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能登半島地震と北陸海岸線の結界

災害の深刻さに書けなかったことがある。
今も状況は過酷さを増すばかりだが、なんとなく、そろそろ出してもいいだろうかと感じるので、あくまで個人的メモの範疇として記録しておく。

安倍晴明の子孫が語る、北陸海岸線における見えない世界の攻防戦

去年から日本海側、特に福井県から能登を含むエリアが気になっていた。
安倍晴明の子孫が、
「北陸海岸線の結界は、張っても張っても破られる。目には見えない激しい攻防戦が繰り返されている」と、著書の中で語っていたことも影響していたのだろう。

(北陸の)海岸線に沿うようなかたちで、無数といっていいほどの結界が張られていると考えてください。
(中略)
 と同時にこの海岸線の結界は、昔から張っても張っても破壊されるということを繰り返してきました。おそらくいまでもいちばん壊されているのがここの結界だと思います。
 張っても張っても壊される。要の結界石を壊す人たちがいるのです。
 この地では、目に見えない霊的な攻防戦が行われているのです。

『日本の結界』安倍成道(駒草出版)

記憶にない、よくわからない印


私はふだんからGoogleマップの気になるところに印をつけているのだが、
なぜか能登半島にも星マークをつけていた。
自分でつけておきながら、なぜなのか、いつ印をつけたのか、まったくわからない。
神社や寺院があれば、印をつけた理由もわかる。
だが印をつけた場所には、とりたてて何かがあるわけではない。
しかもその場所は甚大な被害を出した珠洲市だった。
クリックしても何も出てこない。
なぜここに印をつけたのか、本当にわからない。

黄色い星印が能登半島の突端近くにある。

結界が破られた、一瞬の隙をついたのか?

元旦の夕方、大地震と津波が襲ったというニュースをした瞬間、心に浮かんだのは結界のことだった。
「この地では、目には見えない霊的な攻防戦が行われている」
この言葉がすぐに想い出された。
直感的に、この攻防戦は去年の夏から暮れにかけて、激しさを増していたのではないかと思う。あくまで感覚的に。
北陸の海岸線、特に能登半島が気になっていたのは、その時期だ。
何度か行ってみようか考えたが、スケジュールの調整が叶わなかった。
その間、ずっとマップでこのあたりを見ていたのだが、印は、その時に何かを思ってつけたに違いない。
あくまでも夢想としてメモしておく。
結界が破られた一瞬の隙をつかれたのではないか。
元旦の夕方といえば、誰もがお祝い気分でくつろいでいる。
まさか、という「日取り」だ。
西洋においても、戦争に関する種々の作戦を、クリスマスは避けるといったことがあるという。
そういう暗黙の了解がもしも存在するとしたならば、一種の「掟」さえも破ったということになる。
壊す存在は、そこまで追い詰められていたとも考えられる。
ともすれば、若狭湾から新潟あたりに至るまで、もっと大規模な被害が出ていたのではないか。
それが能登半島を中心としたエリアになんとかおさえたのは、結界を張る側だったのではないか。
すべては夢想に過ぎないけれど、なんとはなしに、そんなビジョンが垣間見える。


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