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観点

バスに乗り
シェムリアップからやって来たのは
カンボジア二つ目の都市にして
首都「プノンペン」でした。

プノンペンは旅中に会った日本人の
オススメで
'Lovely Jubblly Villa'というホステルへ。
プールやビリヤード台もあり
欧米のバックパッカーで賑わっていました。
そして毎晩開かれる
ダーツ大会にも参加しました。

プノンペンでトゥクトゥクに乗って
向かったのは
「キリング・フィールド」と
「トゥールスレン強制収容所」。
先の記事でも紹介した
ポル・ポト政権による虐殺が
行われていた場所です。
1970年代。
そう遠くない過去に
この地で悲劇が起きていたのです。
これが日本で起きていたならば
親や祖父母が生きている世代。
僕はここに存在していなかったかもしれない。
そう思いました。

先日
ラジオでヒトラーの独裁政権について
学びました。
皮肉なことに
ヒトラーは自己の利権よりも
当時不況であったドイツという国をより
優先に思っていた人物。
そしてナチスは選挙により民主的に
政権を獲得したということ。
しかしいきすぎた思想は
悲劇を生んだわけです。
そして人々は
虐殺という悲劇を黙認していたわけです。
時に
「常識」を疑うことも必要なのだと思います。
集団の心理とは恐ろしいものになりえます。

あまり詳しくはありませんが
きっと
ポル・ポト政権での虐殺も彼らの信念の
もとで起きた悲劇だったと思います。
しかし人の生きる現在を他人が
どうして奪うことができましょうか。
やはり命がこうも
容易く失われてはいけないと思いました。
人が国をつくるのです。

そして今も世界の各地で争いが
起きています。
不況の一因としてみるのではなく
そこで今もなお、祖国の為に戦い
またいくつもの命が消えていっている
ということを忘れてはいけません。

トゥールスレン強制収容所
収容者のベッド



平和学習の次の日は
プノンペンのイオンモールに行きました。
こんなとこにもイオンが。
吉野家で牛丼を食べて
束の間の日本を感じて
セントラルマーケットに行き
ショッピングを楽しみました。

そして1ヶ月弾丸東南アジアの旅は
3ヶ国目に突入しました。

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