読書備忘録_第2弾_2

【読書備忘録】ドニャ・バルバラから落下症候群まで

 先日スマートフォンを購入して日常をアップデートしました。それに関しては以前雑記で書きましたね。とはいえ電子書籍はデスクトップか電子書籍端末を利用しているので、今のところ読書環境自体は従来通りです。それでもこの未来機器が新たな世界を見せてくれるのではないか、と期待しています。というわけで(?)今回もお気に入り本を紹介しますね。


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ドニャ・バルバラ
*現代企画室(2017)
*ロムロ・ガジェゴス(著)
*寺尾隆吉(訳)
 ロムロ・ガジェゴス賞でおなじみのロムロ・ガジェゴスの小説を拝読するのは初体験だった。舐めるように読み、ラテンアメリカ文学を育成してきた古典の味をじっくり賞玩した。一九六〇年代以降に流行するマジックリアリズムや重層的な構造の面影はまだ見られず、国境が曖昧だったラテンアメリカにおける国家統合事業に乗じた叙事詩の印象を受ける。開拓の物語とでも言おうか。それは訳者の言葉を借りるなら文明と野蛮の対立であり、主人公サントス・ルサルドと適役ドニャ・バルバラと両者の間に立つマリセラを支柱とした、ジャノ(平原地帯)文明化にあたって繰り広げられる激動の歴史ドラマである。後年には勧善懲悪を匂わせる物語に批判の声があがったが、ベネズエラに端を発し、ラテンアメリカにおける文学的素地の構築に一翼を担ったロムロ・ガジェゴスの功績は偉大であり、代表作である『ドニャ・バルバラ』を否定的に論じたところで不毛な論争の域を出ないと思う。それに心理・自然を巧みに表現するガジェゴスの筆致は文学的価値が高い。固定観念は引きだしにしまい、素直に読む方が楽しめるはずだ。



酸っぱいブドウ/はりねずみ
*白水社(2018)
*ザカリーヤー・ターミル(著)
*柳谷あゆみ(訳)
 架空の地〈クワイク街区〉の住人たちが巻き起こし、巻き込まれる不条理と寓意で彩られた五十九編の短編集『酸っぱいブドウ』と、果てしなき質問責めで周囲の人々を困惑の渦に陥れる六歳児〈僕〉の行動を追跡する中編小説『はりねずみ』を収録した、ザカリーヤー・ターミル氏の作品集。ターミル氏は現代シリア文学を代表する作家であり児童文学者・ジャーナリストといった肩書きを持つ。面白いことに二作品は毛色は違っても児童文学的な語り口とジャーナリスティックな風刺性を兼ねており、冴えに冴えた筆運びがうかがえる。貧困に喘ぎ暴力がはびこる〈クワイク街区〉ではさまざまな住人が理不尽な破滅に見舞われる。その構成は聖典に書かれている逸話の数々を物語るようでもある。壁や木と対話できる少年〈僕〉の憂愁をただよわせる日々の記録も例外ではない。成長する過程で容赦ない暴力に直面して、何度も苦渋を味わう少年の瞳には現代に引き継がれている社会的問題が映り込んでいる。コミカルとシニカルで喩えたのは言い得て妙だ。



コロニアルタイム
*惑星と口笛ブックス(2017)
*大滝瓶太(著)
 不思議な小説集だった。数学者岡崎忠邦の軌跡と父子の関係、チェスとナイトツアーを鍵に岡崎忠邦の経歴を辿る『騎士たちの可能なすべての沈黙』。退屈でつまらないと酷評されるイタロ=カステルヌーヴォ・カニーノによるギター独奏曲「ソナタ・ルナティカ Op.69」は如何にして生まれたのか、幼い頃から英才教育を受けるも音楽における才能の壁にぶつかり破滅の道を歩みだすカニーノの数奇な運命を綴る『ソナタ・ルナティカ Op.69』。東京オリンピック開会式で自爆テロが発生、犯人である鮫島康人がテロを決行した理由とは。鮫島康人を突き動かした神の領域に至る数学的理論を紐とく『演算信仰』。〈わたし〉と〈左手〉と〈セルビア〉をめぐる幻想的な物語『コロニアルタイム』。オムニバスでありながら各編を犠牲にせず、独自の物語性を確保しているのは柔軟な筆力の賜物。なお本作品には数学的な知識が随所に組み込まれているが、数学の得手不得手に左右されない丁寧な構成なので安心して読もう。大丈夫。数式を眺めるだけで箸の持ち方もわからなくなるほど混乱する小生が平気だったのだから。



