もう何にでもはなれないのだろうか
高3の受験大詰め期に友人に言われたことをよく覚えている。
「もう何にでもなれる時期は終わったよね。」
直前期とは概して後ろ向きになったりするものだし、彼女もなんの気なしだったのかもしれないし、私もそのときは「ほんとそうだよね〜」と軽く流したのだが、どこか心がチクッと痛んだのもまた、よく覚えている。
そうなんだ。もうなんだって目指せるわけじゃないんだ……。
4年経った今も、どこかでこれを否定しながら肯定している。ずっと頭の片隅にある。
だけど今、いろいろと失敗して後がなくなってみて初めて、自分のやりたかったことに疑問を覚えた。
「できる」ことが「やりたい」ことだと、無意識に暗示をかけてしまっていたのかもしれない。
目指していたことへの夢が断ち切られて、
「できる」と思っていたことが「できない」こともある、
と、遅れてやってきた成人の気付き。
それなら、「できるからする」んじゃなく、「やりたいからやる」べきだ。
「やりたい」からって「できる」わけではない。
そんなのは分かっている。
だけど、「できる」と思っていたことだって、「できる」とも限らないのなら、
やりたいことが優先じゃないのかな。
4年越しに、あの半ば絶望的な一言に、納得いくアンサーを出せた気がしている。
「何にでもはなれない。なれるものと、なれないものがある。それは、私が1人しかいないからだ。」
たしかに、できることと、できないことがある。だけどそれは、何ら絶望する必要のないことである。
やってみてできることと、やってみてもできないことと、やっていないからできないことがあるだけだ。
この世の全てをやってみることなんてできない。人生は有限で、身体は唯一だからだ。
じゃあ、何からやるべきなのか。
やりたいことをやるべきなのだ。
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