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プリンセス・クルセイド 第3部「ロイヤル・プリンセス」#1 【波乱を呼ぶ来訪者】 4

 魚を穿つ銛のように聖剣を構えながら、ルチルは静かに海を潜行していた。聖剣の持つ水のエレメントの力で、彼女は空を飛ぶかのように水中を泳ぐことができる。加速に減速、旋回までもが思うままだ。それに対し、彼女を待ち構えるイキシアのほうはといえばーー

(無様なものだな)

 ルチルは思わず口角を上げた。彼女の視線の先には、手足を動かしながらなんとかしてその場に留まろうとするイキシアの姿があった。

(自分から潜っておきながら、随分と不便な思いをしているじゃないか……どうだ? 今なら特別に上に戻ってやってもいいぞ)

 イキシアと優雅に正対したルチルは、言葉を発する代わりに親指で水上を示してみせた。それに対しイキシアは、右手の人差し指を顔の前に持っていくと、下まぶたを引き下げながら舌を出した。

(……いいだろう。後悔するなよ)

 イキシアの挑発を受け、ルチルはおもむろに剣を構えると、勢いよく斜めに振り抜いた。すると、刃の先から水流が飛び出し、イキシアの体を刳りにいった。イキシアは瞬時に足の運動を止めると、大きく手を掻いて水底へと降下し、これを回避する。

(クソッタレが……)

 水流発射後の僅かな隙を突いて放たれた牽制の斬撃波を避けながら、ルチルは舌打ちした。周囲の水に阻まれるせいか、地上と比べて明らかに水流の勢いが弱まっている。イキシアが水中戦を挑んだ理由はおそらくこれだろう。加えて、地上ならば直撃せずとも足場を崩して追い込むことができたが、水中ではその手法も通じず、上下左右のどこへでも攻撃を回避されてしまう。

(だが、それもいつまで保つかな!?)

 ルチルは追撃の手を緩めず、イキシアに合わせて降下しながら、さらに剣から水流を発射した。これも躱されたが、機動力はルチルが勝っている。速度の減じた水流と言えど、連続で放てばイキシアの回避する方向は限られていくだろう。悪あがきじみて放たれる斬撃波の反撃さえ躱していけば、少しずつ追い込んでいくことができるはずだ。そうしてお互いに間合いを保ったままの中距離戦を続けていった結果、両者の高度は段々と下がっていった。そして8度目のルチルの水流を躱した時、遂にイキシアの両足が水底の岩肌に触れた。

(もらった!)

 ルチルはその瞬間を狙い、イキシアとの間合いを詰めにかかった。あたかも地上の獲物を上空から仕留めにかかる鷹のように、剣を横に構えて標的の斜め上から突撃していく。返しの斬撃波によるダメージを厭わぬ戦法であったが、イキシアは岩肌を蹴り、浮上しての回避を選択した。

(甘いぞ、イキシア!)

 ルチルは水底すれすれで急旋回すると、水底に触れずして垂直浮上へ強引に体勢を切り替え、再突進を試みた。今度も斬撃波が放たれることはなく、浮上していくイキシアの腹部を刃が捉える。

(ぐはぁっ……!)

 イキシアの喘ぐ声がルチルの鼓膜を揺らしたーーような気がした。実際には彼女の口から水疱が僅かに生じただけだが、ルチルにはそれで十分だった。手応えは明らかに浅く、致命傷には程遠いが、元よりここで決着してしまっては意味がない。狙いはイキシアの聖剣だーーだが、一旦間合いを取るべく大きく旋回しようとしたその瞬間、聖剣を握るルチルの手が、強く後方へと引っ張られた。

(何っ……!?)

 驚愕して目を見開いた時にはもう手遅れだった。彼女の手は反動で一時的に麻痺して握力を失い、聖剣が開いた手のひらを離れていった。その柄には、鎖に繋がった分銅が巻き付きられていた。

(しまった!?)

 ルチルは瞬時のうちに状況を把握し、剣を取り戻そうともがいた。だが腕は空を切るばかりか、聖剣の能力を失った彼女の体はそれまでのように自由が効かず、反動で姿勢を大きく崩してしまった。対してイキシアは、手にしていた鎖を引いてやすやすとルチルの聖剣を奪取した。このまま手にしている鎖鎌で剣の刃をへし折る気だろう。だが、そんなルチルの予想に反し、イキシアは優雅に身を翻すと、水底へと降下していった。

(また下へ……一体なぜ?)

 戸惑いつつ、ルチルはイキシアの向かう先を目で追った。すると、水底の岩の裂け目に錨のごとく突き刺さった鎌が見えた。

(まさか、水中で剣を奪うのに十分な力を得るために、鎌を固定したというのか!? 始めからこれを狙って!?)

 動揺する己を律しながら、ルチルは必死にイキシアへと追いすがった。しかし、両者の差は一向に縮まらないばかりか、逆に開いていった。太陽のプリンセスは武芸十八般の達人。泳術もその一つだ。やがてルチルが岩肌に足をつけた頃には、イキシアは鎌を引き抜いて剣に戻し、刃に斬撃波の輝きを灯していた。

(やめてくれ!)

 哀願にも似たルチルの叫びは、文字通り水泡に帰した。イキシアはまた舌を出してみせると、自らの聖剣から斬撃波を発射し、逆の手に握ったルチルの聖剣の刃を四散せしめた。

第3部 #1 【波乱を呼ぶ来訪者】 完

次回 第3部 #2 【叡智の姫君】

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