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すべて冒険家に生まれている

ある人が
瞑想とは意識を探究するもので
自分の中へ向かってゆくことは
最も過酷な冒険となる、
と述べました。
実際まったくその通りで
自分と深く向き合い
その内側を明らめるのは
苦痛を伴うことがままあるのです。
そうした感覚がないとしたら
単なるイメージやビジョンに
終始しているかもしれません。
そして、その過酷な冒険は必ず
大いなる光へと繋がっています。
知らなかった光
見たこともなかった光
そして同時に忘れていた光。
だけら、ああ、そうだったかと
ゆるされていたことを知り
みずからもゆるし
世界は愛そのものであったと
気づくのでしょう。
私たちはすべて、冒険家
人生を通じて意識の世界を探究する
勇敢な冒険家です。

みなさまからいただくサポートは、主に史料や文献の購入、史跡や人物の取材の際に大切に使わせていただき、素晴らしい日本の歴史と伝統の継承に尽力いたします。