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恥を捨て、旅に出よ 24/04/24

吾輩はパソコンくんである。名前はまだ覚えられていない。

↑教科書のちょこっとだけあるライティングの部分に、最初に結論から書けって書いてあった

Webプログラマーの職業訓練校1日目。とはいえ1日目で僕も名前を覚えるような人ではない。でも小学校から高校の担任のフルネームを全部言えるから、元から名前への執着は凄かったっぽい。

たぶん生徒の中で自分が一番パソコンくんである。
自己紹介とマトモな授業が始まったのだが、全員ノートで出来る限りのメモを取る中で、自分だけパソコンのメモに喋るようにメモを吐き出していた。全然話聴きながらでもプレゼン画面に目を向けながらでもノールックでタイピングができてる。これは気づかなかったし、よくよく考えると毎日3000字くらいの日記を書いているのって基礎練習として異常らしい。あと「ヒトはそもそも忘れる生き物である」「読んでも基本的に信じたい事しか信じない」というのをかなり受容したので、本を読むスピードが速くなっている。

いま読んでいるのはこれ!なぜか急に兄がこれを買ってきて「よすぎ」とオススメされて借りた。なんかドンドン「知覚の連動を返しているだけだな……」という自分のヤバめの考え方が増強されていく感じがある。イメージトレーニングと「指が勝手に動く」「無意識でどれくらい処理してるか」みたいなのを説く。梅原大吾が昇竜拳練習を欠かさないのも、羽生結弦→宇野昌磨の流れがあるのも、ずっとやってることが同じだったミルクボーイが優勝したのも、その人がイメトレを欠かさず研ぎ澄ましたからだ。

精神科のかかりつけ医には「あんたはパソコンが使える学校で勉強したほうがいい」「日光を浴びろ」「カップヌードルは栄養が偏ってるからやめとけ」「なるべく車を運転しない方がいいよ」と言われ本当に信じていなかったが、「コレか…………」となることが本当に多い。おくすりを貰えるから、とりあえず今はわからないまま……と言葉だけ覚えていたものに対して、今になって意味が分かることが多い。

間違いなく向いている。検索とタイピングが許されている勉強が向いてしまっている。
講師から聴いている内容に真実味がありすぎるというか、言ってることに実感が伴いすぎている。たとえば正しくない姿勢がどれくらい体の蓄積ダメージに反映されるのか、小休止というものがどれくらい”ガチ”なのかを身をもって体験済みなのだ。「美的センスがない人なんていない」というのも実感としてある。
今もまだ飛蚊症が消えない。ブルーライトでメガネ日焼けをしたことがあって、太陽は定期的に直視していたからまあ目も悪くなる。

脳がフィクションをフィクションとして認知できないこと、認知で世界ができていて、身体と脳と表現上の心と体が連動しているってのも、最近は実感としてかなり確かにある。
目を閉じて、ここは森の中……みたいなことを容易くできる。そもそも不安で眠れない日が続いたからこそ、このイマジナリーにスキルポイントが振ってあるっぽい。

でもって真似事は全部アニメや漫画や身の回りの良いと思った人から吸っているので、動作で言えばわざとらしくもなっているっぽい。
言ってしまえば動きがデフォルメされている。これは無意識で、これを変えるのはかなりのプロセスと時間経過を要する……というのもまあ実感がある。日々寝たらケロッとしちゃうのが不思議だったんだけど、寝てる間にいっぱい覚えてくれてるっぽい。

講師が過労による抑うつ症状(文字がメリーゴーランドのように回り出す)からの緊急搬送→点滴を経験した人らしい。あるあるとして聞いてしまった。
今、不安がひとつもないので「正常がわかると異常がわかる」というフィットネストレーナーみたいなことを言いそうになる。ストレス管理だとか運動習慣による健康維持だとかキラキラした言葉も、実感としてわかる。

キャリアコンサルタントの全体講話では「面接ではとにかく一貫性!一貫性を保ってください」と言われていた。正直まだ芯がブレブレふにゃふにゃなのだが、「日々淡々と継続するだけ(基本的にあんま意味はない)」「とにかく均衡を保つだけ」と自分の脳ごと騙すのは簡単だ。今は苦痛の美味しさを知っている。

基礎練習として、軽く寿司打を触る時間があった。
後ろの席のお兄さんにタイピングの早さを見られてか「(粉奈丸)さんはやいですよね!?タイピングっていちいちホームポジションに戻した方がいいですか??」と聞かれた。

こういう時の鼻高々のパソコンくんになってはこれまでと全く変わらないので、「あ、いえいえ!!最初は『お寿司食うぞ~!』って楽しんで続けてたら大丈夫です!!」「マラソンと同じで、他人と比較したら落ち込んじゃうんで!!お寿司に集中です!!」と答えられた。その後「数ですか?」と聞かれ「数です!!」と答えた。性癖としてそれが続けたいかどうかであって、才能なんてどこにもないからね。

ここで偉そうになっては直感的に”終わる”と思った。足が早い人も勉強ができる人もゲームが上手い人も表情作りが上手い人も他人の感情を読める気がするのも、それはスキルポイントを振るのがなんの因果かそっちに向いていただけである。

実感としてゲームも音楽も応用できるもので、全く無駄になっていない。その代わり頭の中はガラクタ箱に近い。僕は君とゲームをして勝ったり負けたりしていたいだけなんだけどなぁ〜〜〜(113号室)

今更ながら、スキルポイントを全部パソコンに使ってただけなんだ……というのを実感した。転職先としてWebプログラマーを選びたい人達、という16人程度の集まりでも一番タイピングだけはしている人にあたるらしい。

