読書備忘録_第2弾_2

【読書備忘録】日本人の恋びとから文豪たちの友情まで

 記録的という生易しいものではなく、新記録を樹立した二〇一八の酷暑。肉体を動かすのも億劫で必然的に読書量が増えております。もう本でも読まないとやっていられません。今回は若干文庫本多めでお送りします。また、全三巻を分割するという初の試みもしており、そちらも注目していただけると嬉しいです。素敵な本がたくさんありますよ。


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日本人の恋びと
*河出書房新社(2018)
*イサベル・アジェンデ(著)
*木村裕美(訳)
 名作『精霊たちの家』で世界的に名を馳せたのは三十六年前になるが、イサベル・アジェンデ氏の積極的な文学活動には翳りも衰えもない。本作品は〈老い〉と〈死〉を主題とする重厚な恋愛物語だ。邦題『日本人の恋びと』は原題『EL AMANTE JAPONÉS』の直訳であり、本編を彩る永年の愛を見事に象徴している。おおまかな筋に触れるならモルドバ出身の若き女性イリーナ・バジーリィがサンフランシスコ郊外にある老人ホーム〈ラークハウス〉で働き始め、個性的な老人たちの世話をする内、ある契機でポーランド出身のユダヤ系アメリカ人アルマ・ベラスコと関わることになる。この老婦人には不可思議な面がある。それは唐突に小旅行に出かけたり、彼女宛に花や手紙が送られてきたりすることが定期的にある点に認められ、やがてベラスコの謎めいた雰囲気はバジーリィの心を揺るがしていく。そうして物語はアルマとイリーナの現在と過去を往来しながら、太平洋戦争以来の人種差別やインターネットにおける犯罪といった諸問題を浮き彫りにするのだ。こうした複雑な歴史的社会的テーマと人種の壁を越える恋愛を融合させた本書はまさに絶品であり、たくさんの人に読まれて欲しい。



はい、チーズ
*河出文庫(2018)
*カート・ヴォネガット(著)
*大森望(訳)
 カート・ヴォネガットの初期作品集であると同時に未発表小説集でもある本書は、アメリカ文学やSF文学といった限定的な枠を超越し、数多の文学愛好家を喜ばせる貴重な一冊だ。冤罪をかけられた者の必死の抵抗を描いたサスペンス、刑事と怪しげな催眠術師との心理戦、バリトン歌手を射とめようと嫌がらせを繰り返すファンの執念。収録されている十四編は分野も文体も異なっており、一つのジャンルにおさめられるものではない。どれも秀逸なストーリーで宝石箱をあけるような楽しみがある。各編の詳細や著者の経歴に関しては、ウォルター・J・ミラー宛のカート・ヴォネガットの手紙、翻訳を担当された大森望氏の後書き、シドニー・オフィット氏や円城塔氏の解説で詳細に触れられているので、ここではひたすらおすすめするにとどめておく。それにしても本作品集を三十代の若さで書きあげたヴォネガットの才能には脱帽。これだけ面白い小説群を発表しないなんて勿体ない!



鏡の前のチェス盤
*光文社古典新訳文庫(2017)
*マッシモ・ボンテンペッリ(著)
*橋本勝雄(訳)
 鏡とは不思議なもので、ふと真似をされているような感覚に囚われることがある。子供の頃、鏡は別世界の入口ではないかと朧気に考えたりした。今でも合わせ鏡などには畏怖に近い感情を抱かされる。イタリアの作家マッシモ・ボンテンペッリは旺盛な活動を続ける中、特別な思い入れのある鏡を頻繁に題材とした。この『鏡の前のチェス盤』は代表的作品だろう。主役は十歳の男の子。罰として部屋に閉じ込められた彼は、古い鏡に映るチェスの駒に誘われて鏡の向こうに入り込む。鏡の世界ではチェスの駒やマネキンが幅を利かせており、祖母や昔家に侵入した泥棒といった意外な人物たちまでいる。彼らの容貌は鏡に映った当時のままなので、祖母とはいっても若き婦人である。この世界では鏡の外とは常識が異なり男の子はしばしば彼らの言動に違和感を覚えるが、元の部屋に戻る手段がわからない以上は話を合わせるほかない。こうして噛み合わない奇妙な対話が繰り返されていく。平易な文体、細かい章わけ。それでいて幻想的で哲学的な内容は果てしなく深い。



