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何てことない忍ぶの日常〜あなたに会えた日〜

帝王切開の時間が予定より4時間も後ろ倒しになったら、助産師や看護師の「そろそろです」という言葉も真に受けることはできなくなる。
だから、その何回目か分からない「そろそろです」もふーんという感じで、軽く聞いていた。夫に「そろそろって言われた」みたいなことを一応LINEで連絡すると(そのたびに律儀に返信をくれる彼の心情はどういうものだったのか)5分とたたず手術室に行くことになった。

手術室には歩いていく。ふるい市立病院の病棟をひたすら進むが、すれ違うのは老人ばかりで、ここには社会の人口比の縮図があるなと思った。自分がマイノリティであることがなんとなく不安を加速させる。
手術室に到着してからは自分で手術着に着替えて、その後かたい診療台に乗った。あれよあれよという間に看護師たちがテキパキと衣類をはぎとって、腰椎麻酔の準備に入る。

なんだか泣き言を言える雰囲気ではない。忍ぶはこの腰椎麻酔なるものが死ぬほど怖かったのだ。「腰椎」という言葉は非医療従事者にはなかなかインパクトがある。たとえばそれが原因でもとの生活に戻れないようなことが起こるとか、そういう予感を感じさせるような。

背中をダンゴムシのように丸めろとの指示に従いながら、まずは皮下麻酔をうつ。なんだかジェットコースターの落下を待つときのような気分だった。ようやく順番が回ってきたあと、あれよあれよとベルトなどを閉められ、あとは流れに乗るしかないと腹を括るあの瞬間。看護師たちのやたら事務的に感じるテキパキとした動作はその思いを加速させた。

けれど、それは想像より全然痛くなかった。その後、背中のおくのほうに液体が流れていくのを感じた。熱い。これが腰椎麻酔だ。
やがてじわりじわりと足の方が重くなっていった。保冷剤を使って、麻酔の効き具合を確かめられる。上半身では冷たく感じるそれが、下半身ではそうでない。いつのまにか下半身の自由は効かなくなっていた。じぶんの意思で身体が動かせないというのはひどく不思議な感覚だ。
だんだんと頭が重くなっていく。同時にひどい吐き気がして、わたしは近くのだれかに力無くそれを訴えた。黙殺されると思ったら、意外にも麻酔科医が素早く対応してくれる。

そうしているうちに産科医によって自分の腹が引き裂かれていった。
麻酔中だからもちろん痛みはないが、皮膚が裂かれていく奇妙な感覚と、じぶんの身体が得体の知れない状態になっている恐怖で半ばパニックになっていた。涙が止まらなくて、たまに誰かがそれを拭ってくれる。

「赤ちゃんもうすぐ出るよ」
病室から付き添ってくれた助産師が忍ぶの手を握り締めてそういった。
ぼんやりとした意識の中で、ああ、なんて呆気ない出産だろうと、そう思った。
べつに忍ぶは「下からうむこと」に何のこだわりも無かったけれど、帝王切開が予定されたとたん出産がじぶんごとから「他人に予定されたこと」に変わってしまったのだ。
じぶんがこどもをうむのに、なんだかどこか他人事な気がしていた。それは手術台に乗っかって身体にメスを入れられてもおなじだった。
だから、巷でいわれるような苦しんで子を産んだ後にその子に会えた喜びみたいなものはとくになくて、突如聞こえた力強い子の泣き声を聞いても「よく泣いているなぁ」という感じだった。

子は女の子であることを告げられ(性器を確認させられたのは若干驚いた。まぁ1番確実な認識方法であるけれども)、何やら赤黒い顔をして白い脂にまみれた(後で調べたところ胎脂というらしい)小さな小さないきものと対面した。おどろくほど華奢なゆびにそっと自分の指を絡ませると驚くほどの力で握られる。 

子が去った後は腹を閉じられるわけだけれど、この時間が意外にも長く感じた。(開腹は割と一瞬だっただけに)麻酔のせいか段々と眠くなっていき、その時間は半分眠っていたように思う。

手術中はあっけないなどと思っていた出産だったが、術後の強烈な痛みでいつのまにかそんなことなど吹き飛んでいた。醒めない麻酔で下半身が自由に動かせないなか、痛み(傷の痛みと後陣痛)に耐えるのはなかなか強烈な体験だったし、誇張なく直後の一夜は人生で一番過酷で辛い時間だった。

子は2662gとすこし小柄だった。
容貌は夫にも私にも似ていないように感じた。とにかく小さいことにとても驚いて、後にマタニティブルーズに襲われた時にはなぜかそれがひどく悪いことのように感じて、「こんなに小さく産んでしまってごめん」と涙が止まらなかったほどだ。(今になるとなぜあんなに気にしてしまったのかわからない)
泣き声は割と力強く、「ふみゃ〜」と高い声だった。

どこか他人事のような出産だったが、子は毎日「尊い」を更新している。なぜこんなに愛しいのか自分でもよくわからない。

---自分メモ------
なくてよかった持ち物
・産褥パットは迷った挙句買わなかったけど必要なかった。(病院からの支給とナプキンで間に合った)

あってよかった持ち物
・ドライシャンプー
手術後日含め3日間はお風呂に入れないのでよかった。(清拭はしてもらえるけど髪の毛は洗ってもらえないので)
・シートマスク
術後すぐはコード類につながれており思ったように顔が洗えないのであってよかった
・はし、スプーンセット
自分で用意が必要だった!(使い捨てでもよかったかも。)

その他

・歯ブラシセットは持っていった方が良い(病院のアメニティ契約でもらうはずだったんが入院当日はアメニティ契約しなかったので)
・靴はひもじゃなくて履きやすいやつにすればよかった(ニトリの500円のスリッポン買っていったが薄かった)。術後の痛みの中ではひもの靴を履くのが大変なので無印のスリッポンが最強かも
・産褥ショーツを一枚もらえた。自分で3枚用意したがもう少し少なくてよかったかも
・粉ミルク缶でもらえた
・オムツは一袋分もらえた

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