八月の魔法使い

8月15日 会社はヒマ、なはずだった。

お客様も取引企業も休みなのに、何故…

そんな気持ちでお盆に出社する会社員の皆様にこそ楽しんでもらえる小説があります。何故ってこの小説はまさに8月15日、本来はヒマなはずの会社で起こるミステリーですから。

それが石持浅海さんの『八月の魔法使い』です。


主人公は洗剤メーカー株式会社オニセンの社員、小林拓真。経営管理部の主任で、同じ会社の企画部に勤める金井深雪と付き合っている。

8月15日。お盆のクライマックスは取引先の企業もほとんどが休み。本社では自分で好きな日付で夏季休暇を設定出来るものの、稼働させるか止めるかしか出来ない自社製造工場は一斉に夏季休暇。
日頃溜めていた「いつかはやらなくちゃいけないけれど、今でなくてもいい」仕事をする、まったりした日…になるはずだった。


総務部で突きつけられた書類

拓真は書類に判子を貰いに総務部長の元を訪れる。そこでは定年間際の総務万年係長が一枚の書類を部長に突き付けていた。それは日付が一ヶ月前の見覚えの無い「工場事故報告書」の表紙。
総務部→経営管理部→リスクマネジメント委員会、と処理されるはずの事故報告書。それも一ヶ月以上前の日付で拓真にも見覚えのない書類。見た途端、顔色を変える総務部長。遮断される総務部の電話機とインターネット回線。
混乱する拓真に、役員会議にオペレーターとして出席しているはずの恋人の深雪からSOSの電話が鳴る。しかし深雪が喋っている訳ではない。深雪は会議室の声を拾って異常事態を拓真に知らせていたのだった。


役員会議で突如現れた書類

取引先がほとんど休みになる8月15日は毎年、企画部の役員報告会議が設定されていた。というのもヒマな役員を放って置くと余計なことを言い出して仕事の邪魔になりかねないからだ。
上司の大木課長がプレゼンテーターを務め、深雪はコンピューターのオペレーター。そうして役員会議は始まった。
役員会議のメンバーは社長、そしてリスクマネジメント委員会のメンバーでもある、専務、営業担当常務、生産担当常務、執行役員東京営業本部長、執行役員企画部長。計8名が集まり、順調に会議は進んでいた。

「31ページお願いします」
大木課長の声に促され、31の数字を入力してスライドの操作をする深雪は気が付く。あれ、今日のページは29ページまでしか用意されていないはずでは…。
呼び出し、スライドに映されたのはリスクマネジメント委員会の誰もが知らない一ヶ月以上前の日付の「工場事故報告書」の表紙だった。



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工場事故報告書の内容を確認しようにも工場は休み。会議室から総務部への内線も遮断。セキュリティーが高いからこそ減っていく可能性。頼りたい総務課長は夏季休暇。

そんな夏季休暇を利用した社内を混乱に陥れるミステリー。
殺人が起こる訳ではないので怖くはないです、ご安心を。


限られた情報だけで(拓真は基本的に総務部内から動かない)目の前で起こっている不可解な出来事を解決していくので読みながら読者も結構頭を使うことになる。

考えから導き出した結論をストレートに言えればいいのに、言えない。そこに会社員らしさが詰まっている。会社の論理が邪魔をするのだ。
このひとは今後も社内に残るだろう、ならば心証は悪くしない方が良い、なんて自分の立場を考えながら遠回りに慎重に発言していく拓真は社会人の鑑として描かれる。


人事総務として仕事をしているわたしは、会社内のすべての部署と関わりを持つ。それこそ社内の人付き合いには人一倍気を付けなければならない、と思っている。
だけどわたしは拓真ほど慎重に言葉を発している訳ではない。

自分の意見を言う場面と、会社の論理を優先する場面と、使い分ける必要があるのだろうな。たとえ個人の想いとしては嫌だなと思ったとしても。
わたしはその部分がどうにもうまく出来ない。良い意味でも悪い意味でも自分の心に素直になり過ぎてしまう。自分の気持ちに折り合いをつけること、一体いくつになったら上手く出来るようになるのだろう。

「会社の業務などというものは、考える材料がすべて揃っていることはまれだ。足りないピースを想像と行動で補う。そんなものだよ。」
(p258)
「私たちは会社という組織の中にいる。論理的な正確さは、必ずしも必要ない。証拠ですら、絶対ではないんだ。会社の論理。考えのベースをそこに置くことは、間違っていない。」
(p258-259)

「間違っていない」というだけで「正解」だとは言っていないあたりに本質が隠されているような気がする。捻くれ者なのでどうしてもそう思いたくなってしまう。

出来るだけ穏やかに、穏便に、というのが仕事をする上でのモットーではあるので、今のところちゃんと上手くはやれてますよ。丸め込まれたくはないな、とは思っているけれど。



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無能な役員は「とんちん菅野」、一方で切れ者の社員は「カミソリ」と言う渾名があったり、そういう部分、面白い。あるかな、あるよね。
あと面白かったのは企画部女子社員がヒマなお盆の時期に毎年開催している「お姫様ランチ」というもの。呼び名が可愛らしい。


石持作品の好きな部分は、事件を解決するのが一般人であるところ。頭の回転が早いひとって魅力的だ。『水の迷宮』の深澤さんなんてまさに!

水族館を舞台にしているミステリーなのでこちらも夏にお勧めの一冊です。深澤さんに惚れざるを得ないでしょう。



お盆も通常出勤だよ、のひとたちにこそ「分かる!」と思う描写が散りばめられている小説かと思います。無論、わたしも明日は出社日です。

お盆の暇な出社日に、
もしかしたら会社に魔法がかかるかもしれません。


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