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「企画書」読書メモ15

Ⅱ.

「教育メディア」

教育についてのぼくの発想

以下、橘川幸夫さんの教育についての発想や考え方の抜粋と、そこから私が感じたことや考えたことである。ほぼ、共感しかなかった。ただ、令和になった今でも、こうした発想や考え方が広がる気配は乏しいが。

教育というのは、ある個人的意識を量的に拡大していくためのシステムだ。個人が主観的に発見したものにすぎないものを、客観的な制度なり法則に、あらよとばかりに移しかえ、数多くの第三者に押しつけようとするものだ。それは語学教育だろうと、思想教育だろうとなんだろうと同じことだ。(p.182)

学校教育の押しつけがましさについては、多くの人間が苦痛に感じているはずだが、そういうものだとして結局受け入れてしまっている。人と人とはもっと押しつけがましさのない関係性を築けるはずだ。そのアイディア、実現を提示し、表現していくことを通して、現実を少しでも変えていくしかない。

簡単にいうと、ぼくは「1+1=2」という数式を客観的な真理として教育することに反対である。「1+1=?」という問いを提出し、その解答なりを、ひとりひとりが「発見」するために、例えば「1+1=2」という考え方がある、と伝えるべきである。情報の物理的伝達にはなんの意味もない。(p.182)

「発見」を否定するのが学校教育、といったら言い過ぎだろうか。とにかく情報の物理的伝達ばかりで、そこに血が通った感じが無い、無味乾燥としたものになっている。学ぶ喜びこそ、何より伝えるべきことのはずなのに。

受信者が情報を受信するということは、まったくムクの発見でなければならないし、その驚きと興奮がなくてはならない。今の学校教育では知識は積み重なっていくだけで、発見することの輝きがない。勉強すればするほど知識の重たさで沈んでいくばかりだ。(p.182)

まあ、受動的なようにみえる学校教育の中にも、意識高くもてば、いろいろな発見を見出すことができたりはするのだが。すべての人間ができることではない。発見する驚きや興奮を、1人1人、全員に提供するような学びの在り方を、もっと考えていく必要があるのだろう。

ぼくは教育のシステムを充実したり制度を改革したりすることに本質的な興味を持っていない。ぼくのテーマは「どうすれば教育というものがなくなるか」だけであり、そのテーマを実現するために、とりあえず仕方なく「教育制度をよくする」ことを考えてみるのにすぎない。(p.182)

教育改革のことをつい考えがちだった私にとって、「どうすれば教育というものがなくなるか」という発想こそが発見だった。そうか、なくせばいいのか。もっともっと、豊かな人間関係を。双方向の人間関係を。そこに向かっていこうとするときに、教育というものは、もはや邪魔なのかもしれない。

今の教育制度のなかで、教師というものがみんなすごくやさしくて良い人ばかりになったって、規則などなんだのが撤廃されてフリーな雰囲気になったとしても、教育というものが「ある個人の発見したものを別の個人に押しつける」ものである限り、根本的に解決されるものはない。(p.183)

なるほどね。これも重要な指摘だ。豊かなコミュニケーションを生むためには多様性を保つ必要があり、そのためには押しつけがましさというのは邪魔でしかない。

教育と法律は似た側面がある。良心的な人は、よりよい教育者になろう、よりよい法律家になろうとする。しかし、そうした努力の延長線上にあるのは「より強固に完璧に仕上がっていく教育(法律)」しかなく「教育(法律)そのものの死」をイメージすることはできない。(p.183)
教育という一方通行強制情報移行システムは、やがて古いと感じられるようになるだろう。教育なんてなくても安心してぼくたちがつながれる社会、を、ぜひ、イメージして欲しい。(p.183)

そうかそうか。「教育のない世界」という発想、もっともっと豊かにイメージしていきたい。

ぼくが誰かに何かをしゃべるとき、ぼくはその人を教育している。誰かがぼくに何かをしゃべるとき、その人はぼくを教育している。そして、ほんとにヴァイヴレーションのあった人に対しては、ぼくがその人に何かをしゃべるときにも「発見」があり、その人がひとつのことをしゃべってくれると、二つも三つも「発見」できる。(p.184)

これも共感できるなあ。しゃべった瞬間に次から次へと言葉がでてくるときと、何もいえなくなるときと、不思議とそんなことってあるよなあ。そこに教育があるか、発見があるか、という違いだったのか。

真の「学校」は、ぼくたちの日常の人間関係の中にあるのであり、これを「学校」として充実していかなくてはならない。「学校」を特別な場所にしてしまうことが間違ってる。教師を特別な立場にしてしまうことが間違っている。ぼくたちは無数の素晴らしい先生とつながって生活しているのだ。(p.184)

ひとつの「教育のない世界」の具体的イメージのヒントを頂いた。もっともっと、そういう空気をつくっていきたいものだ。






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