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なんでもないような今を

 ここ最近、いくつかの同窓会的イベントの企画・開催側に関わっている。それにあたり、いろいろな人に久々に連絡を取っているのだが、数年のあいだに進学・転職・結婚・出産・引っ越しなど、それぞれの人生に変化が起きていることにいちいち驚く。時間は確実に流れている。

 連絡を取る際に、当時の名簿や写真など記録を見返していると、「ああ、こんなことあったなあ」、「そうそう、この時はああだったんだっけ」と、記憶が次々と蘇ってくる。記録のチカラはすごい。特に写真や直筆の文字には、当時の空気がそのままに閉じ込められているようでハッとさせられる。

 「全て失ったけど、不思議と大丈夫なの。」
 「でも、写真やアルバムがなくなったのだけが本当に悲しいの。」

 昔の写真を見返していた私の頭の中に、静かな女性の声が響いてきた。東日本大震災で甚大な津波被害のあった南三陸町。たまたま訪れたその町で、バスで隣り合わせた中年の女性の言葉だった。津波で家を丸ごと失ったその方は、娘さんの結婚式を控え、娘さんの生まれた時から今までを振り返ろうとしたとき、写真がさっぱり手元になく途方に暮れたのだという。

 記録がある、ということが、将来、どれだけ人の支えになるか。記録がない、ということが、将来、どれだけ悔やまれるか。なんでもないような今も記憶し、記録しながら生きていこう。その女性との偶然の出会いはほんの数分のことだったけれど、今でも私にそう思わせてくれている。

 

ありがとうございます。いつかの帰り道に花束かポストカードでも買って帰りたいと思います。