【読書備忘録】万象から無分別まで

 本年は寒暖差の激しさが目立ちますが、梅雨入り後は如何にも梅雨らしい天候が続いているので、神奈川県に関してはまずまず安定しているこの頃。もっとも半日噛み続けたガムのような粘着質のじっとりした陽気はお世辞にも快適とはいえず、脳味噌がスポンジ状になり、全身の筋肉が浮きあがって骨を支えられなくなる感覚に悩まされる日々です。あらゆる関節に潤滑剤を噴射したいです。お馴染みCRCのあれ。でも何より恐ろしいのは湿気で本が歪むことです。この悲劇だけは回避しなければなりません。
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万象
*惑星と口笛ブックス(2018)
*北野勇作(著)
 南條竹則(著)
 藤田雅矢(著)
 井村恭一(著)
 山之口洋(著)
 沢村凜(著)
 涼元悠一(著)
 森青花(著)
 斉藤直子(著)
 粕谷知世(著)
 西崎憲(著)
 渡辺球(著)
 仁木英之(著)
 堀川アサコ(著)
 久保寺健彦(著)
 小田雅久仁(著)
 石野晶(著)
 勝山海百合(著)
 日野俊太郎(著)
 三國青葉(著)
 冴崎伸(著)
 電子書籍レーベル惑星と口笛ブックス〈ブックス・ファンタスティック〉シリーズ第五作目は、日本ファンタジーノベル大賞受賞作家が一堂に会した豪華な幻想小説集である。総勢二一名。原稿用紙換算一〇三四枚。内容紹介によると、本邦におけるファンタジーのアンソロジーとしては史上最大という。この大規模な企画の実現は、日本文学の歴史に新たな一頁を加えたことを意味する。とはいえ電子書籍化にはかなり苦労されたようだ。巻末に掲載されている参加者の一人斉藤直子氏の編集日誌『まとめ人日記』には刊行に至るまでの経緯がまとめられており、本作品集を完成させるには茨の道を這う覚悟と根気を要したことがわかる。電子でありながら痺れるほどの重みを感じる。一般的な単行本に置き換えて五〇〇~六〇〇頁を超える想像力の塊だけに概要を述べるのも至難の業だ。けれども寓意に富む童話的な小説から壮大で神話的な小説まで、ファンタジーの可能性を広げる意欲作が群れをなしている『万象』には、物語を渇望する心を潤し、幻想文学のさらなる躍進を示唆する精気がこめられていることは伝えておきたい。



かくされた意味に気がつけるか? 3分間ミステリー
*ポプラ社(2019)
*黒史郎(著)
 恐らく「意味がわかると怖い話」を見聞した経験のある人は多いと思う。この物語形式はクイズの面白さと怪談・都市伝説の怖さを併せ持っており、シンプルな構成ながら写真のように脳裏に焼き付かせる効果がある。本書ではそうした意味を求める物語が四五編収録されている。必ずしも怖い話ばかりではなく、笑いを誘う展開や皮肉な結末も盛り込まれているため題材が豊富であり、物語後の軽妙な種明かしも相まってエスプリの効いた掌編小説集となっている。すなわち本書を全四五編であると同時に全九〇編とも解釈できる。この種明かしは解答編とでも喩える方が適切だろうか。次から次に明かされるぶっ飛んだ仕掛け。その楽しげな黒史郎節に読者は何度も「そんな無茶な!」と仰天することになるはずだ。黒史郎氏が用意した問題は一筋縄ではいかない強敵ばかりなので、挑戦するときは充分思考の柔軟性を養い、発想を飛躍させることを心がけよう。物語の意味を創作するくらい自由奔放な読解を試みると、もしかすると黒史郎氏とのゲームに勝利できるかも知れない。ちなみに小生は清々しいまでの負け越しを喫した。



