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なぜ、ブランコはしっかりと揺れ動くのか

寺田蘭世(てらだらんぜ)と言えば

前回前々回とは少し角度を変えて、今回は蘭世さんが、他のメンバーからどのように認識されていのるかをきっかけにして、寺田蘭世という人間を考えていく。一通り記録をひっくり返したその結果は、中々に上々な代物だった

みんなそれぞれにきっと正義観とか自分が正しいと思ってることって1つあると思うんですけど、それをこう、共有してこずに「私の正義はこれだ」っていうのを真正面に見せてくれて、その正義を1つもブレたことがない(北野日奈子/2021年/Documentary of Ranze Terada)

入った時からずっと変わらない信念が彼女にはあるので、彼女らしく、もう強気で(伊藤かりん/2016年/アンダー ドキュメンタリー〜つま先の向こうに〜)

変とは思わないですけど、考え方がブレないって感じです。『これが蘭世さん』って時がある(岩本蓮加/2019年/乃木坂46新聞)

気が強すぎて誰も勝てない。そのくせ言い返してくれる人じゃないとイヤらしいので、結婚はムリ(相楽伊織?/2017年/乃木坂工事中 ♯123)

尋常一様ではない。正義やら信念やら、アイドル界ではまあまあレアそうな言葉がドンドン出てくる。強そうで。硬そうで。それ以外にも、

大きな柱(鈴木絢音/2018年/ラジオ)

ちょい昔の曖昧な出典で申し訳ないが、鈴木絢音さんは寺田蘭世さんのことをこのように評していた。そう答える理由は「軸が絶対ブレない」から。そう語る鈴木絢音さん自身が中々に骨のある人物なのを踏まえると、傾聴に値する意見だ

世の中、人を評する言葉にも色々あるが、誰かが寺田蘭世を語るときは1つのハッキリとした傾向がある。柱、強気、信念、正義……etc. 表現の仕方は様々だが、それぞれが言わんとしていることにそう大きな隔たりはないと思う。ならば、

寺田蘭世はどんなやつ?

↑のワードからパッと目の前に浮かぶのは、烈火の如く熾烈な人間だ。現に今、私の記憶や記録の中には "熱い" 言葉を吐く寺田蘭世さんがデカデカといる。炎と同じ赤い色を好み、何事にも気合1つで向かっていくあの寺田蘭世だ

別に公言しなくたって良い事です むしろ、大きな声で言う方が馬鹿だと我ながら思うんです。だって、叶わなかったら恥ずかしい なら、言わないほうが楽 普通ならこう考えると思います。でも、私は不器用 スーパー不器用です だから、言います! 言い続けます!(寺田蘭世/2016年6月9日/乃木坂46個人ブログ『う。』)

だからこそ今回はグッと飛ぶ為の助走を今までより大きく踏み切りたい。この皆さんの「悔しい」 私に思ってくださった方全員分背負いたい! 背負わせてください! だから一緒に戦うって言うと意味が少し違うけど 負な気持ちと戦いたい。砕きたい。見てて欲しいです(寺田蘭世/2016年10月23日/乃木坂46個人ブログ『2㍉を8mmにする』)

乃木坂46に加入した直後のセンター宣言に始まり、アンダーライブや選抜発表でのド直球な熱い言葉の数々。そして今や、ファンからの語り草となっている通称 "炎のスピーチ"。寺田蘭世とは "熱い" 人間だ

しかしそれだけではない

武道館の私も嘘じゃないけど、それは私の中の一部分で、あれがすべてじゃない。そんなことを分かってくれる人がいたらいいなと思います(寺田蘭世/2019年8月/EX大衆)

寺田蘭世さんの、全身全霊をぶつけるかのような "熱さ" は強烈な印象を与える。その為、↑に挙がった信念やら正義やらも "熱い心" の一言でステレオタイプに考えてしまいたくなる。しかし、私の記憶や記録の中にいる寺田蘭世さんは、ひたすら "熱さ" で炙ってくる人ではなかった

前々回でも紹介した『らんぜのNEWSでとまらんぜ』というコラムがある。このテキストを書くにあたって全文を読み返したが、そこから一番伝わってくるのは "熱さ" というよりも "暖かさ" ひいては "優しさ" だった。文章が得意な人ではない。知識が豊富な人でもない。ただ、そこには他者へのいたわりがあった。この世のやりきれなさに対して寄り添う精神があった

寺田蘭世さんを評する言葉にはこんなのもある

触れないぐらい熱いです(笑)。熱いけど、その中に時々すっごい冷たい部分を持ってるんですよ(久保史緒里/MARQUEE Vol.125)

冷たい……?

