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(not) Sleeping

其は我に在らず、我は其に在らず。

oasis / Just Getting Order


突然思いついた文章を、ノートの端に書き留めてみてはペンの先でかき消す。
そして消しゴムで永久追放する。
この無意味なやり取りを何度か往復すると退屈な授業はチャイムの音で区切られた。
チャイムの音を合図に教室が授業を閉ざしたところで、特段やることもなく机の上に突っ伏して次のチャイムが響く時間を待つばかり。
立ちあがろうにも、古くささくれ立つ木製の椅子はスカートの裾を引っ掛けて糸をほつれさせていくだけだ。

プールの底に散りばめられた玉にかけられたきらめきの魔法は既に無効になり、
水底に落ちた葉は目的もなく水の流れに体を委ねて左右に揺れる。
上を泳いで行く人々もかつての溌剌さと引き換えに、直とよく伸ばされた体躯を手に入れて飛んで行く。
抗うビーズの落とし物は可哀想に、誰にも気づかれぬまま排水溝へと吸い込まれて消えた。

「万引きなんて、どう考えてもできなくない?、って思ってたけどさ、
スクールバッグで本屋行ったら、できそうだわって気づいた。ずっとリュックだったから気づかなかったんだけどさ。」
友人から謎の告白を、予習したノートの確認を片手に受け止める。
リュックと手提げ鞄の二刀流で通学していたから、よく効いた空調のせいか冷や汗が背中を伝うのを文字通りで肌で感じる。
リュックで学校に向かう日は、抑止力としての圧を感じたい心は無かったか、そんな今まで一度も考えたことない恐怖を植え付けるだけ植えつけて、蛇口の水で流されていく絵の具みたいに話題は流れて今や誰も覚えていない。

ーーーーー

椿の花は花ごとその身を土の上に落として散る。
その様子が首が落ちる姿を連想させるとかで、お見舞いの花として贈ることは控えられているとか。
帰り道、立派に咲き誇る彼女たちはたいへん美しく、その姿を誇示してくる。
それは一瞬の儚い姿だと分かりながら、否、すぐにぽたり、と落ちておくことを予見できているからこその美しさか。
そんな残酷な美しさも、そうなかろう。
どうせ咲くなら永久に咲き続けたいものだが。
想定以上の成長期に耐えられずに困っていたら渡りに船と、反対の悩みを共有していたクラスメイトと交換した、膝下を余裕で越えた長いスカートの裾で落ちた椿を撫でながら独白する。

延々と続くかと勘違いしそうな田んぼ景色。
入道雲を前後に携えて、一台の自転車が滑走していく。
夏を思い出すあの曲を高らかに歌い上げながら、ペダルを回し続ける。
田舎の夏なんてこんなものだ。

「閑(しずか)さや岩にしみいる蝉の声」/ 千利休

騒音の中に見出す静寂。
これを見出すには、そう時間もスキルも要しない。
思い出せばいいだけ。
闇の帷の向こうから大合唱をけしかけてくる蛙の大群。
網戸を越えてこちらを侵食せんと闇に姿を染み込ませて近づこうとしてくる彼ら。
見つめ返す先は光か闇か、自らがどちらを見つめているのかも怪しくなり、蛙達の合唱だけがただそこに存在している。
戻るには、若干の腹立たしさを抱きつつ、騒音をただ一つの媒介として、手を握りながら辛うじてこちらに舞い戻る。

あれは闇の騒音だったのか。

電車は線路の上をひた走る。
線路沿いの草木は鬱蒼と繁り、車掌は手順通りに運行を守り続ける。
右手の時計と左手に開いた運行表に全てが釘付けられているから、目の前の兎には気付きやしないまま。
頭の中は数字で埋め尽くされた、まるで素晴らしく高性能な計算機のようで。

叡電電車の始発駅である出町柳を擁する地で蝉の大合唱が広がるは、京の下鴨神社。
清く広がる糺の森に満たされているのは、さんさんと降り落ちる太陽と蝉達の大合唱。
競うようにして開催されるのが夏の風物詩、古本市。
照り付ける暑さの中、快適な寺町商店街の店を留守にしてまで下社に繰り出すあの熱狂。
刺してくる太陽の日差しは容赦なく、どこに手を伸ばしても触れる空気は湯気を掴むが如く。
足元は、砂利が入り込み汗と混じり始めて、ああ気持ち悪い。
下鴨神社の古本市を思い出す入り口は最悪もいいところだ。快適な部分は何一つなく、日本の暑さの悪いところ全部詰めといったところだろう。

ああ、でもね、ここは古本市。
大好きな本がたくさん並んでいる。足元に滑り込んでくる砂利なんて気にしてられるだろうか。
これは何の本?戦前の子供向け絵本!
この黒くマジックのような線が引かれている部分はどうして?戦時中に禁止されていた表現なのね!
この絵葉書は誰の思いが込められたものかしら。当時の印刷技術は今の安価な絵葉書のものよりもいいんだ、って店主の優しいおじさんが教えてくれたの。

数多の文章と絵が詰まった青空教室。
耳を澄ましてみてちょうだい。
蝉の大合唱の奥にひんやりとした静寂が聞こえてくるのがわかる。
太陽に腕を差し出してみて。しんとした清涼が身を満たそうとしてくるのが分かるはず。

川の上流の潜り込む清流はどこまでも冷たく、身を検める。
足元を流れていく水の流れはいつまでもさらさらと。
頭の上を通り過ぎていく風の流れは爽やかに、木々を通り抜けて、麓を目指していく。
まだ、まだここに居たい。まだ麓の暑さには戻りたくない。
どれだけ叫んだところで時の流れは残酷で、いつしか市内を揺れるバスの中。

本物の静寂は、一寸の隙なく満たされた騒音の中に眠り、
本物の清涼は、蒸すような熱波の奥に隠されている、
その真実を京の夏に教わったのだった。

真実、真実なんてたぶんきっととても単純で明快なものなのだろう。
それは何事にも於いても、おそらく適用される。
難解に複雑そうに見えるものも、きっとそれは見えるだけ。
ほつれて絡まり合う糸ですら、解した先はたった一本の、ぴんと引っ張れば単なる糸である。当たり前だが。真実なんてそんなものだろう。

アイスカフェオレのグラスを落ちていく水滴。
グラスに歪んで映る自分の顔。
キャンドルの灯は揺れながら、消えそうで消えない一線を渡り続ける。
蝋燭で灯された顔は鏡の上でも揺れ続けて、どこが定点か曖昧になる。
そも、定まることなぞあり得るのだろうか。揺れ続けてうつろいつづける我が身こそ正しく、ではならば、どこに定点を保てばいいのか。
堂々巡りは秘密の庭園と続いていく。

花で溢れた秘密の庭は、輝く過去のきらめきで満ち満ちる。
最初は全て錆びついて、埃をかぶっていたというのに、なんという変わりよう。
ああ、でもよく見てみてよ。
可憐なその薔薇も、宙を舞うその蝶も、全てハリボテじゃない?
花は生花でなく造花。舞う蝶は、上から紐で吊るされているだけ。
全部ぜんぶ見せかけなのね、この庭は。
時計を首からぶら下げた白兎が虚しく走りすぎていく。追いかけるあの子はこの庭には何処にもいない。

見つけ出したいと願った庭はここではないようで。
発掘した古代の庭の砂を吹いてどかしても、そこかしこに古くから仲睦まじい砂は居ずまいを正さない。
となれば、基礎から自分で作らなければならないということか。どうやらそうらしい。
スコップ一本で始めて大丈夫だろうか。
最後までやり遂げられるだろうか。なにしろ初めてのことだから不安と恐怖で足元が見えない。
でも諦める訳にはいかないの。
始めてしまったから。知ってしまったから。起きたことを知ってしまった。
まだ眠りにつくわけにはいかないの。

青い空を、2羽の青い鳥が飛んで行く。
そうだった。青い鳥も、真実も大事なものはいつだって直ぐ側にあるものだって、
あの兄弟も最初から教えてくれていたではないか。
根拠はないけれど、絶対に大丈夫。
まだ作り直せる。走り続けられそう。

時計は時を刻み続ける。それは過去も未来も、もちろん現在も。
いつかそれが意味を為さなくなる日がきても、きっとその活動は続く。
いつか誰も見向きもしなくなる、その日が来ても、私だけは、偶には様子を覗きに遊びに行くから。

だからその時まで、変わらずに待っていてくれたならば。

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