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3歳の記憶

人間の記憶は4歳からだと、よく言われている。自分もこれに結構当てはまっている確信がある。

それは多分初めて幼稚園に登園する、ちょっと寒い日で、子供がちょっと頑張れば登れそうな遊具の上に私は他の園児と座っていた。その時はみんな何歳だ?って聞き合ってて、「私も4歳だ!」って自分の口から言った記憶がはっきり残っている。なぜかはわからないけど。

他にも子供の頃の記憶は色々あるけど、どれも、いつのことだったか参照できる情報が残っていないな。

例えば、公園で初めて出会った女の子とままごとで遊んでいて、砂をカップに入れてご飯の真似にしたら、そのカップ一杯の砂を子供の自分が本当に飲み込んじゃった記憶がある。その日はお爺さんと一緒に行ったので、(実家とお爺さんの家とその公園が全部近所だったので)慌ててお爺さんの家に戻って口をすすいだ。流石にお爺さんにめっちゃ怒られたと思う。

<ままごとでカップ一杯の砂を飲み込んだ現場はこちら>

最近、色々あって息子を早めに保育園に入れようと検討し始めている。それで、そういえば自分は幼稚園に入るまで何してたっけ?って疑問に思い始めた。

確か、自分は幼稚園に入るまでに他の施設に入ったことがないので、それまでは家族が面倒を見てくれたに違いない。でも、どう考えても母さんが3年間も仕事を休んだ可能性は低い。

どちらかの祖父母が見ていた可能性はある。中でも、一番覚えているのは母方の祖母だ。小学校に上がってから、授業が半日の日(確か、台湾の小学校は1年生の最初が全部半日で、徐々に全日の日が増えて、最終的には水曜日と土曜日だけ半日。今どうなってるかはわからない)は、いつも母方のお婆さんが迎いに来て昼ごはんを用意してくれた。たまに、お婆さんが友達と遊ぶときもあって、そういうときは自分もついて行ってたような気がする。家にいるときは、いつも水戸黄門や必殺仕事人や暴れん坊将軍の時代劇を見てたので、今でも時代劇を見ると謎の懐かしさを感じる。

しかし、幼稚園に上る前にお婆さんと一緒に家にいた記憶はない。ここまで小学校の記憶がはっきりしているなら、もし幼稚園の前に一緒にいる記憶があったら、少しくらい残ってもいいだろう。なので、多分違う。

それで思い切って母さんに聞いてみたら、実はあの頃、毎日父方の祖父母の家に預けられてたってさ。

不思議なことに、この話を聞くまでは、まったく父方のお爺さんお婆さんが面倒を見てくれていた記憶がなかった。確かにお婆さんに風呂入れられてめっちゃ嫌がってたのはうっすらあったかもしれないけどあれは確か実家だったし。

でもこの話を聞いてから、覚えているシーンこそ少ないけれど、謎に父方の祖父母の家にいた記憶が蘇った。

お爺さんはよくラジオをつけていた。台湾語の歌が流れて、そのうち自分も真似して歌えるようになったとか。意味が全くわからないけどなんとなく大好きだった。

ままごとで砂を飲み込んだ日も、お爺さんとお婆さんに預けられたんだろう。

そういえば、これもあの日の記憶だったかもしれないけど、お爺さんと手をつないで公園まで歩いた記憶がある。天気が良かったので、日差しが強くて、子供の自分は目が開けられなかった。なんでお爺さんは目が開けられるんだろう?おとなになるとこんな太陽の強い日でも目が開けられるの?そんな会話をしてたような、してないような。

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