『私はアイドルだから』っていうよりかは、一人の人間、寺田蘭世として『私の考えはこうだ、こうだ』って言ってるけど、時々見せる『あ、でも……』っていう引きの部分にすごい冷たさを感じて。でも私はその部分がすごく好きなんです(久保史緒里/MARQUEE Vol.125)

これだ

これを "冷たさ" と表現するのは久保史緒里さん一流のセンスだが、似たような考えなら私も抱いたことがある。それも一度や二度ではない。↑の発言を読んで即座に「あー! あれかー!」ってなるぐらいには、今まで何度も目にした現象だ

この他にも、乃木坂46版ミュージカル美少女戦士セーラームーン、通称セラミュで共演した女優・山内優花さんはこう語っている

無邪気に笑う姿はとってもキュートだけれど、凛としていて常に冷静さがどこかにある。自分というものを強く持っていて、多分何に対してもちゃんと「戦っていく」ということの覚悟がある人(山内優花/2018年5月/かなりゆかなり)

物事に対して、疑いとか疑問を抱ける人。そして、そのことが時にマイナスにも働いてしまうくらい、本人も理解してる彼女自身の難しさがある人だった(山内優花/2018年10月/かなりゆかなり)

冷たさ、難しさ、冷静、疑問……、パッと頭に入ってくる "熱い" イメージとは一風異なる、そういった寺田蘭世像が徐々に浮かび上がってくる

寺田蘭世は一筋縄じゃいかない

私は寺田蘭世さんのことを魅力的な人物だと思っている。そうでなければこんな文章は書かない。メモ書きやらブログやらインタビューやらを丸ごとひっくり返して執筆に至るまで丸々2ヶ月かかってしまっている。少なくともそのぐらいには好きなのだと思う。ただ、一口に好きと言ってもいろいろな "好き" がある

例えば。誰かと話してる最中、ノータイムでバシッと言葉をぶつける寺田蘭世がいる。いっそ清々しくて好きだ。そしてその一方、瞳を右に寄せて何かを考えてから発言を行う寺田蘭世もいる。そういうときのそのひとには、軽々しく間合いに入れない孤独な雰囲気がある。私はそれもまた好きだ

先輩からかわいいことを求められて今にも死にそうになっている寺田蘭世もいれば、自分からかわいいことをしているとしか思えないほど他人に甘えてくる寺田蘭世もいる。素っ気なくドライな反応を示す寺田蘭世もいれば、たわいもないミニゲームで勝っただけで人目を憚らず喜びまくってる寺田蘭世もいる。この人どんだけ勝ってきてないんだってぐらい、屈託なく喜んでたりする

乃木坂工事中の収録でビッグカメラに行った際、何やら妙に堂々と歩いていて楽しそうだった寺田蘭世がいる。あるいは同じ時期、ガクたびで調理師学校に行った際、経験のない料理に慌てふためきながらも意外とできる自分を発見し、フライパンを2つ使ってやたらめったら喜んでいた寺田蘭世がいる

ラジオの生放送中、焼き上がったトーストを齧る音をリスナーに聞かせるという謎の企画に恥ずかしがる寺田蘭世がいる。また別のラジオでは、"ピーナッツ" という言葉のみで言い合いするという謎の勝負に異様な負けん気を発揮して、相手の小細工に王道のピーナッツで勝利を納めた後「混ぜもんしてんじゃねえよ!」と荒ぶる寺田蘭世もいる。何を言っているのか自分でもよくわからない

びっくりするほどゆるゆるな寺田蘭世もいる。御本人の言葉を借りるなら、へにょくて、ふにゃふにゃしてて、ユルくてヘタレな寺田蘭世。かつて生配信で、鈴木絢音さんに抱きついて甘えて(怖がられてる)姿を見たときは軽く目を疑った

