《夢》夕暮れ上映会

 窓の外はどんよりと暗い。今にも雨を降らしそうな雲が低く垂れ込めているが、水滴を落とす気配はまだなかった。壁時計の指す時刻は間もなく夕方。教室に充満する薄闇は一層存在感を増す。生徒たちのまとう紺色のブレザーはそこに紛れ、彼らの顔だけが白く浮かび上がって見える。この年代特有の未熟さを色濃く残す顔を一様に引き締め、彼らは教室の前方——黒板を背にして設置されたテレビを注視していた。
 底冷えする空気を震わせ、始業のチャイムが鳴る。
 この学校には代々、ある学年になると変わった課題が提出された。それは生徒が一人ひとり、好きな題材で三分間程度の映像を作るというものだった。条件はふたつ。実写映像であること。そして、自身を映像のなかに登場させること。
 生徒たちはビデオカメラと映像編集用ソフトウェアの簡単な使い方を教わったあと、それぞれ工夫を凝らして映像の制作に取り組んだ。この手の作業には得てして向き不向きがあるが、なんとか全員が映像を作り終え、今日の上映会にこぎ着けた。
 チャイムの余韻が消えるのを待って、教室の隅に静かに佇んでいた担任教諭が口を開く。
「今日までに、全員分の作品が無事揃った。授業や部活動、または学外での活動でそれぞれ忙しかったと思うが、よく頑張ったと思う」
 達成感と誇らしさに、生徒たちは顔を見合わせて笑う。不慣れなカメラを片手に右往左往し、映像の編集中に幾度となくフリーズしたコンピュータに泣かされもしたが、諦めず努力した甲斐があったというものだ。
「今日の授業の締め括りとして、これから全員で映像を観てみたい。——その前に」
 教諭がふいに眼鏡に手をやり、生徒たちに問いかける。
「代々行われているこの授業が、一体何を目的にしているのか。君たちは知っているか?」
 それは彼らが酷使したビデオカメラを充電しながら、あるいは録画に失敗した部分を丁寧に削除しながら、幾度も脳裏に浮かべた疑問だった。およそどの教科にも該当せず、卒業制作にはまだ早い。わかっているのはただ、毎年特定の学年になると同じように映像を作ってきたということだ。
 所詮教師の自己満足だと斜に構える者も、映像をまとめて卒業時に記念品として配布するのではないかと予想する者もいた。無論どれも確たる証拠のない憶測に過ぎない。ついには、彼らに共通の不安と関心を背景にして「映像の出来が内申に関わる」という噂までがまことしやかに囁かれるようになった。
「断言しておこう。この授業が何のために行われてきたか、はっきりとしたことを知っている者はここにはいない。君たちが知っていること、予想していることは皆事実ではない。事実を隠すための嘘か、あるいは単なる妄想に過ぎない」
 すい、と一人の生徒が手を挙げた。利発そうな、悪く言えば生意気であらゆる大人に反抗心を抱いているような表情をした彼女は、教師の頷きを合図として口を開く。
「では、教えてください。私たちはなんのために映像を作ったのですか?」
 教師は再び眼鏡に手をやる。分厚いレンズの向こう、どのような表情をしているかは、刻一刻と濃くなる暗がりのなかでは窺い知れない。
「これは一種の降霊術だ。名前だけなら聞いたことのある者もいるだろう。この世にいない、いるべきでないモノを召喚する方法。君たちの作った映像はそのための材料だ」
 教室が驚愕と懐疑でざわめいたのも束の間、生徒たちはすぐに口を噤んだ。誰もが固唾を飲んで教諭の言葉を待つ。
「なぜそのようなことをするのか? 残念ながら、君たちにそれを知る権利はない。しかし、東北の学校では毎週伝統や民俗、あるいは中央の文化が根付く前に存在した土着信仰について学習しているという。ならば、この授業も決して間違っているわけではないと言えるだろう」
 その淡々とした語り口調は、教室内の空気をさらに冷やしていくような感覚さえあった。生徒たちのなかには既に顔を青白く染めている者もいる。
「強いて言うならば、そうだな——」
 教諭がほんの一瞬、笑ったような気がした。
「君たちは、この学校の伝統を担う一翼なのだ。——始めよう」
 再生装置のボタンが押され、前触れなくテレビ画面が明るくなる。暗さに目が慣れていた生徒たちは一様に目を細め、しかし視線は映し出された映像から外さずにいた。