ヒヅメ坂の子供達
*granat(2019)
*館山緑(著)
 積極的に電子書籍化活動をされている館山緑氏がこのたびオリジナル長編小説を刊行された。館山氏は独自の作風を開拓されている。青春期という大人と子供の狭間で心を揺らす多感な時期と、冷徹で陰のある世界観を混ぜ合わせた物語は類似するものがなく、作者自身による青春陰気小説という的を射た呼称も相まって一分野として確立されているように映る。本作品はそうした館山氏の「青春陰気」と「クトゥルフ神話」を土台とするホラーだ。ある閉鎖的な集落ヒヅメ坂。物語は秋の祭りが迫る頃、ヒヅメ坂で暮らす少年が強い恐怖感に襲われて外出できなくなるところから始まる。彼は四人の幼馴染みたちと、従来の生活に戻れることを願って恐怖の原因を探す。土着信仰、不審者、臭気。さまざまなキーワードを絡めながら真相に肉薄していく構成が巧みであり、読みながら得体の知れない緊張感を覚えた。自分自身土着的恐怖の愛好家だけに格別の感慨に浸らせていただいた。グロテスクで恐ろしい話なので、ヒヅメ坂の情景を覗き見るときは心して挑むように。


海の乙女の惜しみなさ
*白水社(2019)
*デニス・ジョンソン(著)
*藤井光(訳)
 デニス・ジョンソンが肝臓癌のため、六七年の生涯を終えたのは記憶に新しい。彼が現代アメリカ文学の重鎮に加えられるようになったのは、ベトナム戦争を題材とした二〇〇七年の長編小説『煙の樹』刊行と全米図書賞受賞を契機としているが、それ以前から愛書家のあいだでは独自の路線を築いた作家として愛されていた。翻訳担当者である藤井光氏のお言葉を拝借すれば「カルト的に支持される作家」だった。それだけに一九九二年に刊行された第一短編集『ジーザス・サン』と、二五年後に完成を見た第二短編集『海の乙女の惜しみなさ』は彼の作家人生を総括したもので、集大成と称するにふさわしい作品だろう。アルコール中毒者の手紙、刑務所での出会い、麻薬による幻覚、エルヴィス・プレスリーに対する強迫観念。アンダーグラウンドに生きる人間たちを描きながら、同時にアメリカの文化・精神を浮き彫りにする従来の技巧に老境の感性を加味することにより、変わりゆく時代を見送るような情緒性がこめられている。刊行八ヶ月前に世を去る、ジョンソンの最後の一筆である。



*河出書房新社(2019)
*ビアンカ・ベロヴァー(著)
*阿部賢一(訳)
 マグネジア・リテラ賞最優秀賞およびEU文学賞に選出されたチェコの注目作品が阿部賢一氏の翻訳で登場。思わず不思議という漠然とした表現を使いたくなる小説である。主人公が暮らしているボロスという町は湖に面しており、魚肉加工工場や国家主席像のある広場が存在感を示すほかには特筆に値するもののない場所だ。ただし住民は全体的に粗暴で、ロシア軍が駐留している状況も相まって常に不穏な雰囲気を醸しだしている。主人公ナミはこの町で祖父母に育てられてきた。生まれながら父親はなく、母親は幼少期にボロスを去ってしまった。彼の脳裏には湖で溺れかけた自分を介抱する母親のおぼろげなすがたが焼き付いていた。この物語は母親を探す少年の冒険譚であり、大人の道を歩み始める少年の成長譚であり、生贄を要する湖にまつわる幻想譚でもある。いつの時代なのかもどこの国なのかもわからない謎めいた世界。自然の摂理に従うように淡々と生きる人間たちを表現する文体も素晴らしく、これからのベロヴァー氏の活躍に大きな期待を抱かせられる一冊だった。