乃木坂46のメールサービス(通称モバメ)では、律儀で、生真面目で、時には雑に絡んでくる寺田蘭世がいた。それでいて、真心の籠もった言葉を真正面から送ってくる人だった。そのどれもこれもが私は好きだった

寺田蘭世さんの振り幅は極めて多彩だ。一事が万事、変化に富んだ人である。表情も、声色も、髪型も、衣服も、温度感も、雰囲気も、目まぐるしく移り変わっていく寺田蘭世さん。同期の堀未央奈さんも「日によっていろんな蘭世がいる」と言っていた。長年、一緒に仕事をしてきたスタッフさんですら「何年一緒にいても分からない」というほどだ。一筋縄ではいかない寺田蘭世という人間を、一言でざっくり言い表すのは極めて困難だ

……おかしい

↑の方にある言葉をふと思い出す。寺田蘭世とは "軸が絶対にブレない大きな柱" だったハズ。なぜこうも振り幅の大きい人が何らかの一貫性を評価されるのか。そしてなぜ私自身、寺田蘭世さんのことをそのように捉えているのか

世間一般的に、あっちにいったりこっちにいったりな人が "多彩" と称されることはあっても、ブレずに "一貫" しているとはあまり言われない。常に一貫して多彩だったとしても、その場合は「あいつはいつも多彩なんだ」といった具合に、あくまでも、多彩であることが第一に言われると思う

寺田蘭世さんは何かが違う。常に揺れ動いているのに、全くブレないとまで言われている。それはつまり不動の精神があるということになるが、実際には、まるでブランコのように振り幅が大きい。その意味では全く安定していない

だが寺田蘭世さんからは……、これは私の心証でしかないのだが、躁鬱的な情緒不安定とはまた1つ違ったものを寺田蘭世さんからは感じていた。その揺れっぷりからうかがえる妙な安定感。長年一緒に仕事をしてきたスタッフさん達から "いつも違う" と言われる一方、"変わらないね" とも言われてきた人だ

なぜか

2期のメンバーは、みんな芯がしっかりしてるけど、蘭世は1mぐらい太いんです。侍みたいな、しっかりしたアイデンティティがあると思います(山崎怜奈/2020年1月/月刊エンタメ)

ちゃんと明確に「私はこういうことがやりたいです」っていう目標とか夢をちゃんとどこでも口に出して言える、その強い芯がちゃんと通ってる、一本(桜井玲香/2017年/ラジオ)

蘭世さんの言葉には、いつも嘘がなくて、芯があって、でも優しくて(弓木奈於/2021年11月5日/乃木坂46個人ブログ)

              芯

寺田蘭世さんを評する似たような言葉の中の1つだが、この言葉が私の頭の中で連鎖していた。芯、安定、揺れる、振り幅、ブランコ……ふと思い立つ。私は根本的なところで考え違いをしていたのかもしれない

多彩なのに一貫しているのはなぜだろうと考えていたが、むしろ人並み外れて一貫しているからこそ、多彩になれると考えるべきだった

私には先入観があった。いわゆる芯の強い人とは不変不動の人であり、他に目移りせず、同じ構えから、同じ動きをバシッとキメる人だと考えていた。漫画で言うなら、悪・即・斬の一言を代名詞として、ひたすら一直線に牙突を繰り出す斎藤一(るろうに剣心)みたいな人間像を漠然とイメージしていた。いい意味で、金太郎飴のような在り方なのだと。今は少し違う

揺れ動く人にこそ強固な芯が必要なのではないか

"揺れる" というのは危険と隣り合わせだ。例えば感情。人間は繊細な生き物だ。感情が大きく波打つと体調をぶっ壊すことすらある。その点、寺田蘭世さんは感情と共に歩んできた人であり、(前回も述べたように)恐怖と気合の狭間で数えきれぬほど揺れ動いてきたハズだ

あるいは、大きく揺れた拍子に偏りすぎて、そっちに行ったっきり戻ってこられないリスクもある。物事の原因や動機を1つに決めつけてしまってそれしか見えなくなったり、自分を尖らせることに固執するあまり別の可能性を見落としてしまったり、自分に悪意を持って接してくる者への敵意に囚われてしまったり

