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原動力が自分だって良いよ|目隠しの国

「誰かのため」じゃないと頑張ることが出来ない、と思っていた。
だけど、それは巡り巡って結果的には「自分のため」になっていることがほとんどだと、ある日気が付いた。正直、とてもショックだった。誰かが傷付いたり悲しんでいるのを見て、落ち込んでしまう自分を守るためにわたしは動いている。目の前の人たちから嫌われたくなくて、そんな惨めな自分になりたくないから動いている。

「誰かのため」にわたしは行動することが出来ないの?
結局のところ自分がいちばん大事なの?

思春期にそんなモヤモヤを抱えたわたしに、筑波さくら先生の『目隠しの国』はやさしく寄り添ってくれた。はっきりと「自分を大切にしてる?」と問いかけてくれた漫画だった。

もし「目隠しの国」があるとしたら
「見える」ということを わかってもらえるだろうか
私の「目隠し」は たまに少しズレたりする

筑波さくら『目隠しの国』白泉社文庫1巻

主人公の大塚かなでは、稀に触れた人の未来が見える。見ようと思って見られるわけではなく、廊下で肩がぶつかったとき、誰かに背中を叩かれたとき、意図せず「見えて」しまう。つけていたはずの目隠しがズレてしまうように。

転校生の内藤あろうは、触れた人や物の過去が見える。遡ろうと思えばいくらでも遡ることが出来てしまうし、かなでのように「稀に」ではない。あろう君の目隠しは随分前に取れてしまっている。

かなではいつも「見えて」しまうことに怯える。あろう君は「もう慣れた」と言ってのける。「見えるだけ」だから、と。
だけど、かなでが見えるのは未来だ。かなでは未来のために「今」出来ることをやろうと動く。

助けたところで理解されることはないし、傷つくのはかなでの方だ、とあろう君は止める。みんなが目隠しをしている国の中で、そのまま進むと落とし穴がありますよ、なんて言っても信じてもらえるはずがないよ、と。
だけどかなではキリッとした顔をして言い切るのだ。「…でもその人が落ちて傷つくよりずっといい」と。かなでの原動力はここにある。

「無駄とかじゃないよ できる事だったから
可能性を少しでも信じたら
やっぱりやりたくなってしまうもの」

筑波さくら『目隠しの国』白泉社文庫1巻

あろう君は過去が「見えるだけ」だといった。過去が見えても何も変えられないと。けれど、かなでに出会ってあろう君は変わる。あろう君の原動力は「悲しむ人を減らしたい」だ。そしてそれは「かなでが悲しまないように」でもある。
かなでが未来を見なければ、知らなければ、自分には関係のない出来事だった。首を突っ込むことによって自分が危険な目に遭うかもしれない。だけど知ってしまったからには阻止したい。

「でもそいつがケガするなら かなでが悲しむ
…それに オレも嫌だから」

筑波さくら『目隠しの国』白泉社文庫2巻

かなでと同じく未来を見ることが出来る並木さんは、誰かに触れて「見よう」と強く思うことで確実に未来を見ることが出来る。かなでほど突発的ではないし、あろう君ほどスッと見られるわけではない。自分の意思で目隠しを外すことが出来る。
並木さんは自分の力を利用して株価を「見て」儲けて暮らす。こういうふうに楽しいことに力を使えば良いじゃん、とかなでに言う。わざわざ危険を侵すようなことして馬鹿なんじゃないの、と。
意地悪なところもある並木さんだけど、彼の原動力はとてもシンプルで素敵なものとなっている。この気持ちが最終話まで貫かれているのも『目隠しの国』の好きなポイントのひとつだ。

「…オ… オレは… 好きな人の笑顔が見たい」

筑波さくら『目隠しの国』白泉社文庫4巻

3人の力のことを知った人たちの反応は様々だ。
受け入れてくれる人。利用しようとする人。恐れ慄く人。どう接して良いか分からなくて苦しんでいる人。
今までの経験からその反応を分かっているからこそ、あろう君と並木さんは周りの人と一定の距離を保つ。楽しむことを諦めて。誰とも打ち解けることをしないで。信頼関係なんて無くて。自分をギュッと閉じ込めて。
でも、かなでと出会ったことによって、徐々に解けていく。クラスメイトたちとの信頼関係が相手に触れずとも「見えて」くる。

「慣れないよ だけど前ほどこわくない
拒絶はつらいけど受け入れてくれる人もいる
私たちは一人じゃないの
だからほらこわくないよ こわくない」

筑波さくら『目隠しの国』白泉社文庫3巻

『目隠しの国』は過去や未来が見えるという点ではファンタジーだけど、描かれているのはずっと人と人の話で、わたしたちの周りにありふれているものだ。
困っていそうだな、助けが必要なのかもしれないな、というひとを「見かけて」「気付いた」ことはある。そのとき、わたしはかなでのように行動しただろうか。一度通り過ぎて、気になって、振り返って、「でも」とそのまま前に進んでしまったことがある。反対に「大丈夫ですか」と声を掛けたこともある。
この違いは一体なんだろう。わたしの原動力はなんだろう。

かなでのように瞬間的に相手のために動ける人に憧れた。あろう君のように悲しみが減るよう願う人に救われた。並木さんのように好きな人の笑顔が見たいと祈るやさしい人でいたかった。

わたしは自分のことばかり、と思ってしまうけれど『目隠しの国』では何度も自分を大切にすることについて触れられている。
未来を変えることによって、誰かを救うことによって、もしかしたら自分に危険が及ぶかもしれない。それでも彼らは決して自分のことを犠牲にしたくて行動しているわけじゃない。むしろ自分のことを大事にしている3人だからこそ行動できるのだ、と今なら分かる。自分を大切にして、自分のために生きて。それ故に誰かのことを傷つけてしまう可能性があることを痛いほど知っているし、傷つけてしまうのが怖い、という感情を持っている。

「だけどどんなに注意しても
傷つけてしまう時があるかもしれないわ
でも心配しないで
傷ついてもそれを癒す力が人間にはあるから
触れることをこわがっちゃダメよ
あなたは自分のために生きなさい」

筑波さくら『目隠しの国』白泉社文庫1巻

「自分のために生きる」ことを恥ずかしく思う必要なんてない。よく言われる台詞ではあるけれど、自分の人生なんだもの。もっと堂々と「自分のために生きる」を実行しても良いのだ。その方が大好きな彼らにうんと近づくことが出来るはず。
人生における大事なことをやさしく教えてくれた『目隠しの国』はわたしにとって大事な漫画の1冊だ。

そうだ、原動力が自分自身だって良いじゃないか。
誰かのためじゃ無いからといって悲観的になる必要なんてないのだ。

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