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何かが私たちをどこかに連れていく。その何かの正体について考える。(考えるだけ)

言葉にならない感情が涙となって溢れてくる。
いや、長い時間ひとりでめそめそ泣き続けているわけではなくて、キャリーケースをごろごろ引いて外を歩いている時に、色づいた銀杏の木を見ている時に、風が髪の間を通り抜ける時に、ふと自分がいただいてきたものが頭をよぎって、言いようのない感情が生まれて涙となっている。そんな感じである。

1人で2泊3日で大阪に来た。2023年12月の2週目。
大阪に来るのは大学の卒業旅行以来で、4年ぶりとなる。当時は関西にいる知り合いはごく僅かで、特別な思い入れがあるというような土地では特になく、ユニバや海遊館に行ったり、たこ焼きを食べたりして過ごした。

今回の遠出の主な目的は、ここ1年ほどの間に、オンラインでの繋がりで知り合った人たちに会いに来ることだった。何度かオンラインでお話をしていたり、SNS上ではお見かけしたりしているけど会ったことのない人たち、夏に東京で初めて対面して以来の再会となるような人たちに、会いにいく旅をした。そして不思議なことに、その人たちとは、かなり個人的な曖昧な部分について、お互いになんとなく知っているのである…。まあそれはほんとになんとなくなのだけれど。
その合間に東京で知り合った友人たちとも会ったので、(友人のうちの1人についてはほんとに一瞬顔を見に行った程度になってしまったが…笑)なかなか密度の濃い3日間だった。

なかなかに密度が濃かったので(2回言う)、書き留めておきたいというか、書きながらあれは一体なんだったんだというようなことを書きながら考えたく、久々にnoteを開いた次第だ。
別にインスタやXやFacebookでもよかったのだけど、書こうと思えばいくらでも膨らますことができる予感があったので、まとめて書いた上で投稿したくこちらにしておいた。

さて、これは時々思い出すことなのだけど、大学3、4年の頃の私は全能感に満ちた学生だった。都合の良い勘違いが良くも悪くもできていた時期だと思う。
なんとなくやりたいと思ったことは一つひとつやってみたし、失敗してもそれは本当の失敗では無いと自信満々に人に話していたのを覚えている。
有難い出会いがいくつもあり、人との関わりの中で強く信じていたいものがあって、そこを拠り所にして生きていた。
今思えば、なんとなく気になる程度で色々させてもらえていたのは、決して私に能力があるからということではなくて、学生の立場だったからというのは多分にある。真心ある大人の皆さんが、いろんなことを私に経験させてくれた。私が大人になり社会に出ていくことを手助けしてくれていた。勘違いをすることは恥ずかしくなることだけれど、でもやっぱり感謝の気持ちの方が大きい。それで私は不安もありつつも、楽しみにしながら社会に出ることができたのだ。

それから歳をいくつか重ねて、全能感はいつの間にか姿を消していて、幻となっていた。私は再び、自分の心の揺らぎに振り回されながら生きていくことになる。
いろいろと知っていくにつれ都合の良い勘違いがしにくくなり、絶対的に正しいことはこの世には無いことを知った。
その中で、世の中から私に投げかけられ続けている問いは、正しいとか間違いとか良いとか悪いとか良いけどあれの方がより良いとか関係なくて、お前は何を信じているのか?ということらしいと、私は解釈した。

私はたぶん今、自分の外ではなく心の内側に、自分が信じたいと思うことを求めている。お前は何を信じたいのか?を問うている。
現状ね、たぶんだけど、私が信じたいこととは、命や人の持つ可能性、自分、そして言葉で説明するには難儀な不思議な何かだと思う。そこの言語化はまだ探っているところではあるのだけれど。
少なくとも、信頼に値するからという条件付きの信頼ではなく、そこにあるそのものを信じられる人になりたいとは思っている。

そんなようなことを、ここ1年の関わりの中でうっすらと考えるようになった。
それは、私が関わりたくて関わっている人たちが、上で記したようなことを信じている人たちだったからだと思う。そして、私のことも信じてくれている人たちだったからだと思う。
今回会いに行った人たちは、みんなそういう人たちだった。

そしてやっぱり、実際にお会いできて本当に良かったと、つくづく思うのだ。同じ空間に居る、そのこと自体がもう凄まじいエネルギーを放っていた。言葉なんて交わさなくたって、そこに居るという存在だけで心が満たされた。会った瞬間に満足した、と思った。持てないものなのに、ずっしりとした命の重さを感じた。目を合わせて話すことも、握手やハグをすることも、同じご飯を食べることも、会うことによってやっとできることだ。
東京-大阪間の距離は約500kmとはいえ、のぞみで2時間20分でいけてしまう。私が高速で東京から故郷の福島に帰る時と同じ時間だ。
遠いと思っていたけど、行ってしまえば距離については何の問題にもならなかった。それ以上にいただいたこと、感じたものが多すぎた。

