【82】カラダという存在

今夜は七夕。
そして、もうこれからは自分で勝手に
好きなことで好きなようにもりあがっていけばいいんだっていうかんじが。ひしひしとした。

一連の出来事から、ようやく『これでええ!』
わたしはこれでええ!

ってのが欠けてて、
もしかしたら、そこが弱いときに旦那さんと摩擦が起こってるような気もする。というか、そこ、大きな声で堂々とわたしはこうだ、ってはっきり言ったら、怒らせるどころか逆に喜んでくれるかもしれない。
わたしが抱えてきたもの、自信のなさが、この一か月あぶりだされている。

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書きたいと思い浮かんできたことは、からだのこと。
昨年秋に、風邪をひいて長引いていたときの出来事だ。

子どもが小さいと休みたいときにぐっと休めないからか、ここ一年ぐらい風邪をひくと喘息のようになる。咳が悪化し、止まらなくなるのだ。咳の発作はなめてはいけない
。息ができなくなりオエッとなり、死ぬかもしれないという危機感に毎回襲われる。そして、息をするたび、また咳がとまらなくなるかもしれないという恐怖。
この感覚。
なぜだか、自分にとってすごく大事だと思った。


これは、今迄の人生で健康には恵まれてきたわたしにとって大きなことだった。
だって、普通に息ができているだけで、ものすごいことなんだ、すごい幸せなんだとわかったから。

何週間も咳に悩まされていたある日、昼寝をしていたときだった。
寝ているけれど、意識はあるような不思議なかんじだった。毎日毎瞬、絶え間なく動いてくれているわたしのからだのあらゆる部位。文句など何一つ言わずに、わたしがやさぐれているときも、嬉しいときも、ずっと一緒にいてくれる自分のからだ。突如として、ものすごい感謝のマグマが腹の底から吹き出てきたのだ。まぎれもなく細胞のひとつひとつが、わたしの味方だった!そのことの、ものすごいあたたかさ。
涙が次から次からあふれて、ほほを伝った。
そして、わたしは確信した。『もう大丈夫。わたしは治る。』

健康に恵まれすぎて、常にわたしのために休みなく働いてくれているカラダという存在に、あまり思いをはせたことがなかった。
それどころか、咳がなかなか治らない・・・と喉を気管支を不安に感じていた。いつまでグズグズしてるんだよ、どうなってるんだよ・・・と悪く思ってさえいる自分もいた。

その日を境に、咳は出るけれど、大丈夫という根拠のない自信があったので、どんどん気にならなくなっていき、完治した。

今日、これを書きたくなったのは、ふと思い出したから。いつでも、どんなときでも、あなたのために全力で片時も休まずあなたのベストであり続けてくれているという、カラダという存在。あたたかさや、そのまっすぐさを、感じると、元気でるよね。

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