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自分が種だったら

(写真は去年のじゃが収穫🎵)


自分が植物の種だったら発芽しているといえるかな?


これは社会的に根ざしているかどうかではなく
本来の自分として、じぶん本来の力を全力で使って生きられているかなという問い。


植物の種は全部同じに見えても

畑にまくと発芽するのとしないのとがある。


発芽して無事に花を咲かせられればいいけど
発芽できなかった種は、可能性を宿して
可能性を宿したまま
その能力を発揮できずにやがて土に戻る。



自分の本当の力を発揮することなく時が経つ。


しあわせな家族を持ち、愛する人もいて愛されていて
それでも常に自分の空虚は人生の半分近く存在していた。


これでいいんだろうか(いやいいはずない)

こんなもんなんだろうか(いやもっと•••)

あのきもちは幻想だったのか




でも種が発芽するかしないかは

きっと潜在能力もあるけど

やっぱり個々の意志なんじゃないだろうか。

実は、種だって。



たくさん存在する種命が途切れないようにたくさんたくさん粒があるけど

どの種も同じくらい大切で

同じくらいの大きさの可能性を持つもの。


でも何が違うかって意志やみえない気持ちの部分。

そこは完全に自由だから。



「土はあったかい・・・むにゃむにゃいつまでもこうして安全に寝ていたいなあ・・・」

という種と

「よし!怖いけど、土は暖かいけど、
もっと大きくなってみよう!
いつまでも眠っていたら安心だけど
それでも勇気を出して外を見てみたい!!」

という種。


その種の決意と、実際の転換の一歩が

つまり行動が種を発芽させる。


(はじめの一歩がいちばん怖くてあとは自動コースだったりする、たぶん‥)




種は発芽すると

そのあと

自分の咲かせる花を知る。

青い花の種は青い花を

小さい花の種は小さい花を咲かせる準備をする。


やがて自然の成り行きで花を咲かせる。
種をつける。

それが花の役割。

途中で摘み取られて部屋に飾られるかもしれないし

誤って踏みつけられることもある。

だれかの目を癒したり、学びを与えたり

多様性を表現したり他の花を元気付けたり

他の花に有効な栄養を与えたり

芸術的で魅惑的な花で魅了したり

素敵な色と香りで彩ったり

役目をまっとうする。



すると種は

生きているという実感

自分のすべきことをしているという充実感を得て

今日の人生に満足する



生きるのが楽しくなり
同じ仲間とどんどん出会って
つながりあって
自分ひとりだけの可能性を超えて

みんなでできる可能性は無限大にひろがっていく。


・・・そんな可能性を秘めた、わくわくする小さな種。

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