あの頃の感性を、いま胸に。
小学校2年生の頃のクラス文集。
中身は鉛筆で描いた自画像と2つの詩。
クラス文集に、詩って!何書いたっけ!
と久しぶりに帰った実家でページをめくりました。
ホラーな自画像の横に下手な文字で書かれた詩。
読んでみると当時の自分を抱きしめたくなりました。
そんな小学校2年生の大麦作品はこちら。
(一部正しい漢字に修正して掲載します)
小鳥のおさんぽ
小鳥はきれいな青い空をとびまわれる。
もし、わたしに羽があって
高いところからいろんなところを見れたら、
きれいだろうな。
小鳥は自由にとべるから
いろんなところに行けて、いいな。
小鳥と人間はちょっとちがうけどにてるところはある。
それは、
小鳥も人間も生きてるってことだよね。
子牛ののみものは?
お母さん犬のおちちは、子犬のもの。
お母さんいるかのおちちも、子どもいるかのもの。
人間のお母さんのおちちは、子どものもの。
でも、
どうして、
牛のお母さんのおちちは、わたしたちがのむんだろう。
子牛は、なにをのんでいるのかな?
「小鳥も人間も生きてるってことだよね」って相田みつをか!と言いたくもなりますが、シンプルに良い感性だなあと思いました。
人間の赤ちゃんはお母さんのおっぱいも牛さんの牛乳もどっちも飲んでいるけれど、牛の子どもは何も無いのかしら、と心配に思ったんだろうなあ。
そういう部分に気が付くことの出来る着眼点と思いやりの気持ち、大人になって忘れがちなわたしは小学校2年生のわたしから思い出させて貰えたような気がします。
作文じゃなくて詩というのも良かったですね。
きっと当時はすごく書くのが難しかったんだろうけど、こうして数年後に作品として読めて良かったなあと思います。いま詩を書いてみて、って言われてもこれ以上のものなんて書ける気がしないや。
夏休み、ぜひクローゼットの奥の自分に会いに行ってみてはいかがでしょうか。忘れていた気持ちをそっと手渡して貰えるかもしれません。
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