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ボーダーの上で生きる

 白か黒か、YESかNOか、マルかバツか。

 選択肢を2つに絞って、どちらかを選ぶのは勇気がいる。けれど、一旦どちらかに属してしまえば、あとはもう楽かもしれない。どちらか片方の目線だけで考えればよくなるから。

 じゃあ、どちらでもないとき、もしくは、どちらも選びたい・選ばざるをえないときは?例えば、「日本人か日本人でないか」。この2択を国籍を持っているかいないかだけで考えれば、物事は至極簡単だ。でも、現実はそうじゃない。国籍は違うけどずっと日本で生まれ育ったとか、日本国籍だけど海外で過ごした期間の方が断然長いとか。そういう場合、その人自身の認識も様々だろうし、他者からの認識も千差万別だ。

 選択肢が2つしかないとき、この2つの間には1本のボーダーがある。ボーダーの上で生きるのは、時に苦しい。それぞれに属する人からは「どっちなの!?」と非難されることもあるだろうし、両方の良さも欠点も十分すぎるほどわかっているからこそ、選ばない・選べない苦悩がある。単純に「両方選べてラッキーだね」だとか「どっちもわかっていいね」では済まないのだ。

 だけど、「どっちつかず」「日和見主義」と言われても、私はボーダーの上で生きることを選びたい。文系と理系、地方と都会、日本と海外…。様々な区分けのはざまで生きることを。お互いの言語がわからない人どうしが、通訳を介して繋がれるように、そんな「架け橋」として生きることを。

ありがとうございます。いつかの帰り道に花束かポストカードでも買って帰りたいと思います。