見出し画像

【教材動画】伝統仏教を学ぶ・親鸞

 2020年にコロナの流行で、大学の授業がリモートになり、急遽作成した動画です。クオリティについては、ご寛恕願います。

第1回

 明治以降の近代化のなかで、鎌倉時代の親鸞聖人の教えは、教えを受けた唯円の手になる『歎異抄』を中心に、多くの人の関心を集めてきました。しかし、伝統仏教から見るならば、明治以降の理解の多くは、実際の教えとは大きく異なった、誤解としか言いようのないものです。
 前提となる、伝統仏教における「仏の世界(浄土)」の位置づけと、なぜ阿弥陀仏の世界が特別とされるのか、について紹介します。

第2回

 親鸞聖人の説く他力の信というのは、理解することの困難なものです。往生に他力と自力があるというのですが、その違いは? 自力の念仏と言うのはイメージしやすいですが、それとは異なる他力の念仏というのは?
 親鸞聖人自身、最初から他力に到達したわけではなく、信の変遷があったことを語っています(「三願転入」)。親鸞聖人の生涯をたどります。

第3回

 『大無量寿経』に説かれている、阿弥陀仏が仏陀になる前の物語と、その時にたてた誓願(「弥陀の本願」)を紹介し、それについての親鸞聖人の解釈から、親鸞聖人のいう「悪人」がどのような存在で、他力の信の獲得がどのようなものであるかを見ていきます。

第4回

 背後にある伝統的仏教理解を踏まえて親鸞聖人の教えを見ることで、一見、まったく異なることを説いているように見える弘法大師空海の教えと親鸞聖人の教えの違いが、同じ仏教の全体像を共有していて、そのどの部分に焦点をあて、強調しているかの違いであることがわかります。
 そのことにより、近代的理解ではやさしい教えとされてきた親鸞聖人の教えが、なぜ多くの異義(『歎異抄』は、親鸞聖人から教えを受けた唯円が、親鸞聖人から教えを受けた人たちが、親鸞聖人とは異なることを説いているのを嘆いて(「歎異」)しるしたもの)を生んだのかが見えてきます。

第5回

 浄土真宗には「妙好人」と呼ばれる、阿弥陀仏の救いの光が自分に届いていることを実感した人があらわれました。その多くは文字も読めない庶民で、人々は彼らを訪ねて、どのようにして気づくことができたのか、またその境地はどのようなものかを尋ね、その聞き書きが残されています。
 そのような存在は、数は少ないですが、現在もあらわれています。

参考・吉村均『神と仏の倫理思想【改訂版】』北樹出版、二章3

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?