読書備忘録_第2弾_2

【読書備忘録】蕃東国年代記からボルヘス怪奇譚集まで

 この文章を書いているのは五月三十日。間もなく梅雨入りです。暑気にはそれなりに対応できる方ではありますが、湿気には弱くて梅雨は乗り越えるぞという覚悟を決めなければいけません。あと湿度が高くなると文庫本や新書がペコンと歪むことがあるので、保護に全身全霊をささげるつもりです。それでは今回もお気に入りの本を紹介します。


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蕃東国年代記
*創元推理文庫(2018)
*西崎憲(著)
 唐と倭国の中間にある小国蕃東。ときは臨光帝がおさめる時代、宮廷に仕える貴族に生まれた青年宇内と従者藍佐は優雅な日々の中で、不可思議な出来事に遭遇する。本書は架空の国〈蕃東〉に蔓延する幻想・怪奇を五編に集約した連作短編集である。この〈蕃東〉という国が素晴らしい。中国は唐時代、日本は平安時代にあたるのだろうか。双方の政治システムや文化をとり入れることで実現された斬新なアジアン・テイストが面白い。また、物語の構成も特徴的だ。この流麗で新鮮味のあるアジアン・ファンタジーの根幹には、水底で力をたくわえた雨竜が天に昇る逸話、過激な船漕ぎ競争の末に難破に遭った者たちの漂流記、同席した者たちが交わす奇妙な談義、類いまれな美しさに恵まれた中将をめぐる悲話、課題婚のため命がけで貢ぎものを探す冒険譚。古典文学を彷彿させる形式と現代的な言説の融合が魅力的だ。優雅にして力強い物語、趣きある時代の雰囲気が読了後も胸に残る。不思議の国〈蕃東〉は宝の島なので、重厚な幻想文学を好む人にもライトなファンタジーを好む人にも読んで欲しい。



ラテンアメリカ傑作短編集〈続〉 中南米スペイン語圏の語り
*彩流社(2018)
*リカルド・グィラルデス 他(著)
*足立成子 他(訳)
*野々山真輝帆(編)
 本書は『ラテンアメリカ短編集』『ラテンアメリカ傑作短編集 中南米スペイン語圏文学史を辿る』に続く野々山真輝帆氏編集のラテンアメリカ文学シリーズであり、リカルド・グィラルデス『ノクターン』に始まりサルバドル・エリソンド『アナポ・イェシス』に終わる十六編の短編集である。十ヵ国、それも一九〇〇年代前半から現代にわたるラテンアメリカの文学史を紐解き、散文詩、おとぎ話、宗教、SF、そうした広範なテーマを駆けめぐるのだから夢のある話だ。ラテンアメリカ文学を愛好する人が楽しめるのは言わずもがな、新味のある読書体験をしたい人にもおすすめできる作品集だ。フアン・ルルフォ『アナクレト・モロネス』以外はあまり本邦で知られていないが(何しろ初紹介作家が五人も含まれているのだ!)、奇妙な、不可思議な事象が日常と密接に結び付き、肌が焼けるような〈熱さ〉を伝えるラテンアメリカの魅力はブーム最盛期に書かれた作品も、ブーム最盛期をすぎた現代に読んでも色あせることはない。新鮮な魔術の世界は今も口をあけて待ち構えている。



海峡を渡る幽霊
*白水社(2018)
*李昂(著)
*藤井省三(訳)
 李昂氏は二〇〇四年フランス政府より芸術騎士勲章を授賞、中国語作家ではノーベル文学賞作家である高行健氏と莫言氏(※高行健氏が受賞したのはフランス国籍取得後)に続く偉業を達成した現代台湾文学界の大物。フェミニズムを主題にとることもあれば、怪奇幻想で彩ることもある実験的手法が特徴的であり、この作品集も全八編を通して台湾の歴史・風土・政治といった多彩な語りを見せてくれる。表題にもなった『海峡を渡る幽霊』は大陸から移住した漢方医〈漢薬先生〉一家を妊婦の幽霊が文字通り海峡を渡り追いかけてくるという怪談的な物語だが、『セクシードール』ではマザー・コンプレックスを抱き続けている妻が故郷に心惹かれたり夫に自分の乳房を移植したい願望に駆られる心理的なもので、最後の『国宴』に至っては旧国民党統治期を国賓歓迎会にだされる思わず「おぅ」と胸をおさえたくなる献立で表現する話だ。二・二八事件の影が差す〈鹿城〉を舞台とし、同名の人物が物語をまたいで登場する遊び心も覘かせる点もニクい。



