クカバラベーカリー

2011年に渡豪。縁に導かれ気づけばメルボルンに早8年。2019年3月より中南米へ旅に…

クカバラベーカリー

2011年に渡豪。縁に導かれ気づけばメルボルンに早8年。2019年3月より中南米へ旅に出る。関心ごとは数字以外のことなら色々と。ブログは→https://www.kookaburrabakery.com/ インスタグラムはkookaburrabakery

最近の記事

星の王子様とその他大勢。

「星の王子様」を書いたアントワーヌ・ド・サンテグジュペリの乗る飛行機を撃ち落としたパイロットは、操縦士が彼だと知っていたら自分はそんなことはしなかったと、のちに語っていたらしい。その話をしてくれた友人がついでに「星の王子様」の全文が掲載されたリンクを送ってくれたので、ここのところときどき開いては切れ切れに読み返している。 中村哲さんが殺害されたというニュースが、寝ぼけた頭にガツ―――ンと来た。ほかに現地の仲間や通行人が5人銃殺されたそうで、この人たちを殺すことで、殺した人は

    • 恐竜のたまご

      雨上がりの気温がぐっと落ちた日に、アレグアを出てコロニア・インディペンデンシアというところにやって来た。「トランキーロ(静かで穏やかな様子)」というのにぴったりな場所で、車も人も、牛も犬もニワトリも、みな同じ道を行く。そんな静かな道を歩いて昨日は小さな滝を見に行った。今年は雨が少ないらしく滝と言っても勢いはない。そこだけスコールのような本当に少量の水が、かろうじて上と下とをつないでいる。裏側の窪みに座ると、水しぶきが届いて気持ちがいい。 長い帰り道、暑いので木陰に座って牛を

      • テレレ飲む。

        週末のアスンシオンに辿り着いても誰も出迎えてはくれない。土曜も日曜も通りはからっぽで、レストランとショッピングモールが立ち並ぶ郊外に人が集まる。月曜日の朝、路肩で冷たいテレレを差し出されて、目に映る無機質な街がようやく色づき始めた。テレレとは冷たいマテのことで、マテとは広くこの地域で飲まれるお茶のこと。アルゼンチンやウルグアイ、ブラジル南部ではみなこれを温かく淹れて飲む。まだ春のこの時期に日中の気温が40度を超えるこの国。朝一番に熱いマテをグビッと飲んだあとは、ハーブの香る冷

        • アスンシオンの夏のような春。

          予定よりも早くパラグアイへやって来た。ティルカラの天気が向こう1週間は崩れるというので、行き先を入れ替えたのだ。どこからも遠いこの国へは夜行バスを乗り継いで来ようかどうか最後まで迷ったが、距離のことを考えてみればこれほど近くに来ることもなかなかない。 フフイでの宿のオーナーはなかなかのキャラクターで、スクレからの仲間たちが去っていった翌日、空になったホステルで夜気に打たれているとちょいちょい顔を出す。一緒に座っていいかと言うのでどうぞと言うと、デザートのビスコッティとワイン

        星の王子様とその他大勢。

          ギソを食べたのはいつのことか。

          大蛇の腹の中を這うように、車は赤い山々の間を起用には走る。 張り切って引き下ろしたお金があったのでトゥピサにもう一泊しようかと、朝荷物をまとめながらまだ考えていたのだけれど、いまここを出ることにどうしてもしっくりくるので、何か誰かに背中を押されるように昼ごろマイクロバスに乗ったのだ。選挙の不正が証明されたので前日はどこの街もお祭り騒ぎで、道を塞ぐ者もない。国境もすんなりと越えてアルゼンチンに入った。バス停の場所を尋ねると同じくバス停へ行くという女性がいる。もう30年ほどブエノ

          ギソを食べたのはいつのことか。

          フラミンゴの事情。

          ウユニ塩湖から、またこの小さな町へ戻ってきた。乱雑な思い出を消化すべくウユニの町に数泊するつもりでいたが、電波から遠く離れた4日間のあとのウユニは強烈で、そのままガイドについて夕方にはトゥピサの赤い山を見た。トゥピサの町へ到着したときには誰とも話したくなくて、生存報告のメッセージだけを何人かに送ったあとは独り言も出てこない。夕食は近くで野菜のスープを頼んで、赤ワインとバナナチップスを買ってホテルの部屋に戻る。パソコンを開くが映画が選べずにまったく気分でない"The Big S

          フラミンゴの事情。

          時計台のてっぺんで。

          時計台のてっぺんでコーヒーが飲めるこのカフェはホステルで出来た友人たちが連れてきてくれた場所で、スクレにいるあいだ毎日のように足を運んだ。ただでさえ下の世界から切り離されたような場所なのに、ここ最近のスクレは本当に静かで、時折爆竹の音だけが晴れ続きの乾いた空に響く。 タルラからのバスで、サラはすでに山へ戻ることを考えていたのだと思う。スクレへ着いた翌日には再度登山へ行く話をしていた。枯れることを知らない情熱の泉に感心してしまう。寝袋が必要だというので必然的に私の滞在も延長が

          時計台のてっぺんで。

          Estrellas Fugaces☆彡

          ほんの3日間のハイキングだがスクレの街を出たのが1週間も前のことのように思える。 2日間担ぎまわしたワインを開けていそいそと川に入った。山を切り崩したところにあるタルラの川には温泉が湧いている。工事現場のど真ん中みたいなところだが、夜になると山々に囲まれた空には満天の星が出て、これが落ちて彷徨うみたいに蛍が飛び回る。四方のうちふたつに小さな光を放つ建物がポツンとあるのみで人の気配はない。昼間あんなに味方のようだった山々は夜になると突然そっけない素振りで、いつも取り残されたよ