私にもある。何度もある。一度大きな衝撃を受けると、そのことばかり考えてしまいがちだ。その点、人前に出るアイドル業を営んできた寺田蘭世さんは、極端な言葉をぶつけられたことが度々あったと思う

しかし寺田蘭世さんは、波はあれどずっと途切れない熱さを持つ人であり、「自分はこう思う!」という考えをしっかり出しつつも引きの冷たさを併せ持つ人だった。自分自身の揺らぎに決して呑み込まれてはいない

今の社会は、第三者の意見や発言を嫌でも気にしすぎなきゃいけない世の中なのかなと思います。でも、こんな時代だからこそ自分を見失わないように、後悔の無いように生きることも大切なのではないかなと(寺田蘭世/2018年8月25日/らんぜのNEWSがとまらんぜ)

寺田蘭世さんは自分の感情に素直で、自分の意思を貫くことに人一倍こだわっている節がある。得てしてそういう人は極へ極へとひたすら尖っていくものだが、寺田蘭世さんのそれは "中庸" に映る瞬間さえある。勇気を振り絞ってアクセルを踏むし、時には流されずブレーキも踏める。寺田蘭世という人は車の揺れを心地良く感じる人間だそうだが、心の揺れにおいても紙一重の安定感があった

ブランコは大きく揺れてもぶっ壊れない。振り子の支点がしっかりと定まっているからだ。寺田蘭世さんには通常より1m以上も太い芯が埋まっているという。それが一種のバランサーになるとしたら。多彩でありつつ、一貫性の目立つ人間が誕生するのではないか。ずっと "寺田蘭世" でいられるのではないか

それどころか、寺田蘭世さんは自分からも揺れる。1人の人間の中にある様々な側面を押し殺さず、その多彩な振り幅を1つの個性として昇華させているのが寺田蘭世さんだ(後々言及する)。そこまで考えて私は思った

寺田蘭世って強いんじゃないのか?

私が知らない強さだった。もちろん現時点では、自分の記憶と他人の言葉から逆算して考えたにとどまり、まだハッキリとは言えない。だが、一言では到底言い表せないこの寺田蘭世なる人物のことを、私はもっと知りたいと思った

アイドルとしては見出しを付けやすい子のほうがいいかもしれないけど、長い目で観たときに自分はそれじゃ楽しくないなって。「今日も掴み切れなかった」と思われる人でいたいんです(寺田蘭世/2019年8月/EX大衆)

自分の想いをハッキリと伝える一方で、安易な単純化を戒めるかのような姿勢。この在り方、この生き様、一人の人間として、私は寺田蘭世が面白いと思った。そのひとの中には太い芯があるという。心の中は見えない。私には見えない。誰にも見えない。それでも "ある" と皆からこぞって言われるような人

寺田蘭世として生きる人生は1回きりです。皆さんも自分として生きるのは1回きりです。他の人の意見も聞き入れるのは凄く大切なこと。でも、自分の決めた事は後悔のないように成し遂げる生きる。それが自分にとっても最高だし、見てる人も清々しいんじゃないかな。誰も私の代わりは出来ないし私も誰かの代わりは出来ない 誰かの代わりになるなんてことも無い(寺田蘭世/2017年10月23日/乃木坂46公式ブログ『唯一無二』)

もっともっと知りたいと思った。寺田蘭世はいかにして揺れ動くのか。寺田蘭世の芯とは何なのか。次回はさらに踏み込んで考えていく。テーマは #個性

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今を去ることうん年前、14thの個人PVに『Don't be afraid to be FREE!!』という作品がある。のぎ動画に上がっているので、興味があったら観てほしい。可愛くて、鋭くて、緩やかで、冷たくて、暖かくて、核心を突いてくる。そんな寺田蘭世さんの魅力が短く凝縮されているから。そして長らく経った今、そういった寺田蘭世さんの在り方は、より輝きを増して写真集にも載っている

寺田蘭世1st写真集『なぜ、忘れられないんだろう?』


前回⇒なぜ、蘭世の左胸には勇気があるのか

次回⇒なぜ、ブランコは前へ前へと歩き続けるのか


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