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イェディクレ要塞(イスタンブール)

イスタンブールのファティ地区にある。5世紀のビザンツ帝国時代の建造物に15世紀のオスマン帝国が塔を増築し、「イェディ(7)」つの「クレ(塔)」要塞と呼ばれるようになった。修復を経て公開が再開された。

★トルコ名:Yedikule Hisarı
★アクセス:マルマライ Kazlicesme駅 徒歩10~15分(一部歩道は狭い)。バスによるアクセスも可。
★観覧料:外国人100リラ(2023年10月)※英語・トルコ語併記のパンフレットがもらえる
★公式サイト:https://www.yedikulehisari.com/en/

ビザンツ帝国の皇帝のコンスタンティノープル凱旋時の儀礼門(黄金の門)や塔など、5世紀前半の建造物が崩れながらも残っている。以下の写真は金の門の前のミニ金の門。門の奥側の左右に神話をテーマにした12の大理石のプレートが掘られていた。

城壁の外には野菜畑が残っている

7世紀から15世紀は、治安悪化などにより黄金の門内に城が築かれるが、地震の被害もあり、要塞は破壊が進んだ。

1453年、コンスタンティノープルを征服し、ビザンツ帝国を滅ぼしたオスマン帝国のメフメト2世は、大砲の塔など3つの塔を増築し、計7つの塔にし、名前の由来となった。城は塔と塔の間に築かれた城壁で結ばれ、駐屯地が形成された。財務省も居を構えた。芝生が広がる城内は、当時は、建物でひしめき合っていたのではないか。

黄金の門の上の展望テラスから

15世紀から17世紀までは、ダンジョン(地下牢)がつくられ、政治犯などが投獄された。イェニチェリの反乱で崩御したオスマン2世(1604~1622年)も投獄されていた。塔も牢獄として使われていた。塔は光が差し込むが、要塞内部は日中でもほとんど暗闇である。15世紀に建てられた塔と要塞内は立ち入りができる。要塞内は暗い迷路のようで、階段も多い。

要塞内は見学用にライトが敷設されているが、足元注意。なければ日中でも暗闇が広がる
15世紀に設置された塔の内部から。光がふりそそぐ。

19世紀以降は、牢獄を改造し、製粉工場となった。その後、女子美術学校もつくられた。その後、修復、発掘作業が進んだ。

15世紀の井戸。奥の黄色の鉄骨で覆われた建物は15世紀のモスクの名残。

※扉の写真は黄金の門(左)と、かろうじて残る5世紀の小さな塔(右奥)

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