読書備忘録_第2弾_2

【読書備忘録】夢の本から郝景芳短篇集まで

 この記事の投稿日は五月五日。四月三〇日をもって平成は幕をおろし、時代は令和に変わりました。新元号も何卒よろしくお願い申しあげます。もっとも元号に関してはこの数日で語り尽くされた感が否めませんが、一言も触れないのも無愛想かと思いまして【読書備忘録】の序文にてご挨拶させていただいた次第です。ちなみに平成最後に読了した書籍は当記事で紹介している『郝景芳短篇集』です。令和もよき本に出会えますように。


* * * * *


夢の本
*河出文庫(2019)
*ホルヘ・ルイス・ボルヘス(著)
*堀内研二(訳)
 『夢の本』が国書刊行会の世界幻想文学大系第四三巻として翻訳刊行されたのは一九八三年。このたび河出文庫より復刊した文庫版は一九九二年の新装版を原型としているが、内容は勿論初出時とおなじである。ホルヘ・ルイス・ボルヘスの序文も訳者堀内研二氏の後書きも色褪せることはなく、新たに追加された谷崎由依氏の解説も時の壁を越えて溶け込んでいる。世界的古典文学の宝庫たるアンソロジーは三六年程度の時の流れでは揺るがないのだろう。偉大な詩人であり小説家であり、敏腕のアンソロジストでもあるボルヘスの図書館にお邪魔すると『ギルガメッシュ叙事詩』『聖書』『オデュッセイア』『千一夜物語』『紅楼夢』等々の欠片に出迎えられて、近代を彩る文学の道を案内される。そこでは古今東西の夢が凝縮されている。予言としての夢、芸術としての夢。あらゆる種類の夢がある。古来より夢が文学に組み込まれてきたことは自分なりに承知していた。けれども本書に抄録されたテクストの厚みは想像を超えており、従来の認識を覆されてしまった。ボルヘス自身の作品も随所に挿入されていて、これも間奏曲のような劇的な効果で幻想的な味わいを深めている。


ドーキー古文書
*白水Uブックス(2019)
*フラン・オブライエン(著)
*大澤正佳(訳)
 フラン・オブライエンが書き残した最後の傑作『ドーキー古文書』の主題はカトリック教義に焦点をあてた神学的考察にあるのだろう。けれどもダブリンの南およそ一二マイルの海岸にある小さな町ドーキーで形成される奇妙な相関図は文学や哲学、果てはオカルトの領域にも踏み込む突飛な色で染めあげられていて、幾度も目を丸くさせられる。人類救済のために酸素除去物質で世界破壊を企てる謎の紳士、やけに現代的な言葉遣いをする聖アウグスティーヌスの霊、自転車を人間と認識する巡査部長。そして生きていたジェイムズ・ジョイス。作中では居酒屋が重要な場所になるのだが、それも居酒屋に飛び交う戯言を一本化したような本作品の構造を匂わせていて妙味がある。非常に虚構性の強い小説だ。それでいて裏舞台を覗くとジョイスの文学やジョイスに対するオブライエンの複雑な感情がキリスト教徒精神との絶妙な融和を経ていることが認められ、強固な寓意性を読みとることができて興味深い。狂想的音楽劇と銘打たれている本作品、是非ともジェイムズ・ジョイス作品と併せて味わいたい。