          Estrellas Fugaces☆彡

          マクルーベとレモンパイ。

          雲がかかる亜熱帯の森を超えてコロイコに到着した。荷物をおいてさっそく庭の散策に出る。晴れ間が差してブランコの揺れる丘の上から山々が遠くまで重なるのがよく見える。 ラパスでたくさんの人と出会った。すこしひとりでゆっくりしたくてここへ来たのだ。2時間ほどして戻るとバスで一緒になった女の子が昼寝から起きてきた。しばらく話しているとどこからか新たな旅人がやって来る。見覚えのある顔。ラパスのカフェで出会った子だ。30分後には3人テーブルを囲んで夕食を交わしていた。翌日にはラパスのホス

          マクルーベとレモンパイ。

          芸術と自然の証人。

          ラパスのカフェで声を掛けられた。振り返ると女性がふたりこちらに笑顔を向けている。南米へ来て日本語を聞いたのは本当に久しぶりで、気持ちよく声を掛けてくれることに嬉しくなる。聞くとエホバの証人の方々だそうで、日本語での布教をすべくラパスへ来たのだと。そうか、そんな人々もいるのだな。心の隅でそっとがっかりするのを感じた。 外国を旅していると、キリスト教の布教っぷりに感心してしまう。土着の宗教とシンクロしながら人々の心に潜りこむ技は皮肉抜きであっぱれ。ヨーッロッパからアフリカ、中南

          芸術と自然の証人。

          チョリタスな貴方。

          ボリビアはラパスへやって来た。 標高のせいかお腹はまだ不機嫌だけれど気分はいい。酸素が薄いうえに丘ばかりのラパス、街歩きにも息が切れる。通りを行けば出会えるのは、絵葉書で見たチョリタスの女性たち。チャップリンみたいな帽子をちょこんとのせてプリーツの効いた色とりどりのスカートを揺らし、のしのしと坂を上がってゆく。長く結ったおさげは英知の象徴でもあるのだそう。帽子もスカートも植民地時代にヨーロッパの影響を受けたもので、それ以前には着物のような美しい一枚の織物で仕立てたドレスがチ

          チョリタスな貴方。

          ブジオスの海とさやいんげん。

          リオデジャネイロからバスに揺られ東へ3時間ほど、ブジオスという町にやって来た。正式にはArmação dos Búzios、アルマキャオみたいな感じか。慣れないなーここの言葉は本当に。 ブジオスの広場では毎週木曜の夜と土曜の朝にマーケットが開かれる。小さな町のマーケットはどちらもよく賑わって町中が集まっているような気さえするほど。ブラジルはどこの町でも、まあみなよく踊ること。ステージの周りには人が集まって、入れ替わり立ち替わり演奏に合わせて踊りに来ては去ってゆく。 土曜の

          ブジオスの海とさやいんげん。

          ブラジルの危険なアボカド。

          ホステルの部屋へ戻る道、踏み出した左かかとのすぐ横にでっかいアボカドが落ちて砕け散った。 ブラジルのアボカドはちょっとしたメロンくらいでかい。ニュースにならないだけで年間に数人はアボカドが脳天に直撃して命を落としている。きっと。 サメも熊も避けてばったり死と遭遇しないように生きてきたのに、アボカドに殺されかけるなんて。努力の甲斐もあったもんじゃない。 サオパウロのホステルで出会った旅人は黄熱病もマラリアも知らずこれまで長いこと旅してきて、まさかのボリビアで刺された小さな

          ブラジルの危険なアボカド。

          一生じゃ足りない。

          丘の上にあるサンタテレザの町。リオが美しいのはビーチがあるからとよく耳にしたけれど、この趣って坂の多い町に共通している。 市街地の中心カリオカからチンチン電車で水道橋の上を走って景色を楽しむうちにサンタテレザに到着する。ファベラの子供たちが演奏会をするからおいでよと先日訪れたパン屋さんが言うので、サンタテレザ観光がてら戻ってきたのだ。ファベラは低所得者層がひしめき合って暮らす地域でブラジルの町々に存在する。ファベラをスラムと一言で括るには少し乱暴で、この地域の歴史は深い。不

          一生じゃ足りない。

          パラティの屋根。

          喧噪のサオパウロからバスで6時間、静かなパラティの入り江に立っている。 向こうを望めば、幾重にも重なる山々が霧の中に青く浮かんで、モンテビデオの美術館で観た中国の山水画を思い出した。誰かの母であった人が、その恋人で会った人が、匿名の労働力になって暗い船底につながれ送られた港だ。1888年に奴隷制が廃止されるまで、パラティは金やさとうきびに加えそこで働く奴隷を運ぶ港として栄えた。彼らはみな教会に連れられカトリックの洗礼を受けたので、その記録からブラジルだけで少なくとも400万

          パラティの屋根。

          アマゾンの森が燃えている。

          寄り道ばかりの旅だけど、気づけばブラジルはサオパウロまでやって来た。ホステルのベッド。仲のいい友達に子供ができたというニュースで目が覚める。天気予報によれば今日の天気は「曇りのち煙」。アマゾンの森が燃えているのだ。 去年の同じ時期と比べて山火事の件数が83%上昇したと聞くとぎょっとするが、去年1年間で39759件の山火事が日常的にあったということにさらに仰天する。積極的に森林伐採を進めてきたボルソナロ政権以降、アマゾンの環境破壊がそれはもう急激に進んだことは紛れもない事実だ

          アマゾンの森が燃えている。