ハイキング
*惑星と口笛ブックス(2017)
*相川英輔(著)
 電子書籍レーベル惑星と口笛ブックスと相川英輔氏がタッグを組む。書きおろし『ハイキング』、男子水泳のオリンピック代表を目ざす大学生が体験する空白の時間を描いた『日曜日の翌日はいつも』、太陽病と呼ばれる奇病の爆発的蔓延により夜間しか行動できなくなった世界でドッグレースに熱中する養鶏場の人々を描いた『ファンファーレ』、図書館でアルバイトをする傍らバッティングとスパゲティに特別な情熱を抱き続ける女性のある時期を描いた『打棒日和』、この四編には一風変わった共通点がある。それは「語り切らない」ことだ。物語の核心に言及するのはまずいので簡単に書かせていただくが、肝となる事件や現象が発生した原因をそっとしまい、あくまでも事象に向かう人の言動に焦点をあてる。それが結末の余韻を生む。読者によっては「あれは何だったのか/どうなったのか」とやきもきされる人もいるかも知れない。しかし、謎がもたらす余韻とは謎が謎のままであることで生ずるものでもある。特殊な状況下におかれた人間の生々しい意識を表現した作風に舌鼓を打った。



汝はTなり トルストイ異聞
*河出書房新社(2014)
*ヴィクトル・ペレーヴィン(著)
*東海晃久(訳)
 ロシア文学界の怪物ヴィクトル・ペレーヴィン。ぶっ飛んだ実験的作風は現代ポストモダン文学を代表する絶品であり、本作品『汝はTなり』もメタフィクショナルな主題と破天荒な構成で魅せる。何しろ主人公はレフ・トルストイだ。厳密にはある制作プロジェクトを推進するゴーストライターたちがトルストイの複製を生み、各人が担当するプロットに彼をあてがう格好となる。このトルストイは無抵抗流武術〈ボアム〉の達人で、記憶喪失のまま〈オプチナ・プスティニ〉を目ざして旅立ち、危険人物と見なされ追跡されたり、斧を振りまわすドストエフスキィと対決したり、ラマ僧たちと哲学談義に耽ったり、監獄にいるソロヴィヨフを探したりと大奮闘する。プロットはクライアントの都合で頻繁に路線変更され、ゴーストライターの一人が階層を越えてトルストイに接触したことを契機に物語内外の階層が入り混じる奇妙な展開を見せ始める。やがてトルストイは作る者と作られる者の関係を解明し、物語の枠を越えてプロジェクト階層に接近していく。常人の発想力ではない。



木に登る王 三つの中篇小説
*白水社(2017)
*スティーヴン・ミルハウザー(著)
*柴田元幸(訳)
 スティーヴン・ミルハウザー氏は精密機械のような作家だと思っている。短編、中編、長編、あらゆる形式に適合する物語を拵える。徹底しているものは構成だけではない。氏の特徴には精神構造を剥きだしにするほど緻密な心理描写、対象物を立体的に浮きあがらせる正確な情景描写もあり、このミルハウザー的とも言える筆致は本書でも表題作『木に登る王』を始め、絶倫の放蕩児ドン・フアンが貴婦人への情欲・恋情に翻弄される模様に迫る『ドン・フアンの冒険』、売却予定の家を案内する女性の独白を綴る『復讐』でも存分に発揮されている。三編の共通点をあげるなら〈不義〉〈悲恋〉〈情欲〉だろうか。こうした秀逸な小説集に優劣を付けるのは不粋ではあるが、強いてあげるなら、一方的な(それも感情の振幅がかなり激しい)独白で客/読者の虚を突き、恐怖と抑圧を生じさせる『復讐』には格別の面白味がある。独白体でなければ表現できない緊迫感がたまらなかった。



サイコパスの真実
*ちくま新書(2018)
*原田隆之(著)
 サイコパスと聞いてどんな人物を想像するだろう。テッド・バンディ、ヘンリー・ルーカス、アンドレイ・チカチーロ。大方はそうした歴史に名を残す殺人鬼を思い浮かべるのではないか。少なくとも小生は本書を読み始まる前、真っ先にシリアルキラーを意識した。実際彼らは正真正銘サイコパスである。ただ有名な殺人鬼は「わかりやすい」例であり、科学・心理学の見地からサイコパス研究の歴史を眺望すると、認定の難しさと安易なレッテル貼りの危険性が見えてくる。本書ではサイコパスの特徴を因子でわけながら説明し、殺人に手を染めない「成功者としての」サイコパスタイプに焦点をあてたり、サイコパス誕生がどこまで遺伝・環境に起因するのか研究者たちの研究結果を踏まえて言及する。インターネットでもリアルでも安直にサイコパス呼ばわりする風潮があり、サイコパスとは露ほども思われていない人が本性を現すこともある昨今。その精神構造を理解することは重要だと改めて感じた。座間九遺体事件のような悲劇を回避するためにも。



