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付喪神を目指して

 修理に出していた靴の受け取りに行ってきた。履きやすさとデザインがとても気に入っているハイヒール。使用頻度が高いこともあり、かかとがすり減ってしまったので修理に出していたのだった。

 学生の頃まで私は、「靴を修理に出す」という発想がなかった。安物ばかり買っていたせいかもしれない。ブーツもサンダルも大抵は1シーズンで履きつぶしてばかりだった。就活のときのパンプス然り。

 社会人になって、少しいい靴を買うようになってから、靴を修理に出すという新しい習慣が私の人生に生まれた。いい革靴などはきちんと手入れすれば何十年も持つらしい。何十年も、とまではいかないかもしれないけど、このハイヒールとも長くお付き合いできたらな、と思う。

 長く使われているものには味わいがある。昔アルバイトをしていた料理屋さんには、戦禍を免れ代々使われてきた薄手の大皿があった。その薄さでそれだけの大きさの器を作れる職人さんはもういないのだという。失われた技術の結晶。こんな風にいうと、なんだかかっこいい。

 実家にも長く使われているものがある。一番大活躍しているのは、南部鉄器の鉄瓶だ。実家では、毎朝この鉄瓶でお湯を沸かして使っている。私が生まれる頃に買ったらしく、私とほぼ同い年の鉄瓶だ。さて、いつ付喪神になるのやら。

 私個人の付喪神候補はいくつかある。例のハイヒール、真珠のアクセサリー一式、着物、そして10年以上前に買ったマグカップ。これは一度割ってしまったものを自分で金継ぎして直したもの。継ぎ目がよい雰囲気を出していて、ますますお気に入りになった。

 さあ、私の付喪神はあとどれくらい増えていくだろう。

ありがとうございます。いつかの帰り道に花束かポストカードでも買って帰りたいと思います。