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映画が繋ぐコミュニケーション|ケンガイ

漫画の「つかみ」の部分で言葉通り心を掴まれた。

「あのシーンで感動しない奴を信用しない」らしい
その映画のタイトルを知りたい

大瑛ユキオ『ケンガイ』1巻

冒頭のこの2行で一気に引き摺り込まれていった。
どの映画のことなんだろう。実在する映画のことなのかな。誰が「信用しない」と言ったんだろう。知りたい、と思っている彼はそのひとのことをどう思っているんだろう。
その映画のタイトルを、そのひと自身のことを、わたしも知りたい。

月刊スピリッツで連載されていた大瑛ユキオ先生の『ケンガイ』を読んだ。全3巻。
就職活動から離脱し、レンタルビデオショップで働く主人公の伊賀くんは、同じアルバイト仲間で1つ年上の白川さんのことが気になっている。だけど彼女はアルバイト内で「圏外」と呼ばれていて…という恋愛漫画だ。

伊賀くんは白川さんのことを「圏外」呼ばわりしているひとたちのことを嫌っているが、白川さんからすれば伊賀くんもそっちのグループの一員、に見えている。ああ、そうそう、と読みながら顔が引き攣った。社会人になってからはあまり感じなくなったけど、そういう勝手なグループ分け、あったよね。あなたはそこのグループですよね、っていう謎の線引きが。
この漫画は「アルバイト仲間」のコミュニケーションの描き方がとにかくゾッとするほどにリアルだ。上司や部下、恋人、友人、家族とは違う独自の距離感。年齢はほぼ同じだけど、自分よりも長く働いていて幅を利かせている先輩とか。

佐藤という男性アルバイトが出てくる。白川さんに対しての台詞があまりにも酷く、彼女のことを圏外と呼び始めた張本人。
わたしは彼のことが本当にイヤで、伊賀くんも白川さんのことを悪く言い続ける佐藤さんのことが大嫌いだ。だけど白川さん自身は気にしていない。
伊賀くんは、気にしていない白川さんのことも許せない

白川「伊賀くんは今まで周りに愛されて受け入れられて生きてきたから、自分や自分の気に入ったものが否定されるのに耐えられないんだね。」
伊賀「…誰だってそうでしょう。」
白川「あたしはそれわかんないなー」「そんなに肯定され続けないと生きてらんないの?」

大瑛ユキオ『ケンガイ』2巻

わたしも自分の好きなものが否定されるのに耐えられない伊賀くんタイプだ。ひとの好みは多種多様だと頭では分かっているのにも関わらず。自分にだって苦手なものくらいあるのに。
だから白川さんの「そんなに肯定され続けないと生きてらんないの?」という台詞はグッサリ刺さった。それどころか白川さんは佐藤さんのことをこう評する。

白川「あたし佐藤とかキライだけどさ、本性を正直に出してる分信用はしてるよ。本性を知ると安心する。」

大瑛ユキオ『ケンガイ』2巻

恋愛漫画、と書いたものの伊賀くんと白川さんの関係性は極めて難しい。距離が近づいたかと思えば一気にまた遠ざかる。
白川さんにとって恋愛はどうでも良いことだ。むしろ白川さんは映画以外の全てのことがどうだって良いひとだった。生活が苦しくなったとしても映画を優先させるようなひとなのだ。

白川さんにとってどうでも良いことだとしても、白川さんのことを好きな伊賀くんにとってはどうでも良くない。自分の好きなひとのことを悪く言っている現場を見過ごせない。
それでも白川さんにとって伊賀くんのその気持ちは迷惑なものになってしまう。職場で波風立てずに過ごしたいのに、なんでそんな余計なことをするの?と。わたしは気にならないんだからそっとしておいてよ、と。悪口を言われることに「なんで平気でいられるんですか!」と伊賀くんは怒る。「そんなの慣れてるしねえ。」平然と白川さんは言う。
恋愛の「れ」の字も見えないほど2人の距離は縮まらない。

そんな2人の会話のきっかけは、いつも映画だ。

わたしはこの漫画で描かれる伊賀くんの映画への向き合い方をとても好ましく思っている。好きなひとの好きな映画を知りたい。そんな動機から始まり、伊賀くんは自分で進んで映画を観に行くようになる。監督縛りでレンタルしてみたり、オールナイトの上映に行ってみたり。特に良いなと思ったのが3巻のこの部分。

間違いなくいい映画なんだが………感想が整理できねえ…

大瑛ユキオ『ケンガイ』3巻

『カッコーの巣の上で』を観た後の伊賀くんの心情だ。感想の言語化ができなくても、最後のセリフに対して「ひとことで済ますなよ」って思っても、それで良いのだ。それが伊賀くんとその映画の間にあるものなんだから。これぞまさに純粋な感想なんだと思う。
そうやって1つ1つの作品と純粋に向き合っていった結果、初めのうちは同じ映画を観ても白川さんの感想を一方的に聞いている状態だった伊賀くんが、何度か一緒に映画を観るうちに自分の感想を言えるようになっていくその過程がとても好きなのだ。

冒頭では恋愛漫画として紹介したが、これはコミュニケーション漫画、なのかもしれない。いや、そんなジャンルはないだろう。でもそれほどまでに読んでいく中で自分自身のコミュニケーションを顧みざるを得ないのだった。自分の気持ち、相手の気持ち、職場での人間関係、そして映画を通して築き上げていくもの。

「あのシーンで感動しない奴を信用しない」らしい
その映画のタイトルを知りたい

3巻では冒頭の映画が何か判明する。実在する映画だった。
わたしはまだ観たことがなかったのでこれを機に鑑賞しようと思っている。この映画を観ることでようやくわたしは白川さんのことを少し知れるような気がするから。

漫画の登場人物のことを知るために映画を観る、というのも一種のコミュニケーションだろう。そういった視点で映画を観るという体験は今までしたことがない。わたしはいまから新しいコミュニケーション法を試すのをとても楽しみにしている。

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