廃墟は見おろす

 千葉県のある地域は過疎化の影響で空家が増えている。フェイスブックの廃墟同好会ではPホテルの従業員寮が注目されており、複数のメンバーが興味をしめしていた。そのようすには最初に踏破したいという願望があらわれていた。
 同好会のメンバーは仲間であると同時にライバルでもある。彼らは情報提供するメンバーに友好的なコメントをおくってはいるが、さりげなく牽制し合っているのは傍目にもわかった。しかし同好会には古株ほど抜け駆けによる信頼の崩壊を懸念し、先行したい気持ちをおさえてみずから行動範囲をせばめるという奇妙な傾向があって、おかげで新米のわたしは牽制の輪からはじかれる格好になり、なりゆきでPホテルに出向くことを許された。けれども経験が浅いため単独行動には少なからず不安がある。廃墟探索には命にかかわるほどの危険が付きまとう。頭上の天井が落ちるかも知れないし、錆びた釘が足を貫通するかも知れない。転倒した拍子にスマートフォンが壊れて外部と連絡がとれなくなる恐れもあるし、最悪の場合探索中に建物が崩壊する。そして無許可で廃墟に入るなら不法侵入者になる覚悟を決めなければならない。初心者が一人で背負うには重すぎる十字架であり、安全を考慮する先達者に先導してもらうのが得策だ。幸いにも柿本さんという熟達者でありながら殺伐としたところのない人物と縁故があるので、探索に付き合って欲しいとメッセージを送ってみると快諾してくれた。わたしは調子付いて昼食をおごることを約束した。柿本さんが大食漢なのを思いだしたときは軽率さを後悔したけれども、興味深い廃墟にのぞめるなら大した出費ではないと自分をさとした。
 目的地であるPホテルの従業員寮に到着すると、人一人いない景色ばかりで柿本さんのすがたは見えなかった。フェイスブック経由で連絡をとると人身事故による電車の遅延に巻き込まれているとわかった。まさか探索開始前にして事故に見舞われるとは思わなかったので、わたしは二階建て従業員寮前の荒れ地で呆然と立ち尽くしていた。
 Pホテルには繁盛した時期もあるが、立地条件のわるさに加え、中途半端な和洋折衷を目指したのが凶と出て、たちまち客足は遠のき十二年前に短い生涯を終えた。ホテル経営の失敗は大なり小なり劣悪な立地条件やテーマに原因をもとめられるもので、景観ばかりに気をとられて利便性もニーズも度外視したPホテルは典型的な失敗例を実演した宿泊施設といえる。やがて芋づる式に関連施設も閉鎖に追い込まれて、またたく間に負の遺産として放置されたのである。わたしの眼前にある従業員寮も巻き添えを食った物件だ。長年にわたり修繕も塗装もされず、風雨にさらされた建物は死相に喩えられそうな風貌をあらわしている。壁面には流れ落ちた大粒の涙の痕跡がはっきり認められるし、外階段や金属製の扉はこびりついている塗装と赤茶色の錆で毒々しく変色している。合成皮革の手袋をはめていなければ触る気にならない。実際清潔という概念が失われた廃墟では破傷風菌をはじめとする危険な菌が蔓延している可能性があるので、かならず合成皮革の手袋をはめろと柿本さんに釘を刺されていた。アスベストを吸い込まないようマスクも必須だ。行き先が廃病院であれば残留物にも気を付けなければならない。まさかホテルの従業員寮にレントゲン機器は設置されていないだろうが、警戒はおこたらないほうがよい。