ゴルコンダ
*惑星と口笛ブックス(2019)
*斉藤直子(著)
 斉藤直子氏は女装騎士デオンの活躍を描いた『仮想の騎士』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。受賞作は先日惑星と口笛ブックスより復刊されており、僭越ながら【読書備忘録】第一八回でご紹介した。その斉藤直子氏の短編小説集が刊行されたのは一読者として嬉しい限り。もっとも短編小説集といっても本書の構成は特殊だ。社会人「僕」と「先輩」を主役とする六編の連作短編と、実在する剣道家山本忠次郎を主人公とする中編『草冠の鬼』で構成されているので、あくまでも小説集と呼ぶ方が適切かも知れない。作品の特色は何といっても抱腹絶倒の展開である。社交性がないのに変な才能ばかりある「僕」といつも騒動に巻き込まれる剛気な「先輩」の凸凹コンビは眺めているだけで楽しく、型破りの修辞技法を盛り込んだ文体の効果もあって良質の笑いを届けてくれるのだ。こうしたコンビの味は『草冠の鬼』でもツッコミ/ボケの役を入れ替えるかたちで表現されていて、一連の連作短編集とは似て非なる喜劇性を堪能することができる。肩の力を抜いて読める素敵な本である。


トランジット
*水声社(2019)
*アブドゥラマン・アリ・ワベリ(著)
*林俊(訳)
 ジブチの作家アブドゥラマン・アリ・ワベリ氏が生まれたのは同国がフランス領ソマリランドと呼ばれていた時代である。一九六七年におこなわれた住民投票の結果、フランス領アファールイッサに改名するほかはおおむね現状維持で決定されるのだが、一九七七年に至ると独立の潮流が俄然強まってついにジブチ共和国が誕生する。ところがフランス領土時代から続いていたソマリア系イッサ族とエチオピア系アファール族との部族対立が激化し、一九九一年から一〇年間にわたる長い内戦の火蓋が切られることになった。本作品はそうしたワベリ氏の体験してきた激動の時代を素材としている。内戦の元動員兵、ジブチ出身で今はフランスに住んでいる現政治体制反対論者とその身内を含む五人の物語だ。フランスの難民・無国籍者保護センターに向かうため降り立ったシャルル・ド・ゴール空港から始まる思惟と回想。各章は語り役の名前でわけられていて、各人に対する意識や社会に対する本音が生々しく語られる。内戦前後に繰り返された残酷な事象、体制に隠された地獄絵図を描出する吐きだすような口語的文体には迫力があり、プロローグとエピローグに施された特殊な構成の効果で、痛烈な風刺性を醸している。


ゆかし妖し
*惑星と口笛ブックス(2019)
*堀川アサコ(著)
 堀川アサコ氏の日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞作がこのたび惑星と口笛ブックス〈ブックス・ファンタスティック〉シリーズ第六弾として復刊。二〇〇六年に刊行された単行本の表題は『闇鏡』であり、二〇一五年文庫版刊行にあたり『ゆかし妖し』に改題された。小生もこちらの表題の方が好み。舞台は足利幕府時代の京の都。衰弱した女が五条大橋の手前、楽しげな男女の逢瀬を望む遊里前の川辺で力尽きる。燃えあがる恨みを抱きながら息絶えた女が最後に見た光景とは。やがて彼女の怪死は京を騒がせる奇怪な事件を起こすことになる。物語の展開は躍動感に満ちていて、細密に織り込まれた伏線との相乗効果で謎めいた幽玄の美が体現されている。また、名うての豪傑にして大の幽霊嫌いである検非違使清原龍雪を始め、どこか食えない面のある放免清輔や女装趣味の漏刻博士大江義時といった登場人物が垣間見せる人間臭さも愛嬌があり、ときおり披露する滑稽なすがたに笑いを誘われるのも本作品の魅力。時代小説の骨組みと幻想味が融和した儚くも美しいエンターテインメント。