 画面に現れたのは一人の生徒。エプロンをつけ、頭にはきちんと三角巾を巻いている。背景からこの学校の調理室にいるらしいことがわかった。カメラのフレーム外からはしきりにじゅうじゅうと音がする。カメラは楽しそうに笑う生徒から、その手元へと向けられた。しきりに泡を立てる鍋。大きな網杓子が鍋に差し込まれ、中身をかき回してすくい上げる。
「……なんでポップコーン揚げてんの?」
 誰かが思わず呟いた言葉で、教室中に笑いが弾けた。張り詰めていた空気が緩む。
「ポップコーン作るときって鍋に油敷くじゃん。だったら最初から揚げたらどうかなって思ってさ。ほら、大体なんでも油で揚げたら美味いし!」
 映像を作った生徒がそう弁明する。緊張が解けたせいか声が大きい。
「うわっ、雑な発想!」
「わかんなくもないな」
「で、美味しかったの?」
 問いかけに、生徒は笑いを堪えながらテレビを指差す。顛末はしっかり撮影したということらしい。ちょうど、からりと揚がったポップコーンが引き上げられ、キッチンペーパーに山盛りにされたところだった。
『では、食べてみます』
 塩と胡椒で調味された揚げたてのそれを、画面のなかの生徒はよく見えるようカメラに近づける。見た目は特に変化がないようだった。美味そう、と誰かが呟き、小さな笑いが漏れた。
 生徒は熱い熱い、と呟いてポップコーンを口に放り込む。最初は好奇心でいっぱいの笑顔を浮かべていたが、咀嚼する間にそれがだんだんと曇っていく。飲み込んで一言、感想を述べた。
『……うん、微妙』
「やっぱりな!」
 再び生徒たちは笑い転げた。映像はまだ続く。がたがたとカメラが揺れたあと、映し出されたのは別のクラスの生徒だった。どうやら撮影の手伝いをしていたらしい。微妙と評されたポップコーンに興味を引かれたのか、同じようにポップコーンをつまんで口に入れた。もぐもぐと口を動かし、苦笑いして首を傾げる。
 そこで、映像に奇妙な点が現れた。彼も奇妙な揚げ菓子について何かコメントしているらしいのだが、その声がほとんど聞こえない。
「マイクいじった?」
「何もしてない」
 映像作製者の生徒はぶんぶんと首を振る。教諭からリモコンを預けられていた、最前列の席に座る生徒がすかさずボタンを押す。しかし、テレビも再生装置も適正な音量に設定されていた。その証拠に、フレーム外から聞こえたのは映像を作った生徒の笑う声だった。
 奇妙なことに、カメラのすぐ近くにいるにも関わらず、別のクラスの生徒の声だけがほとんど映像に記録されていない。ふざけ半分の映像に現れた奇妙な現象に、生徒たちは首を傾げた。

 その途端、ぶつん、と画面が暗転する。

 室内の空気がたちまち張り詰める。
「……終わり?」
「違う、だってまだ」
 一分も経ってない、と答える声は悲鳴にかき消された。
「ちょっと!! なにあれ?!」
「おい、嘘だろ……」
「やばいだろあれ、洒落にならないって」
「なに撮ったのよあんた!」
 掴みかからんばかりに詰め寄られ、狼狽えた生徒は再度暗転した画面を凝視する。
 映像は途絶えていたのではなかった。まだ続いている。途中から、まったく違うものに上書きされているのだった。
 真っ暗に見えるそれに目を凝らすと、ぼんやりと白いものが画面の中央に映し出されていることに気づいた。
 生徒はなおも目を見開き、その正体を明かそうとする。

 白い服。
 髪の長い人影。
 血の気のない顔。
 女。

 じっと、こちらを見ている。

「わあああああああああああああああああああ!!」
 生徒たちは一気に恐慌状態に陥った。椅子を倒し、机を薙ぎ払い、教室の出入口へ殺到する。外れそうな勢いで開いたドアから次々に飛び出していく。悲鳴と怒号、泣き声が廊下に響き渡り、不気味に反響した。

 私も遅れて廊下へ出た。陰鬱で重苦しい、暗い廊下。生徒たちは既に散り散りになっており、誰もいない。
 誰もいない?
 奇妙な感覚にとらわれた。
 この教室の右隣とその向こう、そして反対の左隣にも教室があったはずだ。まだ授業時間なら、この騒ぎを聞きつけて誰かが出てきてもおかしくない。
 それでも廊下には、誰もいない。おそるおそる隣の教室へ歩み寄り、覗き込んだ。
 消された照明、何も置かれていない机、がらんとした教室——誰も、いない。
 まだ授業時間なら、誰かがいるだろう。
 けれど、もう授業時間でないとしたら?
 既にこの学校には、私たち以外誰もいないとしたら?
 既にこの学校は、捨て置かれた場所であるとしたら?
 ただの推論に、背中が冷たくなる。
 つまり。
 別のクラスの生徒などいない。
 違う学年の生徒などいない。
 私たち以外の生徒など、もういない。
 踵を返す。静まり返った教室から、担任教諭はいつの間にか姿を消していた。
 電源がついたままのテレビに視線をやる。
 その中央に浮かび上がる、ぼんやりとした白い影。

 それは先ほどより、こちらに近づいているように見えた。

実際に見た夢をベースに、辻褄の合わないところを創作で補填し、小説の形式に書き改めました。

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此瀬 朔真

マストドン小説

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