プリンセス・クルセイド #6 【悪意の足音】 1

 ウィガーリー国王都のエアリッタ中心部にあるエアリッタ城。その玉座の間の中央に置かれた台座の上に、水晶玉がひとつ。その後方には、白く巨大な正方形のスクリーンが浮かんでいる。台座を挟んだ反対側には、煌びやかな衣服を身に纏った黒髪の青年が腰掛けている。彼の名はアキレア・シュワーヴ。彼は両脇に男性の従者を従わせながら、その茶色の瞳をスクリーンへと注いでいた。

 王子から見て右手に立つ男は長い杖を手にし、杖から水晶に光を注いでいる。光は水晶からさらにスクリーンへと伸びており、二人の女性が剣を持って闘い合う姿を映している。王子の左手に立つ屈強な男は、傍らに女性を立たせている。彼女の名はガーネット。台座にある水晶玉は彼女の持つ聖剣から取り出された者であり、杖を持っている男、宮廷魔術師のジュリアンがスクリーンを浮かせてそこに水晶玉の映像を映し出しているのだ。

「なるほど……間違いない。たしかにジェダイトだ」

 王子が映像を見ながら呟いた。ちょうど、黒髪の妖艶な女性が妖しい笑みを浮かべ、ブロンドの少女に斬りかかるところだった。

「聖剣の水晶玉は過去の闘いも映せるんだな。知らなかったよ」

「ガーネット、よく知らせてくれた。助かったぞ」

 屈強な男が、ガーネットを称えた。

「いえ、隊長……私がもっと早くに気付いていれば」

 ガーネットは映像から視線を落として呟いた。

「何をおっしゃいますやら。貴女がプリンセス・クルセイドに参加していただけでも僥倖。そうでなければ、我々は何も知らぬまま、悪党を見逃していたかもしれません」

 ジュリアンが映像の照射を解除しながら、隊長に同意した。

「そのとおりだ。君がいなければ、私もこうして覚悟が出来なかったことだろう」

 王子はそう言うと、スクリーンから視線を切って立ち上がり、ガーネット達の方に向き直った。

「ありがとう、ガーネット。隊長もな。今後はまた状況が変わってくるかもしれないが……よろしく頼む」

「……仰せのままに」

 隊長とガーネットは恭しく頭を下げた。そしてガーネットが水晶玉を聖剣に戻してから、二人はその場から退出していった。

「しかし王子、不思議と落ち着いておられるようですね」

 二人が退室した後、ジュリアンが王子に話しかけた。

「……いいや、ジュリアン。彼女のことはなんと言うか……ショックを感じてはいる」

「そちらではなく、ガーネットのことです。彼女は王子と結婚するつもりでいたのですよ」

「ああ……ああ、そうか」

 王子は静かに呟いたあと、ガーネットの出ていったほうに視線を送り、やがて頭を横に振った。

「……そのことは何も言えない。私の口からは――」

 王子はそこまで呟いてから、思い当たったようにジュリアンに視線を向けた。

「ということは、ジェダイトも私と結婚しようとしているのか?」

「ご冗談を……ありえません」

 ジュリアンの口調は含み笑いを隠し切れていなかった。王子がそれを咎めるような視線を送ると、宮廷魔術師は表情を引き締め直してから話を続けた。

「目的はおそらくあれでしょう。彼女ほどの魔術師なら、あれを狙わない理由はありません」

「だな……。ジュリアン、あれをもう一度確認しておこう」

「承知いたしました」

 王子とジュリアンは一旦会話を止め、連れ立って王座の間を出た。赤い絨毯が敷き詰められた、だだっ広い廊下を歩いていくと、ほどなくして重厚な白い扉の前に出る。

「いつも思うんだが……この扉は少し大袈裟じゃないか?」

「宝物庫ですから。この程度の警備は必然でしょう」

 ジュリアンが扉に杖を向けると、扉が両側にゆっくりと横滑りしていき、また新たな扉が奥に見えた。扉の中心には、円形の紋様が大きく描かれている。

「次は私の番だな」

 王子は前に進み出て、拳を広げて紋様に触れた。すると、ひとりでに扉が奥へと開き、視界の先に整然とした宝物庫が現れた。ガラスでできた長方形の箱が直立しており、その中には一本の長い杖が飾られている。

