ロンドンの話②美術館の話

タイトルを「美術品の話」にしようと思ったのだが、まずは美術館の話をすることにした。
主要な美術館が入場無料であること、警備員たちは10分前に客を追い出すこと、この2点にどうしても触れておきたかったからだ。

まずは入場無料について。
ヨーロッパ周遊旅行の計画を立てるとき、どの国、どの都市に行くか?という大変悩ましい問題がある。
私の場合ローマに絶対的な憧れがあったためそこはfixとして、ドイツ?フランス?スペイン?オランダ?デンマーク?フィンランド?どこを優先すればいいの!?という最終的にはすべてが正解になる問いに頭を悩ませ、姉に相談したところ、ロンドンはね〜美術館とか博物館無料だからね〜と言われて離島&ユーロ圏ではないことから若干眼中から外れていたイギリスが突如候補に躍り出たことは言うまでもない。もちろん、行くまでにも滞在するのにもお金はかかるので、「無料だから行く」というよりは「無料であることを決め手にでもしないと一生行き先が決まらない」というのが正しい。
しかしこうなると急に、小学生の頃世界の国から一つ選んで調べたことを発表しよう、というお題で「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」を選んだ自分が思い出され、コナンの聖地もいっぱいあるし、アガサクリスティーもイギリスの人だし、ロンドンしかない!という気がしてくるのだった。
そういうわけで、イタリアからロンドンに向かうなら通り道になるパリにも寄って、どうせ飛ぶなら北欧も行っちゃおうじゃないの、という具合にとんとん拍子に行き先が決まった。

つまり、ロンドンの博物館の入場無料はこういう形で悩める学生の一助を担うこともある、という話をしたかった。
先にも述べたようにこれは決定の根拠が欲しかっただけなので、博物館にお金を入れるためもあって初めてオーディオガイドを使ってみた。「オーディオガイドを買ってみたらもう買う前の生活には戻れない」みたいなこともよく聞くので若干ビビっていたが、自分のペースで読めるキャプションの方が面白いことが書かれていたりして、私にとってはガイドはそんなに良いものではなかった。この事実はイタリア、フランスでずっとガイドを買っていなかった私を安心させた。

次に、警備員たちが10分前に客を追い出すことについて。
他の都市では閉館ギリギリまでいなかったから分からなかっただけなのかもしれないが、大英博物館でもテートモダンでも閉館10分前になった瞬間次の部屋に進むのを禁止され、はい帰ってーはい帰ってーはいそこ止まらないでーという辛すぎる仕打ちを受ける。あと10分あればこの部屋は回れる!という計算で見進めていたというのに……!
まあでも無料なら明日も明後日も来れるじゃん!最高!と思っていたのだが、ロンドンは他にも見どころが多すぎてそんなことをしている時間はどこにもなかった。2日連続で同じ美術館に行くことができるなんて何て素敵なの…!とウキウキしていたのだが。
しかしこの警備員さんたちの正確さは、良くも悪くもイタリアには無いんじゃないかなぁ。

さて!!やっと、美術品の話に移れる。

まずはナショナルギャラリー。

点描画の創始者で知られるジョルジュ・スーラのこれが、大層印象的だった。

チラチラした光……


姉がヨーロッパ旅行に行った際、お土産にジョルジュ・スーラのもう一つ有名なこちらの絵のポストカードを買ってきてくれたのだが、この時は「へ〜」と思って見ていたのが、実物のサイズで見るとやはり惹かれるものがあった。

姉のお土産の方

スーラの作品はこれしか知らなかったし作者の名前も覚えていなかったが、上の水浴びの絵を見た時あ、これはあの絵と同じ作者に違いない、と思った。点描画は他にもいくつか作品があったが、素人目にもスーラかなとは思わなかったから不思議だ。


ゴッホのひまわりは以前からよく分からなかったが、実物を前にしても「ひまわり…………って、こんなんじゃなくない?」という感想しか生まれなかった。

これは見た瞬間「クラムボン」という言葉が浮かんだゴッホの絵。別に、crabを覚え間違ってたわけではないよ。なぜか、宮沢賢治が出てきたのだ。
教科書の「やまなし」に挿絵があったか定かではないが、あったとすればもっと色彩の薄いものだったように思う。
宮沢賢治には詳しくないが、作品の根底に流れるありのままの自然界への理解と深い苦しみみたいなものを感じていて、それがなんとなくこの絵の持つ鋭さ、不安感と重なったのかもしれない。


こういう、ロマンスの裏のサスペンス、的な絵が結構好きだ。

enigmatic psychological states=「謎めいた心理状態」

………なんか、かわされた?みたいな解説w


ちなみに、この絵から私が想起した絵がヴェルサイユ宮殿で見たこちら。

オラース・ヴェルネ『レノア』
『レノア』は、ドイツの詩人ゴットフリート・アウグスト・ビュルガーが1774年に発表したバラードである。
レノアは七年戦争で死んだ恋人ヴィルヘルムを待ち続ける。ある晩、黒い馬が現れ、ヴィルヘルムだと思ったレノアは後を追う。ヴィルヘルムだと思ったレノアは彼の後を追うが、必死の競争の末、彼を連れ去ったのは死であることが判明する。
ラルティストはこの情景を闇に落とした。この絵は、ホレス・ヴェルネの幻想的なロマン主義の唯一の例である。

キャプションはフランス語なのでそのままDeepLに投げた。
この、後戻りできなくなってから全ての絶望に気づくみたいなね、これが想起させたものがさらにあって、、

それが、『伊勢物語』の「白玉か 何ぞと人の 問ひしとき 露と答へて 消えなましものを」の歌。

身分違いの駆け落ちの話ですね。
ただ、白玉…のほうは相手が鬼に喰われるけど、レノアのほうは相手が死神だからね。レノアの方が状況としては緊迫してるよね(何の話?)

ねえもう一つ話したいことが出てきてしまったんだけど、最近観た死神のロマンス映画をおすすめさせてください。

ブラピ!

死神のロマンス?はい?って思ったかもしれないし少なくとも私はそう思いながら見始めたんだけど号泣しました。でもちょっと腑に落ちないところもあったので観た人は是非語りましょう。


さて、気を取り直して、、。

これはコゼットとガブローシュの顔を混ぜたみたいな顔だと直感的に思って撮ったのだが、私の観てきたコゼットとガブローシュって何人もいて、一体どの顔を基準にしてそう思ったのか分からない。でも今見てもやはりリトル・コゼットとガブローシュの合いの子に思える。口元の愛らしさと、眼差しの強さがそう思わせるのだろうか。


私が行った時の特別展示は油絵とパステルの違いについてだったのだが、よく分からないまま展示室に入り、

これすごくない!?
おんなじ構図をこんな風に、、本当はもっと大きい絵だし、、遠くからこの絵が掛けられているのを見た時はなぜ同じ絵が2枚?と思い、近づいてみて驚愕させられるシステムだった。

パステル

このパステルを手作りしている現代の工場(こうば)映像も流れていた。

大英博物館とテートモダンの話もするつもりだったのだが、ちょっと喋りすぎたので次回にします。

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