リアルぼっちがマッチングアプリを使ってみた/番外編01.関係の板挟み

いままでに書いてきたように、私はマッチングアプリを使って一人の方と関係性がある。
そんな中、ゲーム仲間のある方から告白された。毎日、求愛されている。

ダブルブッキングしないように気をつけていたのに、このようなパターンがあるのか、と思った。現状、告白された方への返事は出していないのでダブルブッキングにはなっていないが。

マッチングアプリの方の方は、5月のGWからもう会っていない。連絡は取っている。GW明けから相手方の仕事が忙しくなり、現在までその状態が続いている感じだ。ただ、私の家に招待するという話はあって、それがどう進んでどうなるのか、というところがある。

告白された人をすぐに断らないのは、私の中で大きな変化があったからなのだと思う。3年間一緒に過ごした元相方との関係がなければ、私は告白されたらとりあえず断るということをずっと続けていたと思う。
その元相方も初めは断っていたのだが、私のデメリットの全てをそれがあっても大丈夫と言われ、断る理由がなくなってしまった。それで付き合いをすることになったのだけど、私は最後までその人に恋をすることも、愛することもできなかった。恋をしなければ、愛さなければ、と思って、言葉をかけたこともあったけれど、思ってもないことを言ってもただ空虚なだけであった。
告白された方のパターンは、この二の舞になるような気がしている。そうなって私はまたあの一種の時間の浪費をするのだろうかと思うと怖い。もっと満たされていて、有意義な時間を私は過ごせるのではないかと思ってしまう。これは驕りだろうか。

私の初恋だったはずの記憶を思い起こそうとしても、もう全く思い出せなくなっている。私はほんとうにあの時、恋をしていたんだろうか、あの人のことが好きだったんだろうか、まったく感覚を覚えていなくて、幻覚だったのかもしれないとも思えてしまう。

わからない、むづかしい。なんて言えばいいんだろう。わからなすぎて涙が出てくる。

わかっていることは私はとても寂しがりだということ。一緒にいてくれるという人がいるならほんとうにずっと一緒にいて欲しい。
元相方が離れていった時、元相方にとっての私の役目が終わったんだ、と思った。役目や意味を求めるために一緒にいるというのは、あまりよくないのかもしれない。役目が終わったらもう要らない、そんなふうに扱われたことに私はおそらくショックと恐怖を感じていた。過去に言っていた、私のことが好きだという言葉は嘘だったのだろうか、と。おそらく好きという感情にも色々な種類があるのだろう。
まだそれが私にはわからないけれど。

弟に板挟みの状態のことを相談したら、そもそもいまの私に一緒に生きるという存在は必要なんだろうか、ということが返ってきて、まったくその通りだなと思った。
いまの私は病気や障害があっても最低限過ごせるようなサポート体制を作っていて、現状うつ状態にならなければ困っていることというのは数少ない。
ゲーム仲間を増やして、ほぼ毎日一緒にゲームをやってくれる人がいる。
人とのつながりを増やしたから、自分を生きることが楽にできるようになっている。
その上でさらに深い関係性を持つ必要性。
もう十分であるのにさらに増やすという選択はいいことなのか、いいことではないのか。
それがわからない。もう敢えてこのことを告白した方に聞いてみるのもいいかもしれない。

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