牛になったクマ
夜中、小腹が減って台所に行くと、クマが冷蔵庫を漁っていた。
秒で喰われた。
だから今、ぼくはクマのお腹の中だ。でもクマを恨んだりはしていない。弱肉強食が自然界の掟だし、クマのお腹の中も案外居心地は悪くなかった。
「だからクマを許してあげてくださいよ」
駆けつけて来たお巡りさんと自分に猟銃を向けている猟友会の人たちに、クマがそう訴えている。自分の食べた人間が情状酌量を求めているのだと。
「いい加減なことを言うな。食っちまった人間の気持ちなんてわかるわけないだろう」
お巡りさんはさすがに公務員だけあってもっともな指摘をする。それでもクマは平然と言い返した。
「ボクらは食べたものでできているって言うでしょ。あの人はもうボクなんですよ」
だから彼の気持ちがわかるのだ、彼はもう自分なのだから。むしろ自分の今の気持ちこそが彼の気持ちなのだと、クマはあくまでそう言い張る。
「そんな都合のいい話は通用しないぞ。証拠がなくちゃ話にならん」
「じゃあこれならどうです?」
どこに持っていたのか、クマは名刺大のカードを差し出した。臓器提供意思カードだ。
「ほらここに、自分が死んだらクマにこの体のすべてを提供しますって書いてある」
たしかにそんなことが書いてある。余白に。とんでもなく下手くそな、まるでクマの手で書いたような字で。
「これ、絶対おまえが自分で書いたろ」
「いえいえ、ボククマですよ。字なんて書けませんって」
「言葉喋ってるじゃん」
「言葉ぐらい今どき誰だって話しますよ。鳥だって猫だって」
お巡りさんは「ゴァン」とエサを催促する猫の動画を思い出した。飼い主はゴハンと言っているのだと主張していた。
「だいたいこの手見て。クマの手で鉛筆なんて持てませんって」
「弘法大師は筆を口にくわえて書いたらしいぞ」
「そんなあんた三筆と比べちゃ」
「詳しいな。おまえ本当にクマか?」
なんてことを言い合っているうちに、クマはだんだん面倒臭くなってきた。もう眠い。クマは冬眠のためにお腹をいっぱいにしにやって来たのだ。
「もういいや。みんな食べちゃえ」
「うわあ!?」
クマはそこにいた全員を食べてしまい、山に帰るのも億劫になってそのまま寝室に行くと、ふかふかのベッドに潜り込んだ。
食べてすぐに寝たので、クマは春には牛になっていたという話だ。
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