変身のためのオピウム/球形時間
*講談社文芸文庫(2017)
*多和田葉子(著)
 二〇〇一年に講談社さんより刊行された『変身のためのオピウム』、二〇〇二年に新潮社さんより刊行された『球形時間』を併録したお得な一冊(とはいえ講談社文芸文庫さんの本だから高額ではある)。多和田葉子氏の文章は言語の可能性を突き詰めた面白味に満ちており、題材によって柔軟にかたちを変えてくるので「これが多和田葉子氏の文体だ」と断言できる一品を決めるのは難しい。それもまた多和田葉子作品の魅力。ギリシャ・ローマ神話の登場人物をかたどった女達の物語を結合させた不思議な連作集『変身のためのオピウム』も、高校生サヤ、カツオ、ナミコ、それに教師のソノダヤスオと太陽信仰者の大学生コンドウといった一癖も二癖もある人物たちを描いた長編『球形時間』も、どこか偏執的な様相を示す点では共通するが、文体も構成も根本的に違い別人が書いたような雰囲気を醸しだしている。読みながら自分がおかしくなりそうな「楽しい混乱」とも喩えられる読み心地。あれは何だったのか、これはどういう意味があるのか。そうして不可解な事象を考察すると引き込まれてとまらなくなる。



夏子の冒険
*河出文庫(2007)
*三島由紀夫(著)
 自由奔放を絵に描いたようなご令嬢松浦夏子、このお嬢さまはある朝「修道院へ入る」と宣言して家族の度肝を抜く。一度決断したら絶対意志を曲げないことをよく知る祖母・母・伯母は、悲哀に沈みながらも承諾するほかなかった。この夏子という女性の自我の強さは天下一品でありおばさま三人組の反応は至極もっともと頷ける。なおこの三人組は『夏子の冒険』に滑稽味を加えるおいしいポジションなので要注目。さて、美貌とカリスマ性を備えた夏子には徹底したこだわりがあった。それは情熱である。彼女は男性が抱く熱い情熱を求めている。ところが交際すると必ず相手は情熱を失い、凡庸な人間に落ちぶれる。そうして失望して見限ることに飽きた末に修道院入りを決意するのだから人騒がせな。あまつさえ仇討ちのため四本指の熊を追う青年井田毅と出会った夏子は、泣く泣く北海道まで同行したおばさま三人組を置いて毅と熊狩りに繰りだすのである。ここから夏子と毅、おばさま三人組、仲介役の人々を交えたコミカルな味わいを含む物語が始まる。とにかく登場人物が個性的で面白い。三島由紀夫は笑いのセンスも抜群なのだ。



カフカ・セレクション Ⅰ 時空/認知
*ちくま文庫(2008)
*フランツ・カフカ(著)
*平野嘉彦(編訳)
 不条理とは便利な言葉だ。本当に便利だ。あまりにも便利で筋道や道理に反する事象を説明するときも、実存主義における非合理的概念を説明するときも(不勉強な小生にはできないが)、果ては「よくわからない物事がよくわからない方向に展開する」状況を一言でそれっぽくまとめられる魔法の表現。それが不条理。だからこそ、便利すぎるからこそ、安易に不条理という枠に作品を収納することには抵抗感を覚える。より作品に親しむため不条理たる所以と向き合いたい。自分の中ではそうした不条理な小説/作家の代表格にフランツ・カフカがおり、その特徴は『変身』をとりあげるまでもなく場所/人物との距離感、常識的とされる心理/解釈からの乖離、突拍子もない出来事を冷徹なまでに淡々と語るテクストに現れている。掌・短・中編を収録した『カフカ・コレクション』シリーズは不条理という感想を振り払うのに忙しい作品集である。いわゆるカフカ的な中編『あるたたかいの記』は勿論、掌編群に見られる奇想の芽生えに脳を刺激される。この不条理との戦いは次巻以降に続く。



カフカ・セレクション Ⅱ 運動/拘束
*ちくま文庫(2008)
*フランツ・カフカ(著)
*平野嘉彦(編)
*柴田翔(訳)
 未完の作品を含む掌・短・中編小説を収録した『カフカ・セレクション』第二巻。運動/拘束という副題の意味は随所にうかがえる。身体を動かす運動もあればシステムとしての運動もあり、物理的な拘束もあれば精神的な拘束もあり、翻訳担当の柴田翔氏が喩えたカフカ・リアリズムの情景が描かれている。第二巻は岩波文庫版『変身』に併録されていた『断食芸人』や、何年も前に練習のため書写した『流刑地にて』(正確には原田義人氏訳『流刑地で』)といった馴染み深い作品がおさめられており、思いがけぬ再会に昂揚すると同時に、当時より多角的な読み方を実践できる僥倖にも恵まれて、大変充実した読書時間をすごせた。それにしても不気味な話が多い。噛み合わない会話を物語に置き換えたような、サーカス、それも見せもの小屋としての原始的なサーカスの雰囲気をただよわせるカフカの世界は独特だ。物語の断片、完成された短編、どれにもカフカ特有の歪みがある。そこにたまらなく惹かれる。



