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「なんで」の自問自答が行き着く先|ひゃくえむ。

ある日、テレビで麒麟の川島さんが言っていた。
『ひゃくえむ。』の4巻に人生の答えが全て書かれている」と。

大ヒット作『チ。-地球の運動について-』の魚豊先生による連載デビュー作が『ひゃくえむ。』だ。タイトル通り「100m走」に魅了された者たちの物語で、新装版だと上下2巻にまとまっている。

何かしら才能を持つ主人公が敗北を経験し、悔しさから練習を重ね、頂点を目指していく。一般的なスポーツ漫画はこのような流れになっていることが多い。敗北から学び、勝利に向かって努力する。
しかしながら『ひゃくえむ。』は真逆、と言ってもいい。主人公のトガシは生まれつき足が速く、小学生時点で100m走の全国1位を獲っている。別に努力したわけではない。周りと比べて、ただ初めから速かっただけだった。全力で走らなくても勝ててしまった。走るのが得意なこと以外ほかに何もないけれど、それだけで良いのだと思っていたので不満も不遇も争いも熱も無かった。

そんなトガシが転校生の小宮と出会い「熱」を感じる。生まれて初めて全力疾走を経験し、「もし負けたら…」を意識する。

その日 俺は初めて知った
本気の高揚 競走の昂奮 敗北の恐怖を

魚豊『ひゃくえむ。』新装版ジョウ

1位から始まっている分、そしてそれが当たり前だった分、他のスポーツ漫画と比較しても圧倒的に敗北が「怖い」対象として描かれる。
敗北は単なる「負け」ではない。トガシにとっては「転落」を意味する。いままでの自分の立っていた立ち位置、築き上げてきた人脈、認めてくれる居場所。全てがたった100m、僅か10秒で崩れ落ちる恐怖。
運動音痴だったわたしからしてみれば、こんな視点があったのかと驚いてしまう。足が速くて良いな、と漠然と思っていたが「1位をキープする」となるとそれは確かに難しい。キープしないと、という恐怖がトガシにはある。勝ち続けないといけないのだと。

「勿論ただ走るだけじゃ何も解決しない
けど速けりゃ違う
気づいてないみたいだけど
この世には単純シンプルなルールがある
それによると たいていの問題こと
100mだけ誰よりも速ければ 全部 解決する」

魚豊『ひゃくえむ。』新装版ジョウ

小宮は最初、辛い現実をぼやかすために走っていた。気を紛らわすために走るのだと。けれどトガシにそんな理由で走るのは勿体無いと言われ、今度は「勝つ」ために走るようになる。そして速さを手に入れた小宮は勝ちにこだわらず「風を感じて気持ちよく走れれば充分だ」と言う。
…小宮のそれは本心だろうか?

「一瞬だけ1位になったって意味はないよ
継続できなきゃ実力じゃない
実力のない栄光は悲劇を生むんだ
この世には”たかが100m”に狂わされる人間もいる」

魚豊『ひゃくえむ。』新装版ジョウ

トガシも小宮も「たかが100m」に狂わされていく。
何のために自分は走っているのか。どうして走り続けていたいのか。転落することが、負けることが、こんなにも怖くて仕方がないのに。
物語の中でトガシたちはどんどん年齢を重ねる。小学生、中学生、高校生、そして大人になってからもその自問自答は続く。

孤立したくないから。
自分の走りに需要があるから。
陸上が唯一のコミュニケーションツールだから。
ただ勝ちたいから。
ただ走りたいから。

「たかが100m」「たかが10秒」
そこに全てを注ぎ込んだ彼らの行き着く先はあまりにも美しい。最後まで読んだ読者なら充分分かっているはずだ、その美しさがほんの一瞬のものだということを。それでもそれが走り続ける理由になるのだということも。

「『ひゃくえむ。』の4巻に人生の答えが全て書かれている」という川島さんの言葉は、なるほど、確かにその通りかもしれない。

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