 わたしは柿本さんの到着を待たず、危険を承知の上で単身乗り込む決意をかためた。建物周辺は草刈りがおこなわれていないため雑草がはびこり、梅雨どきの湿気をふくむ濃厚な草いきれにむせかえる。あまつさえ扉を半びらきにするなり寮内に満ちているカビや埃、鳥の糞といったものの悪臭が漏れ出てくると気勢をそがれて身を引きそうになる。まるで従業員寮に追いかえされているようだ。わたしは懐中電灯のスイッチを入れて周囲を照らしてみる。繁茂した植物に窓をおおわれているせいで日光が差し込まず、晴天の昼間なのに懐中電灯の明かりに頼らないと足元を確認できなかった。木製の床はところどころ陥没し、矢尻のようにとがった木片が天井を向いている。わたしは安全な踏み場を探り、同時にハンモックのように張りめぐらされているクモの巣に引っかからないよう頭部にも注意を払う。フェイスブックの同好会にはハイイロゴケグモに噛まれた人もいるし、クモの巣にかかっていたオオスズメバチに刺された人もいる。二人とも強運にめぐまれて命は助かったものの、しばらく高熱や激痛に苦しめられるはめになった。ほかにもネズミの大群におそわれたり、アオダイショウを古い配線と勘違いして噛まれた逸話もある。あれが毒ヘビならそのまま白骨になっていた、と柿本さんは歯型の残る二の腕をさすりながら呑気に笑い飛ばしていた。反省の色を微塵も感じさせない態度にあきれ、わたしは二言三言嫌味を口にした。けれどもその言葉はさらなる大笑をまねいただけであった。
 わたしは踏み抜いた床から足を引き抜き、負傷していないことを確認するとカビだらけの廊下を見まわした。壁にはコケが生えているだけでなく、得体の知れない染みが人影のようにひろがっていて、目の錯覚なのかこちらの歩行に合わせて伸縮している。陰鬱な気分にさせられる光景だった。廃墟探索中はさまざまな危機に瀕するが、浮浪者やチンピラとの遭遇は毒虫とは比較にならないほど危険なので人間を連想するものには敏感なのだ。暴力団の所有物件で組員と鉢合わせになったらギプスの世話になり兼ねない。柿本さんの知人はスマートフォンと眼鏡を破壊された上、住所氏名を記録されそうなった。この悲劇を知らされて肝を冷やして以来徹底的に探索中は人間からはなれることを心がけるようになった。
 わたしは壁の染みを意識しすぎて注意散漫にならないよう自分に言い聞かせると、剥がれ落ちた天井の破片が散らばっている階段をのぼる。腐りかけているせいで一歩踏むたびギィィィ——と神経に障る音が鼓膜を刺す。湿っぽい一階に対して二階は派手に荒れていた。屋根は崩れ、廊下の床は巨大なメンマでもばらまいたような凸凹とした状態であり、そこかしこに穴ができていた。屋根の隙間から差し込む陽光が穴の底を照らして、ロールプレイングゲームの隠し道を指ししめすような情景を作りだしていた。けれども実際は一階への近道にすぎないし、落下したらまず無事では済まない。雨漏りしている場所は床が腐りかけているか、もしくは腐り切って崩落している。慎重にきしみ具合を確認しながら廊下をそろりそろりと進む。入れそうな部屋には身を滑り込ませる。どこも内装はおなじで、クモと爬虫類の巣窟と化しているところも共通していた。足場のわるすぎる部屋は安全を考慮して廊下側から眺めるだけにとどめた。
 ある部屋を扉の隙間からのぞき込むと奇怪な光景を目のあたりにした。黄ばんだ壁に複数の釘が刺さり、そこに縄がかけてあるのだ。隙間風に吹かれてゆらゆら揺れている縄に使用された痕跡はうかがえないが、不穏な象徴性を感じさせる装飾に身ぶるいを禁じ得なかった。わたしは早々に部屋をあとにすると、いま見たばかりの景色を忘れようと何度も目をしばたたいた。廊下を流れていく風が冷ややかになった気がする。床の損傷が激しいようで、隣室に移動するとき反射的に足をあげるほど強くきしんだ。二、三人で体重をあずけたような耳障りなうなり声。不意に探索をこばまれているのだろうかという漠然とした疑念に駆られ、わたしの足は足枷でもはめられたように自由を封じられ、三、四軒を残しているのに前に進まなくなってしまった。いや、両足に責任転嫁するのは潔くない。あの意味深長な縄を目にしてわたしは怖気付き、瞬時にしてこの荒廃した従業員寮を踏破する意欲を喪失したのである。脱けがらになった胸中には狂おしいまでの虚無感が芽吹き、胸騒ぎとなって寮から退出するようにうながした。わたしは寒気を覚えながら踵をかえすと、元きた通路をたどり、ふたたび埃まみれの階段にもどる。どうしてこんなに寒いのだろう。探索をはじめる前は汗ばむくらいだったのに。
