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プリンセス・クルセイド 第2部「ザ・ナイト・オブ・ヴァンパイア」 #3 【目覚める脅威】 2

『どれほど日向の道を歩む者でも、時には陰に身を屈め、息を潜めなければならないことがある。それが生きるという選択だ』

 父の愛読書である『剣聖――言葉の剣――』76ページの言葉が脳裏によみがえった時、アンバーは再びヴァンパイアの屋敷のリビングにある一脚の椅子に腰掛け、二人の友人が空き巣じみて家探しをするさまを眺めているところだった。

「二人とも、もう少し遠慮したほうがいいんじゃない? ここ、ホントは入っちゃいけない所なんだよ?」

 二人の探索が一段落すると、アンバーは忠告を口にした。

「なら、貴女は帰りなさいな。わたくし、もうここからなら一人で帰れますので」

「そう。嫌なら無理に付き合わなくていいんだよ」

 そしてイキシアとカーネリアが、素っ気無い返事を返してくる。これと全く同じ流れを、彼女たちはここまでに何度も繰り返していた。そうして二人はアンバーの口を噤ませ、また別の区画の探索に取り掛かるのだった。

「……でもさ、二人とも本当にヴァンパイアがここにいると思ってるの?」

 しかし、今回のアンバーは簡単には引き下がらなかった。少し話題を変え、行動を戒めるのではなく、根本的な理由を聞いてみることにしたのだ。

「まあ、可能性は高いよね」

 即答したのはカーネリアだ。彼女はヴァンパイアの存在を信じて疑わない。それに加え、昨日見つかった隠し部屋にあったヴァンパイアを連想させる品の数々が、彼女の疑惑を確信に変えていた。

「いえ……わたくしの場合は……」

 一方、イキシアは言葉に含みを持たせて言い淀んだ。その心境を示すように、部屋の壁際に配置されたキャビネットを探る手が止まる。

「イキシアの場合は?」

 その隙を逃さず、アンバーは話を詰めにいった。イキシアは探索を中断した手を顎に当てて考え込む仕草をし、やや間を開けて返答した。

「好奇心……ですかね?」

「好奇心?」

「……少々お待ちを」

 オウム返しに訝るアンバーの心中を察したのか、イキシアはおもむろにキャビネットから皿を一枚取り出した。

「……それ、何?」

「ちょっと見ててくださいな」

 アンバーが疑いの目を向ける中、イキシアは皿を無造作に宙へと放り投げた。

「ちょ……イキシア!」

 アンバーは椅子から立ち上がり、体を投げ出すようにして手を伸ばした。だが、それは無駄な努力というものだった。彼女とイキシアの距離はその程度で届くようなものではなかった。だが、次の瞬間に彼女の目の前で起こった光景は、その様な問題を遥かに凌駕していた。二人の間に落ちた皿が、まったく傷付くことなく見事な着地を見せたのだ。

「え……どうして?」

「保存の魔術ですわ」

 戸惑うアンバーに淡々と答えながら、イキシアは静かに床の上に横たわる皿を拾い上げた。

「見たところ、このお皿だけでなく、屋敷内の家具すべてに同じ魔術がかけられているようですわね」

 皿をキャビネットに戻しながら、さらに話を続ける。

「興味深いと思いませんこと? きっと何か理由があるはずですわ」

「理由って……この屋敷の人が、何のためにこんなことをしたかってこと?」

「……それは少し違います。より正確には……『誰のために』?」

 アンバーの問いかけに対し、イキシアは言葉を選ぶようにして答えた。

「『誰のために』? それってどういうこと? その誰かっていうのが、ヴァンパイアとか?」

「そこまでは分かりませんわ。まだね」

 イキシアはそう答えて話を切り上げると、今度はキャビネットに飾られていた燭台に手を伸ばし、入念に眺め出した。アンバーはしばらくその様子を黙って見ていたが、やがて重大な事実を思い出し、慌てて話を再開した。

「そ、そんなこと言ったって、屋敷に忍びこんでいい理由にはならないからね! やっぱりもう帰ろうよ。ほら、タンザナさんももう起きたかもしれないしさ」

「タンザナ……」

 今度はカーネリアが、はたと家探しの手を止めた。そしてアンバーのほうに静かに向き直る。

「……確かに、アンバーの言うとおりかも。こんなところにいちゃいけないよね」

「ああ、よかった。カーネリアちゃんは分かってくれたんだね」

 ようやく望んでいた返答を聞いて、アンバーは胸を撫で下ろした。しかし、カーネリアは口元にいたずらっぽい笑みを湛えつつ、さらに一言付け加えた。

「このままここにいたって埒が明かない。だったら、次の心当たりを調べたほうがいい」

「……カーネリアちゃん?」

 アンバーにはカーネリアの言葉の真意が掴めなかった。だが、こちらを見つめ返す切れ長の瞳から、彼女がこちらの思惑どおりに動く気がないことだけは、ひしひしと伝わってきた。どうやら今しばらく、このまま陰に身を潜めていかなければならないようだ。

(それが生きるという選択か……)

 心の中でそう独りごちながら、アンバーは深くため息を吐いた。

3へ続く

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