 夜ふけと梅の花 山椒魚
*講談社文芸文庫(1997)
*井伏鱒二(著)
 井伏鱒二の代表的な短編小説『山椒魚』と原型『幽閉』を併録した十六編の短編集。『山椒魚』は有名な作品であり、何度目かの再読になるけれども『幽閉』は初読だ。山椒魚が大きくなりすぎて岩屋から出られなくなる型は同様ながら、蛙と睨み合いを始める『山椒魚』に対して『幽閉』は海老と憂愁をわかち合う情緒的な内容になっている。共通するテーマを巧みに変形させることで、全然違う物語になるのだから面白い。こうした調子ゆえ各短編それぞれの魅力は語り切るのは難しい。ただ、子供の頃に読んで以来胸に残り続けている作品がある。それは『屋根の上のサワン』だ。あるとき主人公は羽を怪我をした雁を保護して、サワンと名付けて面倒を見始める。サワンは大変懐いていたが、やがて飛ぶことへの思慕に駆られ、屋根の上で悲痛な鳴き声をあげるようになる。その視線の先には空を飛び交う雁の群れ。個人的な話を吐露すると動物を偏愛する身だけに、こうした哀れな情景に触れると精神が乱れてしまう。幻想を帯びた結末は読んで確認していただきたいが、歳月を経ても読了後の気持ちは変わらなかった。



横しぐれ
*講談社文芸文庫(2008)
*丸谷才一(著)
 故丸谷才一と言えば、ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』の翻訳に関わるといった英文学者の面、現代社会と歴史的仮名遣いを融合させた前衛的作家の面を併せ持った文学者として知られており、その斬新な小説作法には小生も憧れている。中編一編と短編三編を収録した『横しぐれ』にも丸谷才一らしい哀愁や皮肉がこめられている。表題に選ばれた『横しぐれ』は父となじみの先生が茶店で出会った乞食坊主(今では危険球の呼称)を俳人種田山頭火と睨んだ〈わたし〉が真相解明のため渉猟する物語で、途中まで作者の随想録ではないかと勘違いさせるほど現実的で生々しい描写が特徴。併録されている短編『だらだら坂』『中年』『初旅』もそれぞれ個性的で、中でも二人の語り部が登場する『初旅』はだましの技巧を用いて読者を混乱に陥れる憎らしい構成ゆえ印象に残る。歴史的仮名遣いで書いてあると聞くと小難しいイメージを抱きそうだが(実際難しい文章は多い)、丸谷の凄さはそうした文字遣いを身近で平易なものに換えてしまうところにもある。文章自体の面白味を追求した氏の小説はとても好き。



漂民宇三郎
*講談社文芸文庫(1990)
*井伏鱒二(著)
 芸術院賞を受賞した名著ながら何故か自選全集未収録の本作品。このたび電子書籍版で初めて読み、感銘を受けた。井伏鱒二は『ジョン万次郎漂流記』しかり、数奇な人生を歩む漂流者と相性がよいらしい。時代は天保。兄金六と弟宇三郎は仲間たちと松前を出航するもたちまち遭難し、長きに渡り飢餓と恐怖の漂流生活を強いられる。やがてアメリカの捕鯨船に救われた彼らは帰国を夢見て各国を遍歴することになる。ハワイからロシアまでめぐる宇三郎たちの旅、そのスケールの大きな歴史を追究する筆致はあくまでも冷静で説得力がある。こうした説得力はときおり物語から離れ、史実であることを強調するように概説を加える人間臭い文体の所産だろう。小説によっては自分の首を絞めかねない癖ではあるが、この小説とはぴったり息が合う。本作品は個人に焦点をあてるよりも「漂流者たちの記録」という観点で書かれており、宇三郎の名前を表題にしながらも宇三郎以外の人物の言動や証言に依拠する点が特徴的であり面白い。それはどこか宇三郎を物語的に漂流させるような侘しげな余韻を生みだす。



魔術的リアリズムの淵源 アストゥリアス文学とグアテマラ
*人文書院(1997)
*高林則明(著)
 ノーベル文学賞受賞者であり、マジックリアリズム(魔術的リアリズム)の創始者の一人にも数えられるラテンアメリカ文学を代表する作家ミゲル・アンヘル・アストゥリアス。本書は彼の著作である『トウモロコシの人間たち』をとりあげ、表意性や神話的現実の表現、さらには非常に感覚的な修辞技法について、ブラジルを含む中南米諸国(イベロアメリカ)およびスペイン語圏中南米(イスパノアメリカ)におけるインディオの歴史と照らし合わせながら概説する。三〇年以上前に書かれた学術書だけに全体的に古めかしさは感じるけれども、マジックリアリズムの定義に踏み込み、神話的構造やアストゥリアスならではの技巧を解明する記述はとても参考になった。アストゥリアス作品、ラテンアメリカ文学の特殊性を引き立てる好著と言える。惜しむらくは、というか哀しいのはアストゥリアスの作品があまり翻訳されていないこと。それは本書で語られた『トウモロコシの人間たち』も例外ではない。とほほ。