会っていただけた人たちは、長い時間大阪の地で関係性を築いてきた人の輪に、オンライン上で知り合った関係性の浅い私を温かく迎え入れてくださった。
不思議だった。元々ご縁があった土地ではないのに、それでも居場所となってくれる、活動を応援したいと思っている人たちがいるって不思議だ、って。なにが、どんな力が働いて、私をここに連れてきたんだろうなって。
その幸せを言語化するのが本当に難しかった。別にしなくたっていいのだけど、自分があれは一体なんなの?と改めて考えたいと言うのなら、言葉にする必要があると思う。

といいつつ、今今出せる結論としては、今の私には言葉で説明できない何かを信じてみよう、ということになりそうだ。そこで体の力を抜いて、そこに自分を委ねてみたらどうかしら?と、私は私に提案してみようと思う。

ところで、昨日会った友人が、本当にありがたいことに、こんなことを言ってくれた。
「こんちゃんのすごいところは人が興味を持ってることをほんとに興味持ってくれることだと思う」
私は自分のことを飽き性だとか根無草だとか美味しいところだけいただいていくタイプだとか否定的に思っているところがあって、ある種その性質はコンプレックスのようにもなっていた。何か打ち込めるものがない自分は人より劣っている感覚があった。自分にはこれしかない!というものが欲しくて欲しくて仕方がなかった。
でもその性質を長所として捉えて表現してくれて、私としてはかなり目から鱗だった。
というか、そんなふうに言ってくれていた人、他にも何人かいたのを思い出した。多分その時は私がそれを素直に受け取ることができなかったのだと思う。その時の私には理解ができていなかったのだ。この1年の自分が変化している時期に、再びその視点をもらえたのは本当にありがたいことだった。
欠点だと思っていたことを長所として活かしていくこと、よく耳にはするけど、私にとっても有効なのかもしれないな、とようやっと腹落ちした出来事だった。祝福をしたい。

「これ!」が欲しい気持ちはまだ無くなりはしないし、すっといつかは、無理なく何かを選択することができたらいいなと思う。でも、それだけが生き方でもないのかもしれない。それがあるから良いとか悪いとかではなくて、「これ!」を探しながらいろんなことに手を出してみることもありなのだと思う。
どっちかにしないといけない、が、きっと私を窮屈にさせている。

新幹線で帰京して、私はその足で新宿の不動産屋に向かった。
宅建士のお兄さんにちっちゃい文字でうんたらかんたら書いてある書類の説明をしてもらって、サインを書き、ハンコを押した。
これから私は畑の近くで一人暮らしをして、曜日関係なく畑を見に行き、自分ではない何者かの世話をする暮らしをするのだ。
人にとって、一旦自分から離れることや、どうしようもない何かに振り回される時間とることは、大切なことなのではないかと思っている。ほとんどのことはコントロールできないということを、再認識するのだ。
地域の他の活動にももっと入っていきたいし、来年からは、大阪が拠点のコミュニティの活動にもう少し深く関わっていきたい。それらは私にとって小さな挑戦だ。また、友人たちと話すことは私にとって寝食と同じくらい大切なことだから継続していきたいし、仕事だって…本当はもっと頑張りたい。

ふらふらしながらいろいろやってはいるけれど、それが私なの、って思えたらいい。欲を言えば、誇れたらいい。

最後に、先日したとある女性との会話が印象深かったので残しておきたい。その時は、私の予定を詰めすぎる癖についての話をしていた。特に12月は過密で、どんな予定があるかを一つひとつ話していった。そしたら彼女が、「え、削れる予定なくない?全部大事なことだよね。こんちゃんは人間活動をしてるんだよ。それでいいんだよ!」と言ったのだった。
"人間活動"。初めて聞いた。でも彼女が言ったその響きには、より良く生きようという意志が感じられてすごく良くて、私はすっかり気に入った。
そうそう、私は人間活動をしているんだわ、と思ったのだった。

紆余曲折あろうとも、とりあえず今は、きっとこの調子でいいのだと思う。
人に助けてもらうことがあっても、実際はいろんな事情でできないかもしれなくても、それはそれで良くて、「何かあったら頼ってね」と添えるんだよ、と教えてもらったし。
名前のつけられない不思議な何かを信じて、これからも私は、私の人間活動を続けていくのだ。

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