壁の中のside-B
*granat(2018)
*館山緑(著)
 本作品は二〇一二年に刊行され、文学フリマでも頒布された同人誌の電子書籍版である。舞台となる波南町は体が溶解する〈メルト〉と呼ばれる奇病の蔓延により、壁の中に隔離されることになる。発生の原因も治療方法もわからないまま外部との連絡を遮断されて、実質放置されてしまう波南町。主人公〈わたし〉は人間が消えていく町で、孤独の日々を歩み始める。〈メルト〉の正体とは? 予防・治療の可能性はあるのか? 読みながら気になることはあるかも知れない。大規模な感染症に立ち向かう物語も面白い。けれども本作品には別の肝が用意されている。それは家族を失い、恋人にも友人にも見捨てられた少女の孤独な生活にもある。あるとき真新しい落書きを見付けて以来、落書きを通じてどこかにいる生存者と心を通わせていく過程にもある。いつか名前を呼ばれたい、呼びたいという淡い願望にもある。繊細なテーマが本作品には流れている。小生はこのテーマが好きだ。前回紹介した『落下症候群』然り、館山氏が表現される青年期ならではの心理や、霧がかかったような〈晴れない空気〉に惹かれるのである。



とうもろこしの乙女 あるいは七つの悪夢
*河出文庫(2017)
*ジョイス・キャロル・オーツ(著)
*栩木玲子(訳)
 通算出版数百冊を超えると言われる多作の作家、ジョイス・キャロル・オーツ氏の三十五冊目の短編集。桁違いの冊数にめまいを覚えてしまう。それでいて小説が執筆速度の犠牲になっているのではないかと勘繰れば、決してそういうことはなく、物語のテーマに合わせて文体・構成を適時変えてくる洗練された技術に舌を巻くばかり。表題作『とうもろこしの乙女』は頁数や象徴性の関係で本書を代表するにふさわしい作品だが、六つにわけられた〈悪夢〉に含まれる毒も個性的で優劣を付けるのは難しい。この短編小説集では人物関係、それも血族という身近な存在であるが故に根深い懊悩におちいるさまが描かれている。直接的な対話はなくても心を空白化する要因である場合もある。人間との関わりで生じる摩擦や齟齬、精神的破綻の様相が巧みに活写されることが多く、語弊のある言い方だけれども読んでいて体力を消耗する。しかし、こうした消耗は物語の深みを味わい尽くした達成感を芽生えさせ、気付けば著者の別作品を探し始める契機となる。



ボルヘス怪奇譚集
*河出文庫(2018)
*ホルヘ・ルイス・ボルヘス(編)
 アドルフォ・ビオイ=カサレス(編)
*柳瀬尚紀(訳)
 表題からはホルヘ・ルイス・ボルヘスの小説集と勘違いしそうだが、本書はボルヘスと親友アドルフォ・ビオイ=カサーレスと妻シルビーナ・オカンポたちが古今東西より九十二編の物語を集めた幻想文学アンソロジーだ。原型は一九四〇年に刊行されたアンソロジーで、そこから掌編を選び抜いたものが本書である。O・ヘンリーもいればフランツ・カフカもいる。『荘子の夢』もあれば『千夜一夜物語』もある。しかし収録作品には編者の創作と思しき話も織り込まれており、遊び心のある出来栄えとなっている。不思議な世界を旅する感覚。各話短いため大変読みやすく、よい意味で腰を据えず、気軽に読めるという利点があるので小説を読み慣れていない人にもおすすめできる。勿論〈通〉の方々もよだれを垂らしながら読めることだろう。自分が通か否かはさておき、少なくとも舌をべろべろまわしながら堪能したのは揺るぎなき事実である。



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 読書備忘録ではお気に入りの本をピックアップし、感想と紹介を兼ねて短評的な文章を記述しています。翻訳書籍・小説の割合が多いのは国内外を問わず良書を読みたいという小生の気持ち、物語が好きで自分自身も書いている小生の趣味嗜好が顔を覘かせているためです。読書家を自称できるほどの読書量ではありませんし、また、そうした肩書きにも興味はなく、とにかく「面白い本をたくさん読みたい」の一心で本探しの旅を続けています。その過程で出会った良書を少しでも広められたら、一人でも多くの人と共有できたら、という願いを込めて当マガジンを作成しました。

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