回帰する魂の話

【掌編小説】回帰する魂の話




 とおりすぎる人に会釈する。その初老の男はうつむいたまま、千里川に沿うように去っていった。いまはゆるやかに蛇行しながら豊中市内をながれている千里川も、昭和のおわりごろに改修されるまでは暴れ川ともよばれ、暴風雨にみまわれるたび近隣地域に多大な水害をもたらしていた。あまたの犠牲者をだした北摂豪雨による大規模な氾濫は、そうした暴れ川の象徴といえる。水とたわむれるサギやカモをながめ、ときおり青空を優雅に飛んでいく大阪国際空港の航空機をながめられるのも綿密な治水対策のたまものだ。
 生まれも育ちも大阪の父は荒くれていたころの千里川を知っており、わずかな荷物をかかえて避難した当時を鮮明に覚えていた。いまでも夢にみることがあるという。実際の死者は公表された数をうわまわり、そのなかには父の姉もふくまれている。父の姉は逃げおくれた人を助けにいき、皮肉にも自分自身が濁流に飲まれてしまい、そのまま誰からもとおくはなれた地へおしながされてしまった。知られざる犠牲者はひとりやふたりではすまないが、その名があかるみにでることはなかった。
 そうして語られぬ故人への追慕が契機となったのか、いつしか七月上旬になると暴れ川のえじきになった人の魂が川辺にちらほらあらわれるという風説が飛びかうようになった。信心ぶかい年長者にはわざわざ足をはこんで、川辺にたたずむ魂に両手をあわせる人もいる。
 父は梅雨あけまえの蒸しあつい時季になると春日橋をわたることもさけようとする。父なりに思うところがあるのだろう。かくいう自分はいまだ霊魂なるものを理解しかねており、その存在を信じるかと問われても、わからないとしか返答しようがない。定期的に川辺を散策しているのもわれしらず根づいた慣習にしたがっているだけで、魂の帰郷といわれてもうまく想像できなかった。慣習といっても鎮魂や追悼といった大袈裟なおこないではなく、あくまで知人にむける挨拶とおなじ平凡な作法にすぎない。毎年きまった場所にかわらぬ年格好の人物が煙のごとく出現すれば特別な存在とわかるし、おのずと風貌を覚えて親しみがわいたりもする。それだけに顔をあわせる機会がおとずれたら、辞儀のひとつもしたくなる。さきほど会釈した初老の男もそうしたひとりである。


※2015年脱稿。2016年加筆・修正。

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