カフカ・セレクション Ⅲ 異形/寓意
*ちくま文庫(2008)
*フランツ・カフカ(著)
*平野嘉彦(編)
*浅井健二郎(訳)
 いよいよ『カフカ・セレクション』シリーズ最終巻を迎える。副題で『変身』が収録されているのは予想した。シリーズの締めに持ってくるとは粋なはからい。ザムザ青年はある朝目覚めると虫に変身していた。変身した理由は明かされないし、変身することで活躍することもない。経済的に一家を支えていたザムザは一転してお荷物に転落、逆に沈んでいた家族は息を吹き返すように生命力を取り戻していく。皮肉な展開だが、あまり冷笑的な印象は受けない。三度目の再読で本作品に思いのほか滑稽な味わいがある点に気付いた。それは支配人が変貌したザムザを目のあたりにしたときの反応に始まり、ザムザが何らかの行動を起こすたび周辺が賑やかになる傾向にも認められる。そうした喜劇性が妹の宣言(ここは本書を読んでいただきたい)に絶望と悲哀の音色を添えるのだと実感した。『変身』の話は溢れているから切りあげるが、人間以外の動物に意味・テーマをこめ、人ならざるものの視点で人を問いなおすカフカの筆致を堪能できる素敵なシリーズだ。



黒い碑の魔人
*青心社(2018)
*新熊昇(著)
 クトゥルフ神話愛好者の間では新熊昇氏のお名前は有名だと思う。本作品は新熊昇氏が手がける〈アイリーン・ウェスト〉シリーズの第三弾。遥か昔フォン・ユンツトが無名祭祀書を著した経緯より始まり、やがて場面は行方不明となった父親を捜す少女アイリーン・ウェストに変わる。謎の洞窟に潜入する展開は冒険心をくすぐり、豪快極まる武人ラス・アルゲティを筆頭とする個性的なキャラクターたちのアクションに魅せられる。クトゥルフ神話ファンだけではなくさまざまな層が楽しめるエンターテインメント性に秀でた小説だ。また、核となるクトゥルフ神話のほか旧約聖書や世界史に関する知識がタペストリーのように編み込まれているのも特徴で、その織り交ぜ方を眺望したり、出典を探ったりするのも面白い。続きものながら前作を知らなくても物語に入れる構成なので、過去作を知らないからと遠慮する必要はない。むしろ本書を契機に『冥王の刻印』『災厄娘 in アーカム』に触れることも積極的におすすめする。なお事情によりリンク先はAmazonです。



文豪たちの友情
*立東舎(2018)
*石井千湖(著)
 前書きでも語られている通り、この頃は『文豪ストレイドッグス』『文豪とアルケミスト』といった近代文学を代表する文豪に焦点をあてた作品が人気を集めていて、文豪が密やかなブームになっている。本書は豊富な資料を元に文豪たちの交流を物語る優れた案内書だ。永遠の親友、早すぎる死別、絶交と和解。格別の友情を交わしたコンビがテーマ別に記述されていて、堅苦しさのない柔和な語り口の効果もありどこかカップリング(!)に喩えられるような、端的に言うなら耽美的な友情の世界を楽しめるので、その手の雰囲気を愛好する方はよりのめり込めると思う。文豪の相関図を眺めるとあの人もこの人も関わり合っており、あえて「二人の友情」をとりあげるのは至難の業だが、それを実現できたのはひとえに石井千湖氏の洗練された手腕あってのもの。近代文学の傾向・風潮に触れているので、改めて日本文学の歴史を咀嚼したい人にもおすすめ。



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 読書備忘録ではお気に入りの本をピックアップし、感想と紹介を兼ねて短評的な文章を記述しています。翻訳書籍・小説の割合が多いのは国内外を問わず良書を読みたいという小生の気持ち、物語が好きで自分自身も書いている小生の趣味嗜好が顔を覘かせているためです。読書家を自称できるほどの読書量ではありませんし、また、そうした肩書きにも興味はなく、とにかく「面白い本をたくさん読みたい」の一心で本探しの旅を続けています。その過程で出会った良書を少しでも広められたら、一人でも多くの人と共有できたら、という願いを込めて当マガジンを作成しました。

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