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“恋”とは何かを問われたら|恋は光

たとえばウィンナーが残り5本だったとき。
夫が朝食を用意してくれる日はわたしのお皿に3本乗せる。わたしが朝食を用意する日は夫のお皿に3本乗せる。ちょっとしたことだけど、これは間違いなく”愛”だよなあと思う。

では”恋”とは何か。
わたしは、美味しいものを食べたり綺麗な景色を見たときに「あの人にも食べてもらいたい」とか「あの人とも一緒に来たい」と思う感情が近いように思う。ただそれが本当に恋の定義かと問われると違う気もする。食べ物や場所にもよるけれど親や友人にそういう感情を抱く時だってある。

様々なコンテンツに触れて、いろんな形の恋を見てきた。
だけど『恋は光』のように”恋の定義”をひたすら考える作品はなかなか無い気がする。大学生である彼らは大真面目に”恋とは何か”を考える。それはもう面倒くさいほどに。考え出したその定義と、自分が恋だと思っている気持ちが同じものなのか、はたまた違うものなのか、周りの友人たちとともに振り回されていくのだ。

わたしが思うこの作品の良さを書くために、どうしてもそれぞれの心情を記したいのでネタバレを含みます。最後のオチまでは書きませんが、気になる方は続きを読まないようご注意ください。

1巻「東雲」 2巻「北代」 3巻「宿木 南」

大学生の西条くんが「恋をしている女は光る」と小学校からの友人・北代に告白するところから物語は始まる。その光が自分には見えているのだと。

恋というものを知りたくて

『恋は光』には3人の魅力的な女の子たちが登場する。
TVは見ない、PCも必要以上は触らない、携帯は持っていない、お洋服は祖母の形見と商店街の洋品店、というちょっと浮世離れした女の子・東雲嬢は西条くんが好きになる相手でもある。彼女は西条くんからの「なんのために(本を)読んでいるのですか?」の問いにキラキラした顔で「恋というものを知りたくて」と返すのだ。西条くんが一目惚れするのもよく分かる。
東雲嬢と友達になるために西条くんは「交換日記をしませんか?」と持ちかける。この日記に後々それぞれが考える“恋の定義“が綴られるようになっていくのだ。

私は”無い”存在なんだなぁ

読んだひとみんなが好きになるであろう人物が北代だ。
西条くんのことを「センセ」と呼ぶ、いわゆる親友ポジション。頻繁に2人で飲みに行き、大学では共にランチをし、相談し合う。東雲嬢と仲良くなりたいと持ちかけられればその場のセッティングだってする。彼女が俺に対して光らない、と落ち込んでいれば笑顔で慰める。恋の光が見えている、という重要な事項を最初に知るのも北代だ。
「センセに対して光ってる女子は?」「皆無なり」
この回答を聞いて、自分はちゃんと好きなのに「ああそうか センセの中で私は”無い”存在なんだなぁ」と思ってしまう辛いポジションでもある。好きなのに、何故か自分の恋だけ光っていないようなのだ。この気持ちは間違いなく恋のはずなのに。
だからこそ北代は、西条くんが見えている光は恋では無いのではないか、という説を唱える。

あの男と付き合えれば 出し抜ける

好き嫌いがハッキリ分かれるのは宿木嬢だろう。わたしにとっては全編を通して好感度の上昇率が最も高かったキャラクターだ。最初が低すぎるというのもあるのだけれど…。
宿木嬢には悪い癖がある。それは、他の人の彼氏が素敵に見えてしまう、というもの。西条のことは大したことない男性だと思っているのに(失礼)学科内でもかわいい北代と東雲が彼と仲良くしている姿を見ると、どうしたってこう思ってしまうのだ。「あの男と付き合えれば 北代さんと東雲さんを出し抜ける」と。
宿木嬢は西条くんにとって初めて自分に向かって光った人でもある。ただ、西条くんにはその理由が分からない。ろくに話したこともない宿木嬢が何故自分に対して光るのか。一緒にいても光らない時もある。ただ北代の話題を出したときには光が増すこともあるのだ。
宿木嬢と出会ったことにより、西条くんの中で「恋は光」ではないのか?と自論が揺らいでいくことになる。

東雲、北代、宿木、西条の4人は「恋とは何か」に翻弄される。

自分が付き合えなくてもセンセが幸せならそれで良い、という北代の想いが本当の恋なのだとしたら自分の気持ちは恋なのか?と考え始める東雲。
恋愛相談を聞き、背中を押し、時には「こうやって一緒にいてやるよ」なんて軽口を言いつつ、特別枠にいながら、一定の距離を取りながら、だけど心のどこかではセンセを諦めきれない北代。
他人の彼氏ばかり奪ってきて本当の恋をしていないことが悩みだった宿木は、西条に「あなたの考えはとても面白いと思いました」と言われて救われる。自分の尺度ではなく客観的な評価でパートナーを選ぶのは、口コミを見て商品を選ぶのと同じことなので納得です、と。
自分の見えている光が果たして本当に恋の光なのか。はたまた全く違う意味の光なのか。見えている光と実際の自分の気持ちに悩み続ける西条。

note等のテキストを読むような方には刺さる漫画だと思います。
彼らは、考えて、考えて、とにかく考える。何故自分の気持ちが恋だと定義できるのか。好きとは何か。略奪も恋なのか。羨ましい、恨めしい、と口に出せるのは醜いのか綺麗な恋なのか。
面白いのは東雲、北代、宿木の3人の奇妙な友情関係。お互いに気持ちを言い合い、本気でアドバイスをし、そしてたまには足を引っ張ったり(これは宿木嬢)もする。

さて、ここまで書いてきてアレなのだけど、実はわたしの推しは別にいる。小笠原先輩だ。彼女は「好きって言ってくれるから好きって返してるだけだから」なんて言ってくる。彼女にハマると沼は深い。気をつけてほしい。でも出来ればここの沼にも誰か落ちてくれるとわたしは嬉しい。小笠原先輩の沼は、深い。

実写映画化もしていて、漫画と映画でオチが違うというのも注目ポイント。
映画だけしか観ていないという人はぜひ原作も知ってほしい。映画は爽やかに鑑賞できるが、原作は割とヘビーだ。だけどその分2時間では描き切れなかった東雲嬢の考える恋の定義や、センセと北代が過ごした長い時間や、人間味溢れる宿木嬢に出会えるので。

さて、あなたにとって”恋”とは何ですか?


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