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SNSは人類のなんなのか

ふと、年末で今年1年を振り返りながら徒然なるままに書いていく。

僕は今専門学生の4年である。来年からは新卒社会人として生きていく。
僕らITの世界では例えばFacebookはよく使われるSNSの1つである。活用例としては就活の際などに先輩の社員を見つけたり、人事とのやりとりをするために使うのである。
これはとても僕ら就活生に対しても優しいものである。就活をしていくと以前お会いしたことある人などが出てきて共通の話題も広がりとても話しやすい他に、その人自身のことを事前に知ることも出来る。SNSとは人をインターネットの場所へ持ってきたいいものであると僕は思っていた。

しかしながら最近のSNSはどうやらそんな優しい世界ではないらしい。
僕らのヒエラルキーはどんどん自己ではなく、他者を使うようになっている気がする。
小学校での場合は、足が速い奴が一番カッコよかった。中学ならちょっと悪い奴がカッコよかったかも知れない。

ただ高校、大学と進むにつれてそのヒエラルキーの頂点に立つ人間はどうにか自分の知っている人を自慢してみるのである。
「○○先輩知ってる?」「誰々って人知ってる?」と言うあれである。
これはみんながマウントと呼んでいるアレである。マウントは取ろうとしている場合と意図せずとってしまう場合がある。高校や大学生に多いのは前者である。経営者などの部類で仕事の話をしている場合に「こーゆーのは○○さんに聞けばわかりそうだけど知ってる?」のような文脈は後者にあたる。
このマウントを取って他人を蹴落とし、自分をヒエラルキーの頂点へ導く。これが人間であった。

さてSNSの話に戻るが、近年のFacebookやTwitter事情では友達やTwitterのFF(Follow & Follower関係)で、人間をしているようだ。
例えば共通の友人に著名な人がいたとしよう。その人自体は信用できなくても、その著名な人は信じることが出来るので、その信用できない人とも友人になるのである。しかし会ったことはない。
Twitterでも同じく、誰々にフォローされてるからフォロバをする。みたいな感覚になるのである。

僕はSNSをそろそろ遊戯王のように扱ったほうが楽なのではないかと考えている。
僕は家入一真とFFだぞ。というマウントで人へダイレクトアタックするのである。それを守るのはけんすうであったりするわけだ。
名前が出た2人は特に僕は面識ないがよく目立つので使わせていただいた。

以前までは口頭で取っていたマウントを大人になるにつれてSNSへ持ってくるようになり、以前までは自分の優れている点でマウントが取れたのにもはや自分ではない誰かのことを使ってマウントを取るようになる

これが大人かと思いながらも、誰が悪いのかという話をしてみたい。

これをここまで呼んで、あぁ。あるよなあそーゆーの。と思っているかも知れないが実際自分は1度もそれを行なったことがないだろうか。
ないというのであればそれは大層なことである。素晴らしい。
しかし僕みたいな人間はとても絶対にしてないと言えないのである。

この人間の弱さをもっとみんなが許せるようになればマウントなんてなくなるんじゃないかなって。SNSはまた次の使い方があるのではないのかなって。僕はそう信じて2019年迎えたい。

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