 階段の手前にきたとき、不意に自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきて飛び跳ねるほど驚いた。ガラスの割れた窓から顔をのぞかせると、寮を見あげて手を振っている柿本さんと目が合った。そんなびっくりするなよ、と彼は相変わらず呑気な声色で笑った。いつから寮の前にいたのかわからないが、こちらの心境も知らずに無神経な反応を示してくれるものだ。わたしは苛立ちながらも安堵して窓下に怒鳴った。埃だらけのわたしを迎えるなり柿本さんは「ひどいありさまだな」といって全身を眺めまわした。
「物置きでも引っかきまわしたのか。背中なんて泥水みたいなものでべちょべちょだし。しかもくさいぞ、これ」
 わたしは怪訝におもった。従業員寮には雨漏りする場所が数ヶ所あるが、各部屋を往来しているときは水滴を見かけなかったし、壁や床に体を密着させたりもしなかった。背中が濡れることはあり得ない。そう訴えると柿本さんは口をとがらせる。
「あいつの仕業じゃないか。こっそり背中に変なものを塗りたくったとか。でも、いくら何でも気づくよな。それはないか」
 あいつ。柿本さんの一言を耳にして、背中に水をかけられたような薄ら寒さを覚える。わたしは不可解そうに腕を組む柿本さんに「あいつ」についてたずねた。柿本さんは落ち着かないようすで、わたしと寮を交互に見る。
「なあ、お前は人をからかう奴じゃないだろう。さっきまで一緒にいた奴だよ。待ち合わせの場所にきてもお前は一足早く探索をはじめているし、しかも痩せっぽちのおかしな風貌の奴と寮内をうろついているから途方に暮れていたんだ。ここだよ、この寮の中だよ。二階にいるあいだ二人で縦にならんで歩いていたじゃないか。あいつ何だか気味わるいぞ。おれのほうこそ知りたいよ。あいつは誰なんだ」
 背中に浴びせられた冷水がひろがっていく感覚に吐き気を催し、わたしは思わずジャケットを脱ぎ捨てた。柿本さんのいうとおり背面は泥を擦り付けたように赤黒く汚れて、なまごみを思わせる不穏な臭気を立ちのぼらせていた。匂いを嗅ぎ付けたハエが一匹二匹と草むらに捨てられたジャケットにむらがっていく。二人とも二の句が継げないまま背後を振りかえる。従業員寮は静かにわたしたちを見おろしていた。


※2012年脱稿・2018年改稿


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百句鳥

昭和生まれの物書き。読み方はホクト。掌編小説の共著『みちのく怪談傑作選2011』『クトゥルフ神話掌編集2016』『ガラシャ物語全集』等。中南米を始め各国の小説を愛好。マジックリアリズムを追究する『艦これ』崇拝者。テキストでは小説・書評・雑記、トークでは気になる刊行情報等綴ります。

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コメント4件

これは怖い!
さいごのさいごに。。

廃墟探索などがあるのですね。
たしかにさまざまな危険がありそうです。

楽しませていただきました!
わっ。ご感想ありがとうございます。廃墟の雰囲気には昔から惹かれていて、よく物語的な想像を膨らませているのです。そうした情景をお楽しみいただけてとても嬉しいです。
最新号を読ませていただきました。
さっそく「頭ん中の本棚」へ並べました。
お読みいただきありがとうございます。これからも「頭ん中の本棚」に残るような作品を紡げるよう、腕を磨いてまいります。
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