老練な船乗りたち バイーアの波止場の二つの物語
*水声社(2017)
*ジョルジ・アマード(著)
*高橋都彦(訳)
 一九七八年、旺文社文庫より刊行された『老練なる船乗りたち』が水声社さんより復刊された。訳者曰く「読みやすいものに改めた」結果表題も少しだけ変えられたようだが、個人的には「老練なる」の方が流れのある表現で好きだから複雑な心持ちでもある。それはさておき、短編と長編で一をなす本書はおもに〈船〉〈二面性〉〈第三者の考察〉で繋がっており、短編『キンカス・ベーホ・ダグアの二度の死』は家族に迷惑ばかりかける厄介者であり、友人知人たちの信頼を集める船乗りでもあるキンカスの死を追究する。長編『遠洋航海船長ヴァスコ・モスコーゾ・ジ・アラガンの物議をかもした冒険談についての紛れもない真実』は遠洋航海船長になり切り羨望と尊敬のまなざしを集め、やがて妬みや疑いを買って化けの皮を剥がされるものの奇跡の大逆転劇を見せるという、荒唐無稽にして皮肉な喜劇が演じられる。長さも展開も異なるのに呼応し、補完し合う構成はさすがブラジル文学の大物ジョルジ・アマードといった練り込み。優劣決めがたい二作ともども深みがある。



島とクジラと女をめぐる断片
*河出文庫(2018)
*アントニオ・タブッキ(著)
*須賀敦子(訳)
 舞台であるアソーレス諸島(日本ではアゾレス諸島表記が主流)は九つの島からなる群島であり、ポルトガル領ながら大西洋の向こう約一四〇〇km離れたところ存在する温暖な地である。豊かなオレンジの香りがただよい、牛たちはいななき、手銛での捕鯨がおこなわれる伝統的な生活模様、そうしたアソーレス諸島の情景を活写し、複数の物語にまとめた本書は随筆と小説の要素を併せ持った独特の作品だ。アントニオ・タブッキは妻と同諸島ですごした時期があり、当時の日々から着想を得て本作品集を手がけた。なお原題は『ピム港の女』という。海とクジラを筆頭に、太陽と潮風、男女の対話を詩的に綴る物語群を象徴する表題だが、島とクジラを印象付けたいという須賀敦子氏の思いで名付けられた『島とクジラと女をめぐる断片』も秀逸で、できるだけ原題に忠実なのを願う自分もこの表題には好感を抱いている。まさにアソーレス諸島の日常風景の断片を眺めるような趣がある。



落下症候群
*granat(2018)
*館山緑(著)
 小説、シナリオ、同人ゲーム等々広範に活躍されている館山緑氏のオリジナル小説デビュー作品。刊行年は二〇〇一年であり、二〇一四年のKindle版を経て二〇一八年に楽天Kobo版も配信開始された(Kindle版も最新になった模様)。小生が拝読したのは楽天Kobo版だ。夏季特別講習に参加するも、気乗りしないままクロスワードパズルに精をだす少年。ありふれた日常に退屈を覚える彼は隣のビルの屋上に少女を見付け、少女もまた彼を見付ける。それは奇遇な、不可思議なな瞬間でもあった。ところが交わる視線のあいだを〈何か〉が落ちたときから、カンヴァスに描かれた彼の退屈な日常風景はたちまち緊張感と焦燥感に満ちた世界に変わるのであった。往来する少年少女の視点、思い乱れる彼らの心情。サスペンスの香りと巧みな心理描写で惹き付け、見えざる不安は徐々にかたちをなしていく。青春と陰のある雰囲気が溶け合ったストーリー、情緒性豊かな少年少女の交流が胸に染み入る。



〈読書備忘録〉とは?


 読書備忘録ではお気に入りの本をピックアップし、感想と紹介を兼ねて短評的な文章を記述しています。翻訳書籍・小説の割合が多いのは国内外を問わず良書を読みたいという小生の気持ち、物語が好きで自分自身も書いている小生の趣味嗜好が顔を覘かせているためです。読書家を自称できるほどの読書量ではありませんし、また、そうした肩書きにも興味はなく、とにかく「面白い本をたくさん読みたい」の一心で本探しの旅を続けています。その過程で出会った良書を少しでも広められたら、一人でも多くの人と共有できたら、という願いを込めて当マガジンを作成しました。

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