ノーベル文学賞を読む ガルシア=マルケスからカズオ・イシグロまで
*角川選書(2018)
*橋本陽介(著)
 ノーベル文学賞は面白い、という惹句は陳腐に聞こえるだろうか。いうまでもなく面白さの基準は読者の趣味嗜好次第で変動するので、絶対的な面白さを保証することは誰にもできない。けれども技巧面に着目すると話は変わる。理論・技術とは普遍的なものであり、凝らされた技巧に対する評価とは鑑賞者の好みに左右されないものだ。ノーベル文学賞(ここでは小説に限定する)は特異な小説言語を用い、独自の言語表現を築きあげてきた人物に授与される傾向があり、受賞者の作品は前衛的で面白いものが多い。ところが残念ながら本邦におけるノーベル文学賞に対する関心は「日本人が受賞するか」の一点に絞られており、他国の作品が興味の対象となることはあまりないようだ。面白い本がたくさんあるのに読まれないのは勿体ない。そうした状況に一石を投じるかたちで一九八〇年代以降小説で受賞したノーベル文学賞作家を振り返り、その代表作を紹介するのが本書だ。概要、時代背景、作家の人物像。多角的に捉えた解釈は好奇心を刺激する。自分自身未読の本がまだまだあるだけに非常に参考になった。


人みな眠りて
*河出文庫(2018)
*カート・ヴォネガット(著)
*大森望(訳)
 このたび文庫化した『人みな眠りて』は、カート・ヴォネガットの没後四年を経てデラコート・プレスより刊行された短編小説集であり、おなじ生前未発表の短編小説集『はい、チーズ』の姉妹編にあたる。ゼネラル・エレクトリックで広報業務に追われていた若き日のヴォネガットが人気雑誌に採用されることを願って書きためてきた小説の数々。この一冊には一六編の宝石が収納されている。後世の読者としては垂涎ものの宝箱だが、この作品群が半世紀以上発表されていなかったのだから、世界にはどれだけ宝石が隠されているのかわかったものではない。さて、ヴォネガットといえばSFの印象が強い。実際数え切れないほどSFの傑作を世に送りだしてきた。しかし本書に関しては、女性型冷蔵庫と天才科学者の関係を追う『ジェニー』、アメリカ人男性の平均寿命が四七歳まで急落して混乱する生命保険会社の模様を描いた『エピゾアティック』は例外として、割合SFらしいSFの要素は控えめで、全体的に皮肉を利かせた喜劇が多い。代表格には『ペテン師たち』を推薦したい。美術評論家には不評でも裕福な画家と、美術評論家には好評でも貧乏な画家が妻たちの啖呵を契機に絵で対決させられる物語である。二人の画家が抱える劣等感と相手に対する羨望が対比をなしており、芸術をよい意味でダシにした寓話となっている。


オカルト化する日本の教育 江戸しぐさと親学にひそむナショナリズム
*ちくま新書(2018)
*原田実(著)
 この記事をお読みになる方々がすでに「江戸しぐさ」「親学」の欺瞞に気付かれていることを願う。現代人の創作である「江戸しぐさ」は出自が明らかにされているにもかかわらず文部科学省のお墨付きで教育現場や企業研修に組み込まれており、偽史なのに史実として語られているありさまだ。これは偽史・偽書・疑似科学を専門とする歴史研究家にして「と学会」会員である原田実氏が複数の著作を通して警鐘を鳴らしておられるので、併せて読むとご理解いただけると思う。本書は疑似科学に依拠する「親学」に重点を置き、近年「江戸しぐさ」と融合して広まっているこの教育論の仕組みを解明する。思わず悪魔合体なる呼称を使いたくなる現象である。「親学」が提唱する日本の伝統的子育ても科学的根拠を欠いたお粗末な妄想にすぎない。ところが厄介なことに「親学」は数多の政治家の支持を集めているので、甚大な影響力がある上に根強いという背景があるのだ。読みながら絶望的な気持ちになった。しかし、現実に偏向思想が教育現場に持ち込まれている以上、目を背けるわけにはいかない。


