使わない日本語・「どういたしまして」

以前、日本で教会の見学へ行ったとき、出る前にシスターに「ありがとうございました」と言ったら「どういたしまして」と言われて少々面食らい、それから「どういたしまして」とかいう使わない日本語について考えている。

ではこの場面で私が何を期待していたのかと言えば、「いえいえ」とか「ありがとうございました」とか、あるいは会釈か。このへんが相場だろう。でも教会の見学で私はお金を払ったわけではないので、お礼を言われるのはたしかに違うようだ。ということは、「どういたしまして」のタイミングではなく、その言葉自体がある種の違和感をもって迎えられたと考えるべきだろう。つまり、「どういたしまして」は日常会話で聞き慣れない日本語である、ということに気づいた。

さて、この度3週間のヨーロッパ旅行に行き、どういたしましてに代わると言われている言葉「you're welcome」をまあ耳にし、口にした。
イタリアでは「prego」である。それと、一度だけ「nothig」とも言われた。

全く同じニュアンスの言葉ならその使用頻度の違いは〇〇人の性格が〇〇だからとか、文化の違いということになろうが、そもそも「どういたしまして」と「you're welcome」は全然ニュアンスが違うようだということが分かってきた。

というのも、you're welcomeはあなたを歓迎します→あなたのためなら、といったニュアンスで、どういたしましてはどうかしましたか?いえ、どうもしていません、といった感じでnothingに近いイメージらしい。 you're welcomeを敢えて訳すなら「(あなたのためだから)いいですよ」といった感じだろうか。最初にどういたしましてで翻訳した人のことを、我々は恨まなければならない。

調べてみる前までは、「どういたしまして」は自分のしてあげたことを肯定的に認めているイメージがあってなんとなく恩着せがましい気がしていたのだが、実際は「どうもしていませんわよ、お気になさらないで?」(口調誰?)的な、むしろ逆の語源だったようだ。

それではどうして恩着せがましい感じがあるのだろうと考えたのだが、
you're welcomeは「あなた」が歓迎されてることを強調しているから使いやすく、どういたしましては「私」が何かしましたか?と言ってるから(軽い場面で使うにしては)なんとなく恩着せがましい感じがしてしまうのではないだろうか。

それと、nothingは何もしてないよって感じでこちらの方がむしろどういたしましてに近い感じだが、
nothingと言われた時は、(そのときの状況にもよるだろうし、自分の記憶が改変されていないとも言い切れないのだが、)なんとなく突き放されたような、「これでこの話はお終い」的な、そんな感じを受けた。

そんなわけで、you're welcomeっていい言葉だなと思うのだ。自分のしてあげたことは認めたうえで、「それはあなただからだよ、あなたを歓迎しているからだよ」といったニュアンスがあるのが、素敵だと思う。まあただの定型表現なのでこんなことを考えながら発語している人は少数派だろうが……。

近い言葉で、イタリア語のpregoという言葉はありがとうとセットありきの言葉ではなく単体でも「どうぞ」みたいな意味を持つのだが、あなたを歓迎しますというyou're welcomeに近い気がする。

やたらと海外文化だけを褒めちぎるような人間にはなりたくないので日本の文化についてもう少し深掘りしておくと、「ありがとう」には「ありがとう」で返すのが一般的で、これもまた気持ちの良い文化だと思う。それと私の好きな言葉に「恐れ入ります」というのがあって、気を遣っていただきありがとうございます、とか、お褒めにあずかり嬉しいです、とか、すみません、とか、結構万能で響きも美しい言葉なのだが、もう少し改まった場面ではありがとうへの返し方としてもあり得るだろう。

最後に根本的な話だが、日本ではそもそも道を通してもらったときなどは「ありがとう」ではなく「すみません」と言いがちなので、「すみません」と言われたらそりゃあ「いえいえ」と返すでしょう、という、そもそもこの使用頻度にまつわる話は「どういたしまして側」の問題ではなく「ありがとう側」の話だったのかもしれない。

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