうですが、そこまでの距離が取れない場合は、「お互いに手を伸ばして届かない距離」を取ることが大事だそうです。
この「ソーシャル・ディスタンシング」という言葉が、最近では「フィジカル・ディスタンシング」に変わってきていると。つまり「社会的な距離を取ろう」という言葉から、「体と体の間に距離を取ろう」という言葉に変わってきてると、オザケンのツイートで見たんです。
それで、なるほど、身体は距離を取っても社会的な距離は取らず、むしろこんな時だからという感じで、メールとか電話とかして、互いに孤独にならないような共助をしていけたらいいよなと思ったんですね。

・まあこのラジオもひとつそのお試しという感じなので、どんな方法がいいのか、これから考えつつやっていこうと思うのですが、「みんなお家にいましょう」の世の中、これは非常事態な訳ですが、そんな中でも、ちょっとゆっくりできる場をつくりたいな、集える場をつくりたいなという気持ちで、たんたんと、ゆるーく放送ができたらと思っています。

・お便り⑴
ラジオネーム:小野さん
オススメの時間の過ごし方ですが、日曜日などに放送してたNHKラジオのこども科学電話相談を聴いてました。高校野球が中止になったことで毎日のように、時にはスペシャル特番として。想像を超えるこどもたちの質問、先生たちの四苦八苦?などとても面白いです。聴き逃しサービスもあるので、車移動中に聴いてます。ちなみ明日は恐竜がテーマです。

(小森)
わたしは最近はずっと溜まっていた事務仕事しなくちゃってことで、事務所にいて。となりのNPOの方と距離を取りつつね、でも時々愚痴を言ったりおしゃべりしたりしながら仕事していましたね。

(瀬尾)
・わたしはね、いつもめちゃくちゃ夜型で昼に起きるんですけど、いまぜんぜん予定がないのでそれが加速しております。それで最近習慣になっているのは、朝っていうか12時とかに目覚めて、一気にSNSとかでニュースを摂取して、いまどんな言葉があったらいいかなあと考えてツイッターに投稿しています。
今日はもう、外出自粛でSNSがちょっと殺伐としてたのもあって、「家の中にいなきゃなんないからこそ、自分の好きな格好したい。おしゃれってそういう時のためにあるんじゃないか」みたいなことをさらっと書いただけですが、たとえば昨日はこんな感じで。
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コロナに罹った人には面会ができず、集って葬儀もできないとなると、(とくに友人知人くらいの間柄だと)その人の死を認識することが難しくなるだろう。亡くしたという実感のないまま、その人の存在自体がフェードアウトしてしまいそうだ。

海外で空き地やスケートリンクや美術館、まちのあちこちが遺体安置所になっているというニュースを見て、いつか出来事が収束したとき、亡くなった一人ひとりを弔う機会を改めてつくれるだろうかと考える。これらの死を近親者だけの問題にしないためには、開かれた弔いの場や儀式が必要になるだろう。

数万人の規模で人が亡くなっている。その人たちを数ではなくて、一人ひとりの個人に戻さなくてはならない。それが出来事を検証すること、その経験を授受し継承をすることの一歩になる。

とはいえ、出来事の渦中であるいま、個人の物語よりも「数」の方が人々を動かすという事実も目の当たりにしている。それが冷徹なことであるというよりは、ともかく身を守ることが最優先な時期である、というだけだ。

ひとつひとつ死は重いものなのに、そのひとつひとつに向き合えないほど非常時であるということ。それを共通認識にしないと、人々の接触によって拡散するウイルスを抑え込むことはできない。非常時です。わたしたちの感覚は鈍っています。死を悼むことすらできていません。身を守るしかない時間です。

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こんな重苦しいこと書いてね、どうなんだろうとも思いながら、まあでも、日々思うことだけはメモしたいなという気持ちで。タイムライン上に抜け落ちちゃっていそうな感覚とか、現象だけ拾って、細々書いておこうと。
あと、個人的には3月から仕事もだいぶ飛んでしまって、暇なのもあって、部屋の掃除も終わってしまって。ずっと積んだままにしてた英語の勉強を始めました。今回のコロナで痛感したんですが、日本語のメディアだけ見てるのも怖いなと感じたのと、海外の人の言葉を直接聞けるようになりたいなと。ただ思ったのは、わたし、受験の頃の感じでドリルとか問題集とか結構好きなんですよ。机に向かってコツコツやるの。でも、これと英会話ができるようになるのは結構違うかもってことですね。

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ということで、何かを始めるときのことについてのテキスト、ちょっと読んでみたいなと思うのがあって。
今日も自分が書いたものを何か朗読しようと思ったんですけど、私が書いてきたものって、いつも何かが起きた「事後」のことだと気づいて、何かの渦中である今、読めるものが思いつかなくて。それでパラパラと長田弘さんのエッセイ集をめくってたらいいなと思うのがあったので、読みますね。

手紙1 (長田弘『すべてきみに宛てた手紙』/晶文社)

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今回ご紹介した曲
・ルージュの伝言(コダハルカ+木綿子)
https://youtu.be/TuVqZDBGS9g
・磯節(渡辺参治)
朗読
・すべてきみに宛てた手紙(長田弘)
リスナーさんからのおすすめ映画
・春を告げる町
https://hirono-movie.com/

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