ポイント・オメガ
*水声社(2018)
*ドン・デリーロ(著)
*都甲幸治(訳)
 現代アメリカ文学を代表する存在にしてポストモダン文学の旗手であるドン・デリーロの作風は多岐にわたるため一言では説明できないが、映画を主題とするこの中編小説は特に風変わりだ。序章にあたる「匿名の人物」ではダグラス・ゴードンの『24時間サイコ』が上映されている展示室と、展示室で映画に見入る奇妙な男の関係が延々と語られる。この時点で異様である。ちなみに『24時間サイコ』はアルフレッド・ヒッチコックの『サイコ』から音声を除去し、二四時間に引き伸ばした前衛的な作品(鑑賞法?)。もっとも意味深長な冒頭ではあるが、物語内容は決して複雑ではない。主要の登場人物も少ない。ブッシュ政権時代イラク戦争に参加し、解任後サンディエゴの砂漠で隠居生活を始めた学者リチャード・エルスター。リチャード・エルスターが過去を物語るという映画を撮影するためエルスターの家を訪問するジム・フィンリー。ある男から離れるため避難してくるエルスターの娘ジェシー。おもに彼らの対話が主軸となる。けれども当初数日程度の滞在を予定していたフィンリーの目論見ははずれ、撮影は一向に始まらないまま三人は空虚な時間をすごすことになる。撮影とは別に語られるエルスターの思想、ジェシーとの語らい。そこで表現される砂漠に取り残されたような寂寥感に独特の味がある。やがて物語はジェシーの消失という急展開を見せる。


20世紀ラテンアメリカ短篇選
*岩波文庫(2019)
*野谷文昭(編訳)
 現代ラテンアメリカ文学の潮流を探ると、ミゲル・アンヘル・アストゥリアスやホルヘ・ルイス・ボルヘスといった先人が作家活動を開始する一九三〇年前後まで遡る。そして一九五〇年前後にはアレホ・カルペンティエルやフアン・ルルフォの活動によりマジックリアリズム(魔術的リアリズム)と呼ばれる表現技法が開拓され、キューバ革命を契機に作家たちはラテンアメリカ全域に交流範囲を拡大する。やがてガブリエル・ガルシア=マルケスやマリオ・バルガス=リョサといった世界的大作家の登場と、積極的な翻訳出版の成果によりラテンアメリカ文学は一大ブームとなり、一九七〇~八〇年代には本邦にも波及して次々に翻訳された。本書の編集・翻訳に携われた野谷文昭氏は当時の流行を支えた功労者の一人。いち愛好家としてはお名前を直視するだけで目が眩む存在である。この『20世紀ラテンアメリカ短篇選』収録作は七編の既訳と九編の初訳で構成されていて、認知され始めた頃の名残を噛み締めながら、近年再評価されるとともに関心を集めているラテンアメリカ文学の新味を堪能することができる。二〇世紀を代表する詩業によりノーベル文学賞を受賞したオクタビオ・パスに始まり、ボルヘスの盟友にしてオノリオ・ブストス=ドメックなる共同名義で出版した経歴もあるアドルフォ・ビオイ=カサーレスで終わるドラマティックな選集。


カフカの父親
*白水Uブックス(2018)
*トンマーゾ・ランドルフィ(著)
*米川良夫(訳)
 竹山博英(訳)
 和田忠彦(訳)
 トンマーゾ・ランドルフィはイタリア文学界の大物だが、あいにく邦訳されている著作は一九九六年に国書刊行会〈文学の冒険〉シリーズとして刊行された短編集『カフカの父親』と、二〇〇四年に河出書房新社より刊行された『月ノ石』しか確認できていない。白水Uブックスより復刊された本書には、人語を話すうじ虫と乳を溢れさせる生娘を交えて問答を繰り広げながらゴキブリだらけの海を目指す『ゴキブリの海』が追加収録されている。人によっては題名を読むだけで蕁麻疹が出るかも知れない。奇妙な概略も人を混乱させるかも知れない。だが、自分にはこう説明するのが精一杯である。概してランドルフィの小説は(少なくとも本書に収録されている作品群は)奇想に富んでいて、怪奇的な物語もあれば神秘的な物語もあるし『騒ぎ立てる言葉たち』のような狂騒劇もある。表題作『カフカの父親』や『ゴーゴリの妻』といった現実・実在の人物を虚構の渦に放り込むこともある。奇想という共通性を持ちながらも多彩な作風で魅せてくれる濃厚な短編集だ。


わたしは英国王に給仕した
*河出文庫(2019)
*ボフミル・フラバル(著)
*阿部賢一(訳)
 二〇一〇年に河出書房新社より〈池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集〉として刊行された『わたしは英国王に給仕した』が文庫入りした。遅ればせながら初めて拝読したのだが、改めてフラバルの筆力に感嘆した。この小説は時代に翻弄されたチェコ人ジーチェの回想録である。百万長者を夢見てホテルの給仕見習いとなり、各地を遍歴する内に大統領の給仕を務める機会に恵まれたジーチェは、軋轢と暴力にさいなまれながらも出生の糸口を掴む。やがてナチスによるプラハ侵攻が彼をさらなる波乱に巻き込む。同国人の処刑、ドイツ人女性との結婚、ナチス崩壊と共産主義政権設立。こうして千変万化する時流に押し流されていくジーチェは、彼自身の語りの中で新たな人生観を築くことになる。本作品の主題である給仕という役割はこの語り口にも生かされている。社会情勢や人間模様、果ては自分自身すら観察の対象にするジーチェの物語はあくまでも「給仕人」の視点で語られており、悲惨な状況も滑稽な情景も淡々と回顧するその語調が巡り巡って強固な説得力を生みだしている。


郝景芳短篇集
*白水社(2019)
*郝景芳(著)
*及川茜(訳)
 郝景芳氏は経済学の博士号を取得後、中国系アメリカ人作家ケン・リュウ氏によって英訳された『北京 折りたたみの都市』でヒューゴー賞(中編小説部門)を受賞。SF文学を主戦場とする新進気鋭の作家として注目を集めている。前述の受賞作は本書にも収録されている。舞台は自動化が過度に進行し、深刻な人口増加と失業問題を抱えた北京。人々は三層からなる折りたたみ都市で周期的に次の層と入れ替わる生活を余儀なくされていた。ゴミ処理場で働く主人公老刀が生まれ育った第三空間の活動時間は夜一〇時から翌朝六時までで、交代の時間を迎えると強制的に四〇時間眠らされる。昼の日光も知らず、人生の大半を睡眠に費やしてきた老刀はやがて金銭的理由により法を犯して富裕層の住む第一空間に潜入する。ディストピア小説の暗さと仄かにおとぎ話の香りをただよわせる顛末が印象的。社会の暗部を抽出、未来像を具現化するSFの強味を駆使した秀作だ。また社会の暗澹たる未来像だけではなく、他作品には不変の感情を表現したものもあり、社会性と人間臭さが見事に協調した作品集となっている。



〈読書備忘録〉とは?


 読書備忘録ではお気に入りの本をピックアップし、感想と紹介を兼ねて短評的な文章を記述しています。翻訳書籍・小説の割合が多いのは国内外を問わず良書を読みたいという小生の気持ち、物語が好きで自分自身も書いている小生の趣味嗜好が顔を覘かせているためです。読書家を自称できるほどの読書量ではありませんし、また、そうした肩書きにも興味はなく、とにかく「面白い本をたくさん読みたい」の一心で本探しの旅を続けています。その過程で出会った良書を少しでも広められたら、一人でも多くの人と共有できたら、という願いを込めて当マガジンを作成しました。

 このマガジンは評論でも批評でもなく、ひたすら好きな書籍をあげていくというテーマで書いています。短評や推薦と称するのはおこがましいかも知れませんが一〇〇~五〇〇字を目安に紹介文を付記しています。何とも身勝手な書き方をしており恐縮。もしも当ノートで興味を覚えて紹介した書籍をご購入し、関係者の皆さまにお力添えできれば望外の喜びです。


この記事が参加している募集

推薦図書

コンテンツ会議

お読みいただき、ありがとうございます。 今後も小説を始め、さまざまな読みものを公開します。もしもお気に召したらサポートしてくださると大変助かります。サポートとはいわゆる投げ銭で、アカウントをお持ちでなくてもできます。