ねじの回転
*光文社古典新訳文庫(2012)
*ヘンリー・ジェイムズ(著)
*土屋政雄(訳)
 哲学者である兄ウィリアム・ジェイムズとともに一世を風靡した小説家ヘンリー・ジェイムズは、特定の分野に縛られず、多方面から高い評価を得ている。心霊主義、心理小説、意識の流れ、信頼できない語り手といった技法で構築されている『ねじの回転』はそうしたジェイムズの特徴をよく物語っている。大雑把に説明すると、クリスマス・イブに開かれた会合でダグラスという男に二〇年前死去した女性家庭教師が書き残した手記を朗読してもらい、それを語り手の「私」が書き写したものが本作品だ。なかなかややこしく、胡散臭い話である。けれどもこの信憑性の低さこそ『ねじの回転』という謎めいた怪奇譚を輝かせる大きな要因なのだ。やがて舞台は又聞きしたものを綴った手記、すなわちくだんの女性家庭教師視点に移行し、彼女が人里離れたある屋敷で遭遇した奇怪な出来事の話が始まる。掴めそうで掴めない人間心理の描写も秀逸であり、ヴィクトリア朝時代に書かれた小説ながら当時禁忌とされていた性的事象に踏み込んでいる点も含め、現代にも生きる前衛的作品となっている。


無分別
*白水社(2012)
*オラシオ・カステジャーノス・モヤ(著)
*細野豊(訳)
 オラシオ・カステジャーノス・モヤ氏はエルサルバドルの作家だが、エルサルバドルに移住した四歳まではホンジュラスで暮らしており、大学生時代には軍隊介入によりカナダに亡命、コスタリカ滞在を経て一〇年間メキシコですごし、ようやくエルサルバドル帰国が叶ったら小説の内容が反国家的だと脅迫されて今度はドイツに亡命、二年後アメリカに渡り現在に至るという波乱万丈の一言では済ませられない数奇な人生を送っているので、一国に縛るのは抵抗を覚える。たびかさなる苦難の中で育まれたモヤ氏のジャーナリスティックな眼力は鋭く、その思想は小説によって表現されている。グアテマラの先住マヤ民族虐殺から生き延びた人々の証言を収録した「歴史的記憶の回復プロジェクト」の調査報告書を題材とする『無分別』では、先住民虐殺に至るグアテマラ内戦の血なまぐささがまくし立てるような文体で物語られる。エルサルバドルに住むジャーナリストの主人公。彼は前述の先住民虐殺に関する報告書の校閲を担当している。ところが報告書を読み進める内に元来強迫観念に駆られがちの彼はますます精神に異常をきたしていく。やがて彼は疑心暗鬼を生じ、異性関連のごたごたに巻き込まれる傍ら証言の数々を口ずさみ、現実に存在するのか、あるいは妄想の産物なのか判然としないまま「刺客」から逃げまわるようになる。先住民虐殺の内情と被害者たちの生々しい言葉に精神を蝕まれる彼の様子は、殺戮の凄惨さを代弁しているかのようである。



〈読書備忘録〉とは?



 読書備忘録はお気に入りの本をピックアップし、短評を添えてご紹介するコラムです。翻訳書籍・小説の割合が多いのは国内外を問わず良書を読みたいという筆者の気持ち、物語が好きで自分自身も書いている筆者の趣味嗜好の表れです。読書家を自称できるほどの読書量ではありませんし、また、そうした肩書きにも興味はなく、とにかく「面白い本をたくさん読みたい」の一心で本探しの旅を続けています。その旅の中で出会った良書を少しでも広められたい、一人でも多くの人と共有したい、という願望をこめてマガジンを作成しました。

 このマガジンはひたすら好きな書籍をあげていくというテーマで書いています。小さな書評とでも申しましょうか。短評や推薦と称するのはおこがましいですが、一〇〇~五〇〇字を目安に紹介文を記述しています。これでももしも当記事で興味を覚え、紹介した書籍をご購入し、関係者の皆さまにお力添えできれば望外の喜びです。


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百句鳥

読書備忘録

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