先日渡された名刺を取り出す。

 漢字四文字で構成された氏名の下に電話番号が記されている。市外局番に見覚えはない。受話器を取り、名刺と見比べながら10桁の数字を入力する。
 呼び出し音が5回ほど鳴る。やや掠れた男性の声が社名を告げる。なるべく落ち着いた口調を心がけながら、自分の社名と自分の名前、そして名刺に書かれた名前を伝える。電話の向こうの男性は不審げな口調でその名前を復唱する。少々お待ちください、と言って保留のメロディが流れる。クラシックか何かだと思う。自分の会社のそれとは違うということだけは分かる。
 音楽が一周半する直前に再び受話器から声が聴こえてくる。今度は女性で、随分早口だった。頭の中で再生ボタンを押し、先ほどと同じ口上を繰り返す。すると、この会社にはそのような人物はいない、という内容のことを告げられる。一瞬作ってしまった間に気づかれないよう丁寧に謝罪の言葉を口にする。がちゃん、と受話器が置かれたあとに一定の高さとリズムを持った音が繰り返される。五回それを聴いてから受話器を置く。
 入力した数字と名刺に書かれた数字を照合する。間違っている箇所はない。名刺を見ると電話番号の下にメールアドレスがある。ドメインに見覚えはない。ウェブメールの画面を開く。このメールを見たら連絡してほしい、という旨を適度な礼儀を持った文体で作成し、会社から貸し出されている携帯電話の番号を書き添えて送る。仕事に戻る。
 資料を眺めていると、ディスプレイの端にメールの受信を知らせる通知が現れる。画面を切り替える。すぐに英文で書かれていると分かる。スパムと判断しカーソルをゴミ箱のアイコンに載せたところで「User unknown」という文字列が目に入る。マウスから手を離しメールのタイトルと冒頭を読むと、送信先メールアドレスが存在しないため、先ほど自分の送ったメールが届かなかったことが分かる。
 送信内容が本文に引用されている。そこに書かれたアドレスと、名刺に書かれたアドレスを照合する。間違っている箇所はない。名刺を見ると電話番号の下に住所が記されている。町の名前に見覚えはない。訪ねてもこの人はいないと確信する。英文メールを削除する。先ほど送った(届かなかった)メールも削除する。電話の履歴は消せないので諦める。名刺を引き出しの奥にしまい込む。見えない会社員が一人、付箋とボールペンの下で眠りにつく。

此瀬 朔真

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