「その杖を狙う者は、ジェダイトだけではないでしょうな」

「誰だって自分の願いは叶えたいだろうさ。この杖が、それを可能にする」

 王子はそう言ってガラスに手を触れた。

「それ程の魔力を持つ杖だ。もし、ジェダイトの手に渡ることがあれば……」

「何が起こるのか、考えるのも恐ろしい……といったところでしょう」

 ジュリアンそう答えながら、王子の横に並び、自身もガラスの中の杖を眺めた。

「ああ、彼女の魔術の腕はよく知っている。私の……先生だからな」

「ええ。亡きお母上が貴方に魔術を教えるために抜擢した……彼女は貴方につきっきりでしたな」

 ジュリアンが、皮肉めかして鼻を鳴らす。

「妬いているのか、ジュリアン?」

「私が? まさか……失礼ながら、宮廷魔術には王子の教育よりも大切なことがいくらでもありますゆえ」

「冗談だよ。実際、お前たちはよく二人きりで話していたしな」

 王子はそう言いながら部屋の入口へと戻り、ジュリアンに目で合図を送った。宮廷魔術師は主に続き、二人は二つの扉をくぐって再び廊下に出る。

「……それで、お前たちは仲が良かったのか?」

 ジュリアンが扉を閉め直す様を見ながら、王子は先程の会話を続けた。

「……それこそ、ご冗談というものです」

 ジュリアンが僅かに口角を上げながらそう返した後、話題は他愛の無いものへと変わっていき、やがて二人は王子の私室の前の扉に着いた。

「では、この件はお前たちに任せることにしよう……それでいいんだな?」

「ええ。正直に申しまして、王子が直接手を出してどうにかなる問題ではないかと」

「はっきり言うな……あんなものを見せておいて、私には何もするなと?」

 王子は怪訝な表情でジュリアンを見た。

「僭越ながら、それが王の役目というものかと。状況を把握し、的確な指示を出したら、後は泰然自若と構えて見守るのです」

 ジュリアンがそう語る口調は穏やかだったが、彼の目には有無を言わさぬ鋭い光が宿っていた。その視線に、王子は一瞬気圧された。

「……分かったよ。私は大人しく部屋で本でも読むとしよう。何かあったら、手紙でも転送してくれ」

「承知いたしました。では、後ほど」

 ジュリアンは王子に頭を下げると、踵を返してその場を去った。その颯爽とした後ろ姿を、王子はしばらく無言で眺めていた。

「……私が直接手を出してどうにかなる問題ではない……か」

 王子はひっそりと独りごちると、扉に手をかけて部屋の中へと入った。大きな窓から日の光が差し込む広々とした室内には、天蓋付きのベッド、大きなクローゼット、煌びやかな洗面台、立派な木製の書き物用の椅子と机などが置かれている。

 王子はそれらの物を横切り、部屋の隅に置かれた一台の本棚の前に立った。そしてその真ん中あたりから『銀河よもやま話 第3巻 狩猟から農耕へ』というタイトルの分厚い一冊を慎重に取り出した。

 すると、本棚が突然発光し、中心部から両側に横滑りして分離した。そうして開いた隠し棚の奥には、箱に詰められた細々とした雑貨が、物置のようにして下から積み上げられていた。その箱の間から見える壁には、一枚の写真が画鋲で留められており、王子はその写真を壁から手に取って眺めた。そこに映るのは、王子の亡き母親、そして彼女の腕に抱かれる幼き日の王子自身の姿。王子は何故か女装をしており、あからさまに不満な表情を見せている。

「……正直、あの時は訳が分からなかったものだが、今となっては……」

 王子は在りし日の母の姿から視線を外し、写真が留められていた箇所を見た。そこには、宝物庫の扉と同じ様に、小さな紋様が描かれている。王子はおもむろに手を伸ばし、その紋様に触れた。すると、紋様が光り出し、虚空から一揃いの衣服と一振りの聖剣が現れた。衣服はこの国の平民が着るような、質素だが丈夫ななりをしている。

「感謝しています、母上」

 王子はその場で素早く着替えて平民の衣服を身に着けると、聖剣を抜いて魔術を繰り出し、自分の身体に光を纏わせた。そして剣を抜いたまま、片手で窓を開き、勢いよく青天の下へと飛び出していく。そのまま重力に引かれて身体が落下していく中、王子は再び聖剣から魔術を放った。

 すると、足下の芝生から草を舞い上げるように風が吹き上がり、落下速度を減速させた。王子は片膝立ちの姿勢で、静かに着地を決める。いつの間にか王子の纏っていた光は消え去り、頭を下げる彼の頭髪は赤く染まっていた。

「……しかし、その感謝も倒すべき敵によってもたらされているとは……」

 王子は自嘲気味にほおを緩めたが、瞳が緑色に変色した彼の目は笑っていなかった。

「……皮肉な物だな、人生は」

 そして王子は――メノウはひっそりと呟くと、聖剣を鞘にしまい、街の方角へと静かに歩いていった。

2へ続く




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