あんま誇れることじゃないけど、それはもう時代の問題だろう。便利だから増えるし、わかりやすいから流れで「パソコンできた方がいいな」ってなってくれるよ。きっと。

「なんかわからん」をずっと独自の理解で進めようとしたぶん、わからないまま進めない人の気持ちがちょっとだけわかる(主観を通した客観では)。

たとえば性愛に「ひとりを信じ続ける(時代の流れと感情に沿うとそれが妥当)」という結論を出したけど、本質的には歴史上ずっと誰もわかっていない。なぜわからないままにずっと悩んでいたかで言えば、その話題の吐き出し方を知らないからだった。

この状態だとどれにフォーカスしつつ、どれを無意識の作業に取り込むかでしかないっぽい。話を聞きながらメモを取れる、という状態が初体験で面白すぎて。ヒトはそもそもシングルタスクで他は無意識で返しているだけ、というのがよくわかる。全然寡黙だけど、メモ帳の中で喋りたい放題なので凄い。

で、ここで気をつけないといけないのが「ガチ勢」に見えてしまうことだと思う。
オモコロの永田さんが「自信は嘘っぱちでよく、あとは謙虚でいればいい」みたいなことをよく言うし動画でもそれを体現しているが、これが一番しっくりくる。

自動で偉そうになってしまうのはしんどいけど、それは一旦見ないふりしないとダメっぽい。虚栄すぎてもカルト的になるし、怠惰すぎてもスラム的になる。どう考えてもこのバランスが大事だ。

「まぁいっか!」と「なんでなんでなんでなんで」のバランスが、今になってぶつかり稽古で分かりそう……な気がする。でも本当に時間が足りない。

2時間かけて豚の角煮を作って(時間感覚が壊れている)、やっと話がわかるようになってきた母親と話した。リビングではホンマでっかTVが流れていて「交感神経はアクセル・副交感神経はブレーキ」「両者のバランスが整った状態がゾーンみたいなもの」「笑顔はモルヒネより強い」と言っており、なんか実感がくっついてきてしまったな、と思っていた。

会話する母の缶チューハイの呼気から、自分が酔っているような感じがした。「空気に呑まれる」というのも「親と子が似る」というのも、ただ人間が人間の真似っこをするのと、無意識で知覚を返してるからだ。
「ありがとうを言うのが私の仕事よ☆」と言っていて、印象に残ってしまった。「うーん、確かにこの母親の子ではあるな……」と思った。

調子を崩しがちな父親が調子を崩していた理由がLINEでわかった。
カビだらけでおよそ使っていないと思っていたお風呂スポンジを捨てたこと、溜まっていた洗濯物を断りなく僕が出したことだと察せた。

「ごめん、お風呂掃除ありがとう~♪」と言いながらスーパーで同じようなスポンジを買ってきて、バズレシピのリュウジの角煮を食べたらご機嫌になって会話を始めた。

ちなみに「ごめ~ん、ありがとう~」というのもまた父親を飼い慣らしている母の真似っこである。
原理としてはママタルト(芸人)「ありがとう。ありがとうやけど帰るッ!!!」というのとストレッチーズ(芸人)の「言葉はケツで取んだよ」というのと、心理の印象として一番良かった時と結末しか記憶に残らない効果を、ブレンドして言葉にしている。
本気でそう思っているので騙してはおらず、人はマジで鏡ってだけである。

シンプルかつ複雑、子供っぽい大人、大人っぽい子供、それらがキャッチーなのは矛盾と二対構造が分かりやすく人間関係に適用できるからだと思う。

父はNetflixでコナン映画をおもむろに流し始めて、「最近コナンを初めて見た」「この女の人(蘭姉ちゃん)ってのが高校生だと知らなかった」「このあらすじのわかりやすさ最高」「このおっちゃん(小五郎)って首に麻酔針の跡エグいんじゃないの?笑」と言っており、完全にバズツイッタラーが通る道を通っていてウケた。

「実際そういうギャグ的なファンアートがあるよ」というと「そうよな、みんな一回は想像するよな」と言っていて、こちらもまた「この父親の子ではあるな……」と思った。
「家庭崩壊」を越えると「家庭治外法権」になる感じがあり、治外法権を社会に是正してもらってる感じである。秩序も混沌もどっちの感覚も正解で大好きだ。

その推測力と想像癖を持ってしてか、父は自分で「最悪のケースを想定して勝手に死まで行く癖がある」と言ってしまっている。フィクションと現実の境目を脳が認知できないとしたら、毎日何回も死んでいることになる。そりゃ身体も動かんわな。

時間ないな~と思いつつも走り出したくて、散歩とランニングをした。帰ったら0時。

この条件下、この寒さ、雨上がり……良い!!!これは泣くぞ~!?!?と思いつつ、実際に泣き笑いできた。

なんかこの時間帯でこの気候でこの道通ると絶対泣いちゃうな~っていう道がある。左側は腐葉土が近い、右側は風の通りがいい、みたいなのでも違う。

この「なんか」の説明のつかなさが本当に面白い。いやまあ、知覚返すだけだから事前に感情って作れるしな……。この匂いでこの音がしたら泣く、この気持ちになった気分になる、みたいな。

苦いけど 苦しくはないよと
君は 酸っぱいけども 悪くはないよと そう言った

君と羊と青/RADWIMPS

この感情の不安定さを利用すればたぶん報われと報われなさを何度でも繰り返せるし、美味しくいただける。健康であれば緊張と緩和が自在で、ハイパーラッキー。

何より、人がそう簡単に死なないことを誰より近くで見ている。
何より歩くのって楽しい!!!

恥を捨てて、闇雲に歩けば良かったんだな。

おまけ:訓練校の休憩中、直通で喫煙スペースに歩くと日向ぼっこと緑を見れるので良い

こなまるでした。

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