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読みたい本を、つくればいい。

田中泰延さんという人といっしょに、本を作った。渾身の力を込めた本。渾身だ。

田中さんはもうすぐ50歳だ。24年間、電通のコピーライターとして、クライアントの商品の魅力をできる限り短い言葉にまとめる「コピー」という受注制作物を作り続けた。しかしあるとき、「誰かのために書く」ということが苦手になり、電通を離れ、映画評や音楽評などの随筆という形で「自分のために書く」という生き方を選んだ。

私は、田中さんに依頼したとき、34歳だった。10年間、編集者として、読者の課題解決に繋がる企画を立て、ビジネス書籍というマーケットイン志向の強い制作物を作り続けた。しかし、自分の作った本が売れない時期が続き、「誰かのために本を作る」ということに楽しさを見出せなくなり逃げるように離れ、「自分が読みたい本を作る」という道を歩み始めたところだった。

この本は、そういう2人が出会って生まれた。

田中さんが読みたいことを書き、私が読みたい本に仕立てた。『読みたいことを、書けばいい。』というタイトルは、カッコよく言えば2人の決意表明であり、ストレートに言えば自分に向けた崖っぷちの開き直りだ。誰かのためではない。でも、確実に2人の読者がいる。そういう本になった。

自信を持って言える。
この本は、めちゃくちゃおもしろい。
誰にとって?
私にとってだ。
どんな本よりも、間違いなくおもしろい。
私がだ。

ターゲットを設定していない。達成すべき目的も提示していない。誰にも届かないかもしれないし、結果としてたくさんの人に届くかもしれない。その反応がまったくわからない。考えることもできない。こんな本を作ったのは初めてだ。

今回、私は、自分で1文字も「帯コピー」を書かなかった。帯コピーとは多くの場合「著者の実績の紹介」であったり、「読んでほしい読者の属性」だったり、「多くの読者にとって魅力的と思われる中身の紹介」だったりする。端的に言えば「読んでください!」という制作者側の読者に向けた思いが書かれる。私もそういうものをたくさん書いて帯に詰め込んできた。

しかし、この本は自分のための本だ。そういうものを書く必要がないし、書いたら自己矛盾する。だから、やめた。すべてはタイトルに込めた。その代わり、帯にはただ第三者に寄せていただいたコピーが載っている。糸井重里さんという、私がコピーライターと聞いて最初に思い浮かぶ人であり一番好きなゲームソフトを作っていた、そして田中さんが一番敬愛するコピーライターのコピーが。

この本は272ページ、およそ77000字の文章でできている。だが、私がこの本を作る過程で田中さんに送った文字数は、数えてみたら83000字あった。ひとり爆笑した。著者よりも編集者の方が文字を書くなんてことがあるのだろうか。少なくとも私にとっては初めての経験だった。

そんなに編集者が何を書くことがあるのか。客観的に言えば、「催促」なのだろう。「原稿を書いてください」ということだ。でも、原稿の中身についてはほとんど書いていなかった。私が田中さんに送ったのは、グレンファークラスやバルヴェニーなどのウィスキーの話、陸上100メートル元世界記録保持者ドノバン・ベイリーの話、哲学者・鷲田清一の『待つということ』という本の話、文芸評論家・加藤典洋の訃報、早稲田にある「南海キッチン」という定食屋の写真、田中さんとは全く関係のない、狂ったようなaikoへのラブレターを見せたりもした。

田中さんが送り返してくれたのは、原稿ではなかった。「今書いている別の原稿の進捗状況」だったり、親鸞と吉本隆明の話だったり、『三国志』の関羽や映画「ターミネーター2」や「幸福の黄色いハンカチ」の名場面の写真だったり、「NHKから国民を守る党」党首の写真だったり、BUMP OF CHICKENの『arrows』という曲の歌詞だったり、百人一首に登場する「蝉丸」の写真だったり、カッチーニ「Ave Maria」の素晴らしさだったり、ちょっと書けないくらいくだらないダジャレの数々だったりした。

今思えば私は、催促にかこつけて、田中さんとの会話を楽しんでいたのだ。本を作ることにかこつけて、田中さんとおしゃべりがしたかったのだ。

私は本を作る過程で、田中さんのことを、依頼した時よりも好きになっていた。私のことを知ってほしかったし、田中さんのことをもっと知りたかった。原稿を待つ間も、昔、田中さんが書いた文章を読み返したりしていた。

ビジネスパートナーとして仕事をしているのに、

こういうやりとりをしているのが、たまらなく楽しかったのだ。書けと言われても絶対書きたくない83000字を、私は知らないうちに嬉々として書いていた。

そして、永遠に届かないと思っていた最後の原稿が届いたとき、「脱肛のはずですボラギノールです」というくだらなさに包まれたピリオドを打たれ100冊ダイエット本を読んでも痩せられない49歳とスキンヘッド35歳男2人のあぶらぎった汗にまみれた並走が終焉を迎えやがて校了したとき、私の胸に去来したのは、「さみしい」という気持ちだった。

あんなに催促していたはずなのに、本ができることを誰より心待ちにしていたはずなのに、それが現実のものになろうとした時、「ああ、もうこの人と本を作る過程は終わってしまったのだ」という感傷に一瞬にして変化してしまった。

6月13日の発売日を迎えれば、この本は私たちの手を離れ、誰かに評価されていく。私はどんな本よりもおもしろいと思っているが、評価は他人が決めるものだ。淡々と受け止めるしかない。でも、心は揺れるだろう。だからその前に書いておきたかった。

誰のために?

誰のためでも田中さんのためでもなく、自分のために、です。

おまえは、大好きな人と、読みたかった本